〇船山啓次郞 (1882~1956)
教師、政治家。旧田子浦村会議員から田子浦村長。静岡県富士郡田子浦村(現静岡県富士市)生まれ。田子の浦港修築期成同盟会をつくり、地元や県、国へと呼びかけ、現在の田子の浦港をもたらした。また町村合併にも尽力四、富士市の実現に貢献した。

<船山啓次郞像>
竣工:1968年5月
像高:
作者:堤達男
撮影時:2025年3月7日
説明:本当は景色が良いところなのだろうが、思ったよりもこの日の行程をこなすのに時間がかかり、3月と言うこともあり、真っ暗に近かった。写真も暗い。
〇齋藤寿夫 (1908~1999)
政治家、官僚。静岡県富士郡田子浦村(現静岡県富士市)生まれ。静岡県知事(4期)、衆議院議員(1期)、参議院議員(1期)を歴任。京都帝国大学法学部卒業後、内務省その後厚生省に入った。戦後静岡県に勤め、知事となった。

<齋藤寿夫像>
竣工: 2016年11月
像高:
作者:堤達男
撮影時:2025年3月7日
説明:船山啓次郞像と並んで立っている。昼間なら田子の浦港越しに富士山が見えるのだろうね。
〇エフィム=プゥチャーチン (1803~1883)
ロシアの海軍軍人、政治家。サンクトペテルブルク出身。海軍士官学校を卒業後、ギリシャ独立戦争、コーカサス戦争などで軍功をあげ、アヘン戦争後にロシアの極東地域への影響力を高めるために、清・日本への交渉を進言し、1852年日本へと向かった。1855年日露和親条約の調印に成功した。1858年には日露修好通商条約の締結もしている。

<エフィム=プゥチャーチン像>
竣工:1978年4月
像高:
作者:
撮影時:2025年3月7日
説明:和親条約の調印に向け、下田港に停泊中に、安政東海地震(1854年12月23日)に遭い、旗艦ディアナ号も大破、乗組員にも死傷者が出た。幕府と交渉して、舟の修理をするために伊豆の戸田村(現沼津市)に向かったが、ディアナ号は曳航中に宮島村(現富士市)付近で浸水沈没してしまう。このときに周囲の村民が乗組員を救うなど、交流を深めた。ここのプゥチャーチン像の脇にある錨は、もともとのディアナ号のものである。
富士市の広見公園(静岡県富士市伝法字土手内46-1)にもプゥチャーチン像がある。

〇曾我兄弟
略(前掲)

<曾我兄弟像>
竣工:1992年5月
像高:
作者:四津井工房
撮影時:2025年3月7日
説明:鷹丘山福泉寺という(富士市には柳島にも福泉寺がある)。境内に曾我兄弟の墓がある。本来は凡夫川の右岸にあったが、いつだか洪水で流され現在の場所に移ったという。なお県道414号線をはさんで北側にある曾我八幡宮にも曾我兄弟像がある。こちらは子ども姿である。

〇望月軍四郎 (1879~1940)
実業家。静岡県富士郡大宮町(現静岡県富士宮市)生まれ。株式取引で成果を上げると、中国研究のために慶應義塾に「望月支那研究基金」を設ける。日清生命保険、京浜電気鉄道、湘南電気鉄道、横浜倉庫、京浜地下鉄道などの取締役社長や会長を歴任、また慶應義塾の特別塾員(慶応を卒業していないので)や地元に大宮工業学校、大宮商業学校(現静岡県立富士宮北高等学校)などの開校に尽力した。

<望月軍四郎像>
場所:富士宮商工会議所(静岡県富士宮市豊町18-5)(※写真は市民文化会館時代のもの)
竣工:1989年
像高:
作者:冨田眞州
撮影時:2007年5月27日
説明:かつて富士宮市市民文化会館にあったが、2024年に移築したらしい。現在市民文化会館は建替え中である。富士宮北高校(富士宮市宮北町230)には胸像がある。
〇流鏑馬

<流鏑馬像>
竣工:
像高:
作者:
撮影時:2025年3月7日
説明:富士本宮浅間大社では、「浅間大社流流鏑馬式」がおこなわれる。源頼朝が奉納したことから始まる、800年にわたる伝統的な流鏑馬である。