銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれてよじれて20年以上。日本中の銅像ハンティングは続きます…

沖縄県編    その6

〇泰期 (?~?)

 14世紀後半の琉球、中山王の察度の弟。天願按司。明との危険な交易を5回も成功させ、琉球の黄金時代を築いた。

<泰期像>

場所:残波岬公園(沖縄県中頭郡読谷村宇座1861)

竣工:2008年11月

像高:

作者:

撮影時:2024年1月6日

説明:近年は「おもろさうし」の宇座が泰期だとの説が有望。残波岬公園の岩場で、かっこよく中国方面を指さしている。

小渕恵三 (1937~2000)

 政治家。群馬県吾妻郡中之条町生まれ。衆議院議員(12期)、第84代内閣総理大臣総理府総務長官、沖縄開発庁長官、内閣官房長官、などを歴任。

小渕恵三像>

場所:万国津梁館沖縄県名護市喜瀬1792)

竣工:2001年4月

像高:

作者:西村貞

撮影時:2024年1月8日

説明:第26回主要国首脳会議(沖縄サミット)を企画したが、本人は4月に倒れ、5月になくなったため、出席は後任の森喜朗首相だった。万国津梁館(ばんこくしんりょうかん)は、ブセナ海中公園の一番奥にある施設で、写真を撮った日には開いてなかったが、トボトボ歩いていても従業員は何も言わなかったので、堂々と写真を撮ってきた。

 

程順則 (1663~1735)

 琉球王国第二尚氏時代の士族。琉球名は寵文。名護親方を務めた。琉球王国久米生まれ。謝恩使や進貢使として盛んに清に渡り、儒教を学び、「鴻儒」と評される。琉球で『六諭衍義』を刊行する。江戸幕府への謝恩使にも同行し、荻生徂徠近衛家煕とも交流する。1714年には琉球初の公的教育機関、「明倫堂」を開設を建議した。琉球の五賢人(伊波普猷と真境名安興が定める)に選ばれている。

程順則像>

場所:旧名護市博物館(沖縄県名護市東江1-8-11)

竣工:1966年春

像高:

作者: 後藤光行(金丸家喜)。鋳造は堺幸山

撮影時:2024年1月8日

説明:ここは旧名護市博物館で、新館は大中公園(沖縄県名護市大中4ー20ー50)に移転している。像は今後どうなるのだろう?名護から辺野古に抜ける国道329号線の長堂橋の欄干の両サイドにも程順則の座像がある。

 

 

〇具志堅宗精 (1896~1979)

 戦前の沖縄の警察官。戦後は宮古民政府知事(宮古支庁長)を経て、具志堅醤油合名会社(現(株)赤マルソウ)、沖縄ビール株式会社(現オリオンビール(株))を創業。「沖縄財界四天王」と称される。沖縄県那覇市生まれ。沖縄県社会福祉協議会会長を務めるなど、沖縄の社会福祉にも尽力した。

<具志堅宗精像>

場所:オリオンビール名護工場(沖縄県名護市東江2-2-1)

竣工:1971年9月

像高:

作者:長原武一郎

撮影時:2024年1月8日

説明:名護工場は、「ハッピーパーク」と言ってオリオンビールの工場見学と試飲ができる。自分は早朝に巡ったので、守衛さんに撮影の許可を取り(快くいただいた)、銅像だけ撮った。

 

〇大社義視(おおこそよしのり) (1915~2005)

 実業家。香川県大川郡津田町(現香川県さぬき市)生まれ。旧姓高松高等商業学校を中退後、叔父の経営する養豚組合に就職後、徳島市に「徳島食肉加工工場」を設立、戦後「徳島ハム株式会社」とし、大阪に拠点を移し、日本ハム株式会社とする。大の野球好きで、1973年にはプロ野球日本ハムファイターズ」のオーナーとなった。

<大社義視像>

場所:タピックスタジアム名護(沖縄県名護市宮里2-1)

竣工:2013年2月

像高:

作者:熊谷友児

撮影時:2024年1月8日

説明:日本ハムファイターズ(現北海道日本ハムファイターズ)は、名護市で春期キャンプを続けており、2013年に35年目を迎えたことから銅像を立てたという。

 

〇アグー豚 

 沖縄県琉球在来豚(またはそれを原種とした豚とラードタイプの産業種)。黒豚、島豚とも言う。中国から伝わったという。14世紀末頃から琉球で豚の飼育が始まったというが、弥生時代の具志川貝塚伊江島)で豚の骨が発掘されている。アグーという名称は、不明だが「粟国島」に由来するのではという説がある。日本本土の在来豚はほぼ全滅しており、外来種の影響をあまり受けていないアグー豚は貴重である。

<アグー豚像>

場所:名護市民会館(沖縄県名護市港2-1-1)

竣工:2013年9月

像高:

作者:

撮影時:2024年1月8日

説明:FRP像である。名護市にアグー豚の像があるのは、戦後アグー豚が沖縄から姿を消しそうになったとき、これを調査した名護市博物館が、北部農林高校や沖縄県畜産試験場を連携協力などして、戻し交配をして純血に近いアグー豚を復元したからである。

 

〇金城忠吉 (1894~1989)

 農政家。

<金城忠吉像>

場所:首里之屋記念館(沖縄県国頭郡本部町崎本部85)

竣工:2012年9月

像高:

作者:西村貞

撮影時:2024年1月7日

説明:像の脇の「農魂」の文字は息子さんの字。「首里之屋」は忠吉さんの屋号である。像を作ったのは息子さんか?

 

〇稲嶺一郎 (1905~1989)

 政治家、実業家。沖縄県国頭郡本部村出身。早稲田大学卒業後、満鉄や海軍で働く。戦後は沖縄人連盟に参加し、GHQとの交渉を担当した。石油販売の民間移管を交渉し、琉球石油(現りゅうせき)を創設した。これ以外にも沖縄の産業振興に尽力した。1970年から3期参議院議員を務める。稲嶺惠一元沖縄県知事の父である。

<稲嶺一郎像>

場所:健堅区事務所(沖縄県国頭郡本部町健堅1060)

竣工:1987年4月

像高:

作者:辻志郎

撮影時:2024年1月7日

説明:国道449号線からから一歩入った公民館前に立つ。ブログ用に調べ始めるまで、沖縄県知事をやった人と思っていたが、その父だったとは…。右手に何か持っているような…。