銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれてよじれて20年以上。日本中の銅像ハンティングは続きます…

高知県編 その21

野中兼山  (1615<元和元>年~1664<寛文>年)

 江戸時代初期の土佐藩家老。谷時中に朱子学(南学)を学び、実践に努めた。多くの改革で藩を助けたが、過酷な労働を強いて領民の恨みを買い、最後は藩内から糾弾され失脚、一族が絶えるまで家族全員が幽閉された。新田開発、土木事業(手結港)などその功績は大きい。

 

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<野中兼山像1>

場所:帰全山公園(長岡郡本山町本山)

竣工: 1969(昭和44)年

像高:

作者:

撮影時: 2012年1月9日

説明:高知県の山の中、本山町の中心にある帰全山公園にある。左手に地図を持ち、工事の指揮を執っている姿だそうだ。

 この地は兼山の所領であり、初めて納めた地。母の秋田夫人の墓所があり、近くには兼山を顕彰した兼山廟もある。

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<野中兼山像2>

場所:高知市春野町秋山(兼山の郷公園)

竣工:

像高:

作者:

撮影時: 2012年1月7日

説明:この地は兼山が八田堰を作り、仁淀川から取水して用水路を作り、またその流路の段差を調整するために「新川の落とし」を作ったところで、結果として春野地区に多くの新田が開墾された(兼山を祀る春野神社もある)。この用水路は単なる農業用水だけでなく、高知城下への輸送路の役割を果たしたようである。

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