銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれてよじれて20年以上。日本中の銅像ハンティングは続きます…

2018-06-01から1ヶ月間の記事一覧

銅像あるある その5

№5 銅像のある場所(1) 銅像は学校に立っていることが多い。しかし入りにくい。2001年に起こった附属池田小学校事件からのことだ。学校の就業日は校門が閉まっていて入れないことが多い。開いていても職員が校門付近にたむろしている時は諦める(シャイな…

高知県編 その25

山内浩 (1903<明治36>年~1982<昭和57>年) 愛媛県生まれの高知県教諭、愛媛大学教授。世界の洞窟の調査・研究者。日本の洞穴学とケービングの元祖。1931<昭和6>年、日本三大鍾乳洞の一つ、龍河洞の発見、探検をした。 <山内浩像> 場所:龍河洞入り口…

銅像あるある その4

№4 銅像に付く鳥の糞問題 銅像は公園や道路わきに屹立していることが多い。そこは鳥たちにとって最高の憩いの場となっている。なので、銅像の頭や肩にべったりと鳥の糞が付いていることが多い。鳥の糞には我々の尿と便の両方が含まれているのが、銅像はブロ…

高知県編 その24

濱口雄幸 (1870<明治3>年~1931<昭和6>年) 高知県出身の戦前の大蔵官僚、政治家。第43代内閣総理大臣。立憲民政党の総裁。「ライオン宰相」と呼ばれた。1930年4月東京駅で暴漢に狙撃され、それが基で翌年死亡した。 「雄幸」は、父親が酩酊していたため…

銅像あるある その3

№3 銅像の写真が撮れない(1) 駅にある銅像は、結構な目印となるので待ち合わせ場所に使われるケースが多い。なので、せっかくの銅像なのに、遠くからそのために来ているのに、待ち合わせの人が退いてくれなくて、写真の撮れないことが多い。中には気を利…

高知県編 その23

牧野富太郎 (1862<文久2>~1957<昭和32>) 土佐(高知県)出身の植物学者。「日本の植物学の父」と言われ、近代植物分類学の権威。『牧野日本植物図鑑』などの著作も残す。小学校中退ながら理学博士の学位も得た。 <牧野富太郎像1> 場所:高知市五台山4…

銅像あるある その2

№2 銅像の存在が認知されていない 人物としては結構メジャーな人の銅像を探しにゆき、街中でようやく見つける。写真に撮っていると、ほかの人はその銅像の存在に初めて気が付いたような行動をする。例えば、私の立ち去った後で、銅像の説明書きをしげしげと…

銅像あるある その1

高知県シリーズが終わったわけではありませんが、時々違うこともしたくなります。そこで別シリーズで「銅像あるある」を… №1 「銅像探し」 銅像愛好の士は少ない。したがって銅像情報も少ない。私が銅像探索を始めた頃、銅像の情報は個人出版の銅像本ぐらい…

高知県編 その22

野村茂久馬 (1870<明治2>年~1960<昭和35>年) 近代の実業家。「土佐の交通王」と呼ばれ、高知県の開運・陸運に貢献した。高知県交通の前身である「野村組交通部」の創設者。浦戸港の整備、高知鉄道・土佐商船の設立などに力を尽くす。昭和初期に本四連絡…

高知県編 その21

野中兼山 (1615<元和元>年~1664<寛文>年) 江戸時代初期の土佐藩家老。谷時中に朱子学(南学)を学び、実践に努めた。多くの改革で藩を助けたが、過酷な労働を強いて領民の恨みを買い、最後は藩内から糾弾され失脚、一族が絶えるまで家族全員が幽閉され…

高知県編 その20

〇義堂周信(1325<正中2>年~1388<元中5/嘉慶元>年) 絶海中津(1334<建武元>年~1405<応永12>年) 義堂周信:南北朝時代から室町時代前期の臨済宗の僧。夢窓疎石の門弟。京都で修業後鎌倉に下向し、鎌倉公方足利基氏や関東管領上杉氏に禅宗を教える…