〇白瀬矗(しらせ のぶ) (1861<文久元>年~1946<昭和21>年)
陸軍の軍人。南極探検家。出羽国(山形県)由利郡金浦村(現にかほ市)生まれ。陸軍入隊後千島探検、1910年から南極探検に出発、1912年に南極大陸に上陸した。この探検に際し、多額の借金をしたため、後半生は借金返済の人生だったという。1981年建造の南極観測船は「しらせ」と命名されている。
<白瀬矗像>
竣工: 1981<昭和56>年
像高:
作者:
撮影時: 2012年8月24日
説明:分厚い防寒着を着た珍しい像。像の両脇に露払いのようにペンギンが2体いるが、これは朝倉文夫制作のもの。ペンギン像は白瀬が南極探検に出発した東京都港区の埠頭公園内に作られた「南極探検記念碑」に付属していたが、長く忘れられペンギンのくちばしなども折られていたらしい。その後1982年にこの記念碑を修復し、ペンギン像は2代目に代わった。初代のものは朝倉家にひな型が残っていたことから修復後、浄蓮寺に移された。白瀬矗南極探検隊念館(にかほ市黒川字岩潟15-3勢至公園内)にも白瀬矗の胸像があるらしい。
〇齋藤憲三 (1898<明治31>年~1970<昭和45>年)
実業家、政治家。秋田県由利郡平沢村(現にかほ市)生まれ。いくつかの仕事を経て、東京電気化学工業(現TDK)を設立した。戦争中から衆議院議員としても活躍した。
<斎藤憲三像>
竣工: 昭和60年10月
像高:
作者:
撮影時: 2012年8月24日
説明:立っている場所の「仁賀保勤労青少年ホーム」は、齋藤憲三氏、父齋藤宇一郎両氏の生家の跡。
〇斎藤雅雄 (1891<明治24>年~1952<昭和27>年)
政治家。実業家。斎藤宇一郎の甥。
<齋藤雅雄像>
竣工: 1956<昭和31>年4月
像高:
作者:
撮影時: 2012年8月24日
説明:
〇斎藤宇一郎 (1866<慶応2>年~1926<大正15>年)
政治家、農政家。由利郡仁賀保町(現にかほ市)生まれ。東京で教師をしていたが、父の死で帰郷後、地域の農業改良運動に力を注いだ。明治35年から衆議院議員8期。地域の発展に貢献した。
<斎藤宇一郎像>
場所: 仁賀保公園(仁賀保神社齋藤神社)(にかほ市平沢清水60)
竣工:
像高:
作者:
撮影時: 2012年8月24日
説明:死後すぐに銅像は建てられた模様だが、戦争中の金属供出で台座のみとなった。戦後再建された。氏は仁賀保神社に昭和25年に「斎藤宇一郎之命」となり、斎藤神社が設けられた。
〇齋藤彌太郎 (1868<慶応4>年~1953<昭和28>年)
酒造家、政治家。羽前亀田藩平岡村に生まれるが、酒造家斎藤重左衛門の養子となり、斎彌酒造を創業、「由利政宗」の製造で有名となる。本荘町長、県会議員などを歴任した。
<齋藤彌太郎像>
竣工: 1963<昭和38>年
像高:
作者:
撮影時:2012年8月25日
説明:この銅像は、本荘公園(旧本荘城址)が1935<昭和10>年人手に渡っていたのを買い戻し、市に無償で寄付した功績によりつくられた。
※今回は「斎藤さん」特集でした。にかほ市では齋藤さんは2番目、由利本荘市では3番目ですね…(ちなみにどちらも1位は「佐藤さん」)。