銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれてよじれて20年以上。日本中の銅像ハンティングは続きます…

静岡県編    その12【更新】

〇大村西崖  (1868~1927)

 美術史家、評論家。駿河国富士郡水戸島村(現静岡県富士市)生まれ。塩沢家に生まれたが、若くして大村家に養子に入った。東京美術学校(現東京芸術大学)彫刻科を卒業後、教員や雑誌編集者となる。1896年に母校東京美術学校助教授に就任、1905年には教授となった。「彫塑」のことばは西崖が発明した。

<大村西崖像>

場所:富士川ふれあいホール(静岡県富士市岩淵855-39)

竣工:1928年

像高:

作者:朝倉文夫

撮影時:2025年3月7日

説明:県道396号線が富士川を渡り、左に折れてすぐのところにある。富士川のほとりの川沿いにある。なお東京芸術大学、朝倉彫塑館にも胸像がある(おそらく同鋳型)。

 

加藤和作 (1885~1962)

 農政家、政治家。静岡県庵原郡八木間村(現静岡県静岡市)生まれ。柑橘類の栽培に従事し、八木間農産物組合、庵原郡農産物出荷組合連合会の創設に尽力し、昭和に入ると、日本柑橘生産組合連合会を創設、北米への輸出を図る。戦後は日本果実協会、静岡県果実協会を作り、戦争で荒廃した県下柑橘業の復旧に尽くした。興津町長にもなった。

加藤和作像>

場所:JAしみず興津支店(静岡県静岡市清水区興津中町1345-3)

竣工:1966年3月

像高:

作者:堤達男

撮影時:2021年3月28日

説明:興津は薩埵峠の出口(東京から見て)に当たるところなのだが、銅像巡りだけやっていると、全然気づいていない。写真を見ると私が映り込んでいますね…

 

塚口勇作 (1899~1974)

 農政家。政治家。静岡県庵原郡興津町(現静岡県静岡市)生まれ。戦後県果実協会、県柑橘農協連合会を作り、会長となる。日本園芸農協連合会会長にもなる。静岡県議会議員となり、議長も務める。

塚口勇作像>

場所:JAしみず興津支店(静岡県静岡市清水区興津中町1345-3)

竣工:1973年12月

像高:

作者:堤達男

撮影時:2021年3月28日

説明:ネットを見ていたら、静岡ミカンは徳川家康の頃からあり、明治に入ると温州ミカンの栽培が盛んとなるが、戦争では食糧増産のためにミカン畑はムギヘ転換されたらしい。しかし戦後加藤氏や塚口氏らの努力で黄金期を迎えるも、西日本地区の増産などからずっとミカン農家は苦しいらしい。

 

〇柴田勇作 (?~?)

 農政家。清水市内(当時)の九農協の合併(JAしみず)を実現した。

<柴田勇作像>

場所:JAしみず本店(静岡県静岡市清水区庵原町1)

竣工:1983年10月

像高:

作者:

撮影時:2021年3月28日

説明:なお、すぐそばの庵原支店には、着座の二宮尊徳像がある(未撮影)。

 

井上馨 (1836~1915)

 幕末の武士、明治期の政治家、実業家。周防国吉敷郡湯田村(現山口県山口市)生まれ。幼名は勇吉、通称は当初友次郎、のちに文之輔。さらに毛利敬親から聞多を拝命する。諱は惟精(これきよ)。井上家、養子に入った志道家ともに長州藩内では価格の高い家であり、明倫館で学んだ(松下村塾には行っていない)。高杉晋作伊藤博文らと結び、薩長同盟にも関わる。明治維新後は民部省、大蔵省を実質支え、工部卿、外務卿、参議などを歴任する。内閣制度発足後は外務大臣(条約改正に関わる)、農商務大臣、内務大臣、大蔵大臣など軍務系を除いてほとんどの大臣を務めた。晩年は元老として活躍した。

井上馨像>

場所:清水清美潟公園(静岡県静岡市清水区興津清見寺町)

竣工:1978年11月(元像は1910年の立像。渡邉長男と朝倉文夫の作)

像高:

作者:渡邉長男と朝倉文夫 (当初の立像の余財で作った座像)

撮影時:2021年3月28日

説明:興津に別荘「長者荘」を作り、ここで没した。戦前は背後の米糠山(長者山)に5㍍弱の銅像があったが、戦争中の金属供出で失われた(岡崎雪聲作のミニチュアが多く出回り、静岡市歴史博物館にもある)。今この地には静岡県埋蔵文化財センターが建つ(公園の北西奥にあり、今も庭が残る)。今ある座像は、上記書いたとおり、渡邉長男が作り、朝倉文夫が補作したもので、当初あった立像と同じ作者であり、井上家が持っていたもの。井上がこの地に別荘を作った事から別荘ブームが起こり、西園寺公望は坐漁荘を建てた。なお近くにある水口屋ギャラリー(フェルケール博物館別館:清水区興津本町36)にも井上馨像がある(おそらく上記の岡崎雪聲の作。撮影禁止)。なお水口屋は東海道興津宿の脇本陣だった施設(明治以降は旅館。1985年に廃業)である。

 山口県山口市の生誕地である井上公園(山口県山口市湯田温泉2-5)にも立像がある。こちらは1912年に東京の井上邸のものを移築(1912年)だが、戦争中に金属供出で失われ、1956年に再建された(河内山賢佑作)。

img171.jpg

上記写真は、雨宮清子さんのブログ「力石に魅せられて 姫は今日も石探し」(2016年 10月17日「密航」)から転載させていただきました。画面中央が井上馨の別荘「長者荘」。画面左上の赤丸のところが、5㍍の井上馨像です。天草の大矢野島の「天草四郎像」が15㍍。霧島市西郷隆盛像が10.5㍍ですので、それに相当する大きさだったんですね。

 

〇丹羽廉芳 (1905~1993)

 僧侶。静岡県田方郡修善寺村(現静岡県伊豆市)生まれ。東京帝国大学文学部を卒業。静岡市一乗寺、龍雲院の住職を歴任し、1985年に福井永平寺の77世貫主となる。道号は「瑞岳廉芳」。

<丹羽廉芳像>

場所:一乗寺静岡県静岡市清水区庵原町1937)

竣工:

像高:

作者:

撮影時:2007年5月27日

説明:石像である。当時は「朝比奈信置」として登録したが、丹羽廉芳であった。