銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれてよじれて20年以上。日本中の銅像ハンティングは続きます…

沖縄県編   その5

2週間サボりました、ごめんなさい。先々週は北海道十勝へ、「タウシュベツ川橋梁」を見に行ってきました(もちろんこの地域の銅像も回っています)。先週は同窓会などがあって忙しかった…。これからも頑張りますので、よろしく!

 

〇中城若松(なかぐすくわかまつ) (?~?)

 玉城朝薫の組踊「執心鐘入」の主人公。15世紀琉球王国第二尚氏初代尚円王と安谷屋ノロとの間に生まれた子とされる。安谷屋若松(あだにやわかまつ)。父が即位すると、安谷屋城主となり、尚真王の即位後は首里に上がり、上間村の地頭職に任じられ、「上間親方」と呼ばれた。また「おもろさうし」にも謡われる。

<中城若松像>

場所:若松公園(沖縄県中頭郡北中城村安谷屋131)

竣工:1991年3月

像高:

作者:

撮影時:2024年1月6日

説明:若松公園は、「ユナハン」と呼ばれる丘陵にあり、頂上には中城若松の墓がある。像は公園入り口の門柱のような位置にあり、反対側には艶麗な「宿の女」の像がある。

 

〇奥間盛正  (1900~?)

 歌三味線奏者。。野村流および湛水流沖縄県中城郡嘉手納町生まれ。21歳から村芝居の地謡をなし、1956年野村流師範の免許皆伝となる。

<奥間盛正像>

場所:パティスリールージュそば(沖縄県中頭郡嘉手納町水釜151-1)

竣工:

像高:

作者:

撮影時:2024年1月6日

説明:像があるのはおそらく生誕地。国道58号線の水釜の交差点を入ってすぐのところで、門柱が閉まっているので像のそばに行けなかった。目印は像の裏手にある「パティスリールージュ」。今回は、たまたま交差点そばにある空き地に短時間停めて撮影した。嘉手納町のサイトでは眼鏡をかけている。

 

〇幸地亀千代(こうちかめちよ) (1887~1969)

 野村流の歌三味線奏者。沖縄県中城郡北谷間切生まれ。16歳の頃から野村流の手ほどきを受け、1949年に免許皆伝。野村流音楽協会の再建に尽力し、1963年には会長に就任した。

<幸地亀千代像>

場所:屋良城跡公園(沖縄県中頭郡嘉手納町嘉手納250-1)

竣工:1964年11月(現在地には2006年9月移設)

像高:

作者: 「武」

撮影時:2024年1月6日

説明:当初は水釜にあったという。さらに現在の「屋良城跡公園」も、もともと「嘉手納町立図書館」があったところで、その後「嘉手納青少年センター」となったが、それも移転し、現在は工事事務所が立つのみ。通常こうしたところは立ち入り禁止だが、ここは入り口に看板が立ち、「幸地亀千代像」を見たい人はお入りください、とのこと。なかなかいい試みであり、それだけこの像には参拝者(?)がいるということか?

 

野國總管 (?~?)

 琉球王国の北谷間切野国村の總管。元は「松」という農民だったという。16世紀末から17世紀初めに沖縄にサツマイモ栽培を始め、これにより沖縄の人々が凶作などで餓死することはなくなったという。

野國總管像>

場所:道の駅かでな(沖縄県中頭郡嘉手納町屋良1026-3)

竣工:1990年1月(2005年6月に現在地へ移設。当初は嘉手納商工会あたりにあったのではないか?)

像高:

作者: 喜友名朝紀

撮影時:2024年1月6日

説明:野國總管がサツマイモを沖縄に広めたのは、1605年だという。その後1615年に長崎へと渡り、18世紀には江戸で青木昆陽が普及に努めたという。よく見ると左手にサツマイモを持っている。また嘉手納町商工会研修等施設にも野國總管の立像(コンクリート製)があるが、これは国道58号線にあった像が、ある折に倒れてしまい、この地に移設されたらしい。

〇比嘉秀平 (1901~1956)

 官僚、政治家。沖縄県中城郡読谷村生まれ。早稲田大学卒業後、沖縄県で教員となり、戦後沖縄民政府に採用、英語ができることから1951年に琉球臨時中央政府行政主席となり、翌年琉球政府の初代行政主席となった。1956年に軍用地をめぐる島ぐるみ闘争が発生し、解決に追われるなか急死した。

<比嘉秀平像>

場所:大木公民館(沖縄県中頭郡読谷村大木294)

竣工:1981年8月

像高:

作者: 米治一

撮影時:2024年1月6日

説明:像を見ると右手がないが、幼いときの怪我で失ったという。大木公民館のそばに、旧国道58号線が走るが、道を改修中のようで、長い下り坂から公民館の方に行くには、遠回りが必要。

 

屋良朝苗 (1902~1977)

政治家、教育者。沖縄県中城郡読谷村生まれ。沖縄師範学校を卒業後、あちこちで教員を務め、戦後沖縄群島政府文教部長などを経て、1968年沖縄行政主席に就任した。1972年沖縄の本土復帰後、沖縄県知事を2期務めた。

屋良朝苗像>

場所:読谷村役場(沖縄県中頭郡読谷村座喜味2901)

竣工:2015年10月

像高:

作者:喜多敏勝(四津井工房)

撮影時:2024年1月6日

説明:読谷村役場は広大な丘の上にあり、芝生がふんだんに敷かれたところで、周りにはグラウンドが広がっているが、何か茫洋としていた。比嘉秀平氏に比べ、銅像化が遅れたのは、革新系だったからか?