〇宮里松次 (1918~?)
官吏、政治家。沖縄県国頭郡東村生まれ。訓導、兵役を経て、東村助役となり、1962年から4期無投票で村長となる。琉球政府立法院議員ともなる。東村の経済発展のため、パインアップルの生産をすすめる。また「つつじの森」(現つつじエコパーク)を作った。
<宮里松次像>
場所:東村つつじエコパーク(沖縄県国頭郡東村平良766-1)
竣工:1997年 12月
像高:
作者:熊谷友児
撮影時:2024年1月8日
説明:つつじエコパークの南側の丘の上(つつじ園の方)に立つ。場所がわからずけっこう彷徨ってしまったが、シーズンではないので、ほとんど人に会わなかった。
〇島袋正雄 (1922~2018)
歌三味線奏者。沖縄県国頭郡東村生まれ。野村流古典音楽を学び、宮平三栄、幸地亀千代師に師事、野村流古典音楽協会会長となった。2000年に人間国宝となる。
<島袋正雄像>
竣工:2012年5月
像高:
作者:喜多敏勝(四津井工房)
撮影時:2024年1月8日
説明:慶佐次公民館の駐車場に立つ。前回訪問時と同じように、沖縄本島北部は、時間がゆっくりと過ぎるように感じた。
〇新里善助 (1882~1981)
教諭、官吏、政治家。1917年に金武村村長(3期)となり、交通網の整備、教育行政などに貢献し、その後村長を降りると村議会議員となった。戦後1945年に惣慶(そけい)市長(惣慶市は難民収容所を行政的に運営したもの。沖縄県内に16ヶ所あったそう)、1947年に再度村長(宜野座村)なり、戦後処理に尽力した。
<新里善助像>
場所:宜野座村総合運動公園(沖縄県国頭郡宜野座村宜野座1867)
竣工:1977年12月
像高:
作者:岩野勇三(鋳造は平野進)
撮影時:2024年1月8日
説明:当初この沖縄銅像巡りは、2月初旬を計画していた。その場合プロ野球のキャンプに重なってしまうため、各球団のキャンプ地を確認した。宜野座は阪神タイガースのキャンプ地であり、この像のある「宜野座村総合運動公園」は、まさにその中心であるため、少し心配したものである。1月初旬に回ってみると、閑散としており、真っ昼間ながらほとんど人に会わなかった。
〇松岡政保 (1897~1989)
実業家、政治家。沖縄県国頭郡金武町出身。もともとの姓は「宜野座」。アメリカ留学後、沖縄製糖で工場長となる。戦後1964年に沖縄民政府の第4代行政主席となる。その後松岡建設、松岡配電(のち沖縄電力に合併)を創業、1972年には沖縄電力(株)の初代社長となる。
<松岡政保像>
竣工:1971年
像高:
作者:
撮影時:2024年1月8日
説明:この場所は、銅像の銘板によれば、松岡の生誕地である。彼の銅像は沖縄電力本店(沖縄県浦添市牧港5-2-1)の敷地内にもあるが、入れないだろう。
〇當山久三 (1868~1910)
社会運動家、政治家。琉球王国金武間切(現沖縄県国頭郡金武町)生まれ。師範学校卒業後、尋常小学校の教諭となるが、本土出身の同僚教員の沖縄人差別に抗議して、職を辞した。その後並里総代となり、地域問題に尽力するが反対派も多く、これも辞して晴耕雨読の生活に入る。その後東京に出て、沖縄の食糧・人口問題の解決は、海外移民事業が必要と気づき、1899年にハワイ移民を成功させた。1909年に沖縄県会議員となった。
<當山久三像>
竣工: 1961年9月(当初像は1931年に作られたが、戦時中の金属供出で撤去)
像高:
作者:
撮影時:2024年1月8日
説明:像の裏には、「當山記念館」が建つが、1935年に建てられた沖縄でも数少ない鉄筋コンクリート製であった。2016年にリニューアルされ、国登録有形文化財に登録されている。今回は閉まっていたので入れなかったが、中には当初の當山像のレプリカがある模様…。