銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれてよじれて20年以上。日本中の銅像ハンティングは続きます…

沖縄県編   その7

先週コロナに罹患してしまいました。何事も流行遅れが好きな人なのですが、今日現在夏は下がったものの、食欲と気力、体力がなかなか戻ってきません…。

さて、沖縄編の続きです!

 

〇上地完文 (1877~1948)

 武道家。沖縄の主要な空手の流派の一つ、上地流の創始者沖縄県国頭郡本部町生まれ。20歳で中国福建省へ渡り、武術を学ぶ。33歳で帰国するとしばらくは農業に専念していたが、47歳で和歌山県に就職、そこで武術の達人であることを知られ、武術道場を開いた。晩年に沖縄に戻ったが、その間息子たちが先に帰郷して上地流を指導していたため、沖縄に上地流が広まっていった。

<上地完文像>

場所:八重岳桜の森公園(沖縄県国頭郡本部町並里921)

竣工:2018年4月

像高:180㎝

作者:四津井工房

撮影時:2024年1月7日

説明:公園の一番奥、頂上付近に立つ。像は生誕地の伊豆見を向き、背後には終焉地の伊江島を眺める形で立てられたという。沖縄の空手において、重要な人物らしい。

 

〇平良新助 (1876~1870)

 明治期の沖縄県からのアメリカ移民。沖縄県国頭郡今帰仁村生まれ。当初自由民権運動に参加するも挫折、沖縄県からハワイへの移民調査に渡航し、移民として在留。その後カリフォルニアに移り、当地の日本人会、沖縄県人会の会長を務めた。

<平良新助像>

場所:平良新助生誕地(沖縄県国頭郡今帰仁村越路260)

竣工: 2015年11月

像高:

作者:喜多敏勝(四津井工房)

撮影時:2024年1月7日

説明:「ヒヤミカチ節」という沖縄民謡を作ったとも。像はクラウドファンディングで立てられたようである。

 

〇西島宗二郎 (?~?)

沖縄の琉球古典音楽野村流音楽協会の7代目会長。三線野村流第4代。沖縄県国頭郡今帰仁村生まれ。伊差川世瑞氏に師事するため、ここから那覇へと移住するなどしたそう。沖縄音楽は深し…

<西島宗二郎像>

場所:今帰仁村中央公民館前(沖縄県国頭郡今帰仁村玉城157)

竣工: 1970年9月

像高:

作者:

撮影時:2024年1月7日

説明:今帰仁村役場の交差点(仲宗根西)を今帰仁城址に向かって左折すると正面右側の窪地にいる。像は定期的に掃除をしているようだが、やはり沖縄、いろいろと付着しているものがある。前の広場では、野村流の演奏会も行われるらしい。周りの雰囲気は緩く、沖縄らしい感じである。

 

尚円王 (1415~1476)

 琉球王国第二尚氏王統の初代国王。即位前の名は金丸。伊是名島諸味生まれ。両親を早くに亡くしたが農業に専念。ところが干ばつ時にも彼の田だけ水が枯れず、盗水の嫌疑をかけられ、島を脱出し紆余曲折を経て那覇へ至る。ここでのちの尚泰久王に見いだされ頭角を現す。自らの領地を得るまでに出世した。さらに貿易長官に就任(この職は王への取次役も兼ねる)、王の側近として活躍した。尚泰久王の死後、その子尚徳王は悪政が続き、金丸も隠棲した。尚徳王の死後重臣は、その子ではなく金丸の即位を決め、尚円を名乗った。

尚円王像>

場所:尚円王御庭公園(沖縄県島尻郡伊是名村諸見)

竣工: 1995年10月

像高:

作者: 名嘉睦稔

撮影時:2024年1月7日

説明:この場所は、尚円王の生誕地である。また同じ伊是名島の「尚円王通水節公園(沖縄県島尻郡伊是名村仲田)」にも乗馬像(2015年1月:名嘉睦稔作)がある。こちらは、愛する女性のいる地から家路をたどる姿を現しているという。

伊是名島は、ほとんど島の人にも会わず、カラスの鳴き声以外音もほとんどしない静かなところでした。

 

〇ロルフ・V・スコアブランド (1904~1987)

ドイツ生まれでアメリカに移住した医師。1949年に在沖縄米国民政府公衆衛生部長に就任、ハンセン病の施設沖縄愛徳園の復興と患者の治療に献身した。任期を終えて52年に帰国するも、入園者の救済に奔走し、53年にはベルリン市民から園に「希望と自信」の鐘が贈られた。氏は68年に沖縄に永住し、さらに入園者の治療や社会復帰に尽力した。

<ロルフ・V・スコアブランド像>

場所:国立療養所沖縄愛徳園(沖縄県名護市済井出1192)

竣工:1978年 11月

像高:

作者: 舘岡勇夫(立体写真製造)

撮影時:

説明:青木恵哉と思っていったが、ロルフ・V・スコアブランドだった。後日調べると、青木像は「頌徳碑」の所に立つという。病院敷地内はコロナ禍で動きにくいので、これ以上の探索を諦めた。

 

〇山里将晃(やまざとしょうこう) (1931~2002)

 大学教授、琉球大学名桜大学教授を歴任。沖縄県国頭郡羽地村(玄沖縄県名護市)生まれ。沖縄の経済や交通を研究。沖縄の経済復興に尽力した。

<山里将晃像>

場所:屋我地ビーチ(沖縄県名護市屋我地122)

竣工:2000年11月

像高:

作者: 四津井工房(喜多敏勝)

撮影時:2024年1月7日

説明:弟子たちが生誕地に立てたようだ。左手に持つ厚い本が氏の業績を物語る。屋我地島のビーチ南東部の前なのだが、防砂林が邪魔をしてビーチは見えないし車を止めるところもないし(前の道は意外と車が通る)、苦労した記憶がある。

 

〇宮城善兵 (1906~1985)

 実業家、政治家。沖縄県国頭郡羽地村(玄沖縄県名護市)生まれ。若くして自動車会社を興し、戦後は琉球政府の陸運課長となり、陸運行政を仕切る。その後琉球政府立法議員となり戦災復興に尽力した。

<宮城善兵像>

場所:稲嶺公民館(沖縄県名護市稲嶺987)

竣工:1977年6月

像高:

作者:

撮影時:2024年1月7日

説明:日付を見る限り、寿像である。像は1976年に氏が勲章をもらった記念に作られたようである。よくあるパターンである。