銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれてよじれて20年以上。日本中の銅像ハンティングは続きます…

岩手県編  その10

〇山崎為徳(やまざきためのり) (1857~1881)

 明治初期の宗教家、神学者仙台藩陸奥国胆沢郡水沢城下(現岩手県奥州市)生まれ。藩校の立生館、熊本洋学校で学んだ後、開成学校に入学。しかし同志社英学校に転校した。在学中から後進の指導に携わり、同校の校務や講演会に活躍するが、肺結核で若くして亡くなった。

f:id:tagutti:20210918143610j:plain

<山崎為徳像>

場所:山崎児童公園(岩手県奥州市水沢川原小路)

竣工: 1961年

像高:

作者: 小野寺玉峰

撮影時:2020年9月24日

説明:為徳は、同志社始まって以来の俊才と言われたそうだ。近くの乙女川先人館に資料があり、脇には山崎為徳を顕彰する「天主碑」が立っている。

 

後藤新平 (1857~1929)

 医者、官僚、政治家。陸奥国胆沢郡鹽竈村(現岩手県奥州市水沢)生まれ。須賀川医学校の卒業。愛知県医学校の医者をしていた際、岐阜で暴漢に襲われた板垣退助を治療する。その後内務省に入り、実績を積むと台湾総督となった児玉源太郎に抜擢され、台湾民政局長となって活躍した。さらに南満州鉄道初代総裁となり、満州経営に活躍、逓信大臣や内務大臣、外務大臣などを歴任した。関東大震災後に内務大臣兼帝都復興院総裁となり、東京の復興を目指すが、その計画規模の大きさから「大風呂敷」とのあだ名をつけられ、上手くいかなかった(道路としての環状線の計画などが実行されたが)。

f:id:tagutti:20210918143707j:plain

後藤新平像>

場所:水沢公園(岩手県奥州市水沢上野町1-1)

竣工:1978年6月

像高:

作者:朝倉文夫

撮影時:2020年9月24日

説明:この像は、中国の大連星が浦公園(現星海公園)に建てられた像(1930年作)と同じ原型によって作られている。この公園には、ほかにボーイスカウト姿の像もある(大熊氏廣が1911年に作った像が大戦時に金属供出されたのち、1971年4月に、米治一作のボーイスカウト姿で再建)。後藤はボーイスカウト日本連盟の初代総長を務め、全国の巡回講演会を数多く実施した。東北新幹線水沢江刺駅岩手県奥州市水沢羽田町1)には、「後藤新平と少年」像がある。この像は、1960年代に「羽黒山展望園」に置かれたが、園が実現せず山中に放置されていたものを、2007年11月に水沢江刺駅前に移転させたもの。

f:id:tagutti:20210918143804j:plain

f:id:tagutti:20210918143858j:plain

後藤新平 

 略

f:id:tagutti:20210918144009j:plain

後藤新平像>

場所:後藤新平記念館(岩手県奥州市水沢大手町4-1)

竣工: 1999年2月

像高:

作者:許文龍

撮影時:2020年9月24日

説明:後藤新平記念館は、後藤のメモリアルホール。脇には後藤の13回忌を記念して贈られた、日本最初の「公民館」である「後藤伯記念公民館」が建つ。この公民館の外にも胸像がいる(小野寺玉峰作:1961年)。館内には、上記以外に東京芝のNHK放送博物館にあった朝倉文夫作の胸像(1927年作)も展示されている。後藤が東京中央放送局(現NHK)の初代総裁だったからである。また実物大の像(FRPか?)も存在感を持つ。

f:id:tagutti:20210918144146j:plain

f:id:tagutti:20210918144056j:plain

f:id:tagutti:20210918144248j:plain

 

〇浜野弥四郎 (1869~1932)

 衛生工学、土木工学者。葛飾県台村(現千葉県成田市)生まれ。日本統治下の台湾土木部技師として、台湾の上下水道のインフラを手がけたことから、「台湾水道の父」と評される。

f:id:tagutti:20210918144356j:plain

<浜野弥四郎像>

場所:後藤新平記念館(岩手県奥州市水沢大手町4-1)

竣工:

像高:

作者:許文龍

撮影時:2020年9月24日

説明:館内にある。台湾の台南山上水源地には部下であった八田與一によって1921年に胸像が立てられたが、1944年に大戦の金属供出によって姿を消した。しかし台湾の実業家許文龍氏が2005年に復元したという。八田與一像も烏山頭ダムにある(1931年作。戦後一時不明だったが、1981年に元の場所に設置)。ちなみに八田像は生家のある金沢市立花園小学校校地にもある(石川県金沢市今町ヌ)。

 

正力松太郎 (1885~1969)

 内務官僚、警察官、実業家、政治家。富山県射水郡枇杷首村(現射水市)生まれ。東京帝国大学卒業後、内務省に入省、後藤新平の助力で読売新聞社の7代目社長となり、復興に成功する。戦後衆議院議員(5期)。国家公安委員会委員長科学技術庁長官を歴任、読売新聞社主、日本テレビ放送網初代社長、読売ジャイアンツ創立者

f:id:tagutti:20210918144444j:plain

正力松太郎像>

場所:後藤伯記念公民館(岩手県奥州市水沢大手町4-1)

竣工: 1961年

像高:

作者: 小野寺玉峰

撮影時:2020年9月24日

説明:ボーイスカウト姿の後藤新平の胸像と並んで立っている。後藤伯記念公民館は、正力松太郎が後藤への報恩として水沢町(当時)に寄贈したのが由来のようだ。

 

椎名悦三郎 (1898~1979)

 官僚、政治家。岩手県胆沢郡水沢町生まれ。戦前は、岸信介の腹心として満州国の運営に関わり、戦後は衆議院議員(8期)となり、内閣官房長官通産大臣外務大臣を歴任した。高野長英の血筋で、「悦三郎」の名は長英の幼名に因む。

f:id:tagutti:20210918144748j:plain

椎名悦三郎像>

場所:椎名悦三郎生誕地(岩手県奥州市水沢吉小路11-2)

竣工: 1980年9月

像高:

作者:小野寺玉峰

撮影時:2020年9月24日

説明:昔の像の写真を探すと、悦三郎の次男の「椎名素夫後援会事務所」に像が立っているが、現在は市が整備した駐車場の一角となっている。

 

〇斎藤實(さいとうまこと) (1858~1936)

 海軍軍人、政治家。陸奥国胆沢郡鹽竈村(現岩手県奥州市水沢)生まれ。海軍兵学校卒業後(「海軍の三秀才」の一人)、海軍次官、艦政本部長を経て、海軍大臣(8年間)、海軍大将となる。1919年朝鮮総督、1931年5・15事件後首相となった。帝人事件で総辞職し、1936年の2・26事件で暗殺された。

f:id:tagutti:20210918144823j:plain

<斎藤實像>

場所:水沢公園(岩手県奥州市水沢上野町1-1)

竣工: 1963年10月(原像は1938年に作られたが、1944年に金属供出)

像高:

作者: 朝倉文夫

撮影時:2020年9月24日

説明:斎藤は山崎為徳・後藤新平と共に「郷の三賢人」と呼ばれ、郷土の英雄の一人。

 

〇斎藤春子 (1873~1971)

 東京出身。仁禮景範の長女。斎藤實と結婚した。2・26事件では夫殺害現場にいて、夫の死体に覆いかぶさり、更なる凌辱を防いだ。その後は社会事業家として救急事業などに貢献した。晩年まで水沢の邸宅に隠棲していた。

f:id:tagutti:20210918144906j:plain

<斎藤春子像>

場所:斎藤實記念館(岩手県奥州市水沢吉小路24)

竣工: 1938年11月

像高:

作者:朝倉文夫

撮影時:2020年9月24日

説明:斎藤實記念館は、旧宅と諸資料を展示する展示館、書庫からなる。敷地にあるこの像は夫妻が作られているが、實は胸像、下にいる春子は座像という珍しいスタイルである。また敷地の中には二人別々の胸像(立体写真像㈱製)も立っている。

f:id:tagutti:20210918145008j:plainf:id:tagutti:20210918145106j:plain

 

〇片桐清治 (1856~1928)

 牧師。日本組合基督教会の東北地方の重鎮として活躍。陸奥国胆沢郡鹽竈村(現岩手県奥州市水沢)生まれ。同志社英学校で学び、1985年に水沢教会を設立、東北でのキリスト教伝道の礎を築いた。

 

〇片桐哲 (1888~?)

 キリスト教学者、教師。岩手県胆沢郡水沢大手町生まれ。同志社大学を経て、旧約聖書研究の第一人者となり、同志社女子専門学校校長、戦後は同志社女子大学学長となった。

f:id:tagutti:20210918145202j:plain

<片桐清治・哲像>

場所:山崎児童公園(岩手県奥州市水沢川原小路)

竣工:2007年10月

像高:

作者:伊藤馨一

撮影時:2020年9月24日

説明:レリーフ像である。哲が信条とした「信仰、希望、愛」の文字が上に掲げられている。