あけましておめでとうございます。先週は、沖縄遠征をしていてお休みでした…💦。沖縄県編もそのうちにご紹介しましょう!
〇石井十次 (1865~1914)
明治期の慈善事業家。日向国児湯郡上江村(現宮崎県児湯郡高鍋町)生まれ。岡山孤児院を創設、「児童福祉の父」と呼ばれる。海軍士官を目指して東京の攻玉社に入るが、病気で断念、故郷へと帰る。教員や事務職を経て、岡山の医学校に入学、その頃に孤児を引き取り、これをきっかけに孤児救済をはじめる。岡山孤児院を設立、その後学校化する。日露戦争、東北の凶作などで多くの孤児を受け入れ、故郷の宮崎県に孤児院を移す。その後に持病の悪化から永眠するも、支援者の大原孫三郎により大阪で社会福祉法人「石井記念愛染園」となり、事業は継続した。
<石井十次像>
竣工:1992年7月
像高:
作者:田中等
撮影時:2022年3月30日
説明:出身に近い児湯郡高鍋町上江(中央公園=1981年:宮本隆)と故郷(宮崎県児湯郡木城町椎木644-1)には「社会福祉法人石井友愛社」があり、石井十次の墓所と胸像がある。
〇岩切章太郎 (1893~1985)
事業家。宮崎県宮崎市出身。宮崎交通グループの創設者。日南海岸にフェニックスを植えるなどして、「宮崎観光の父」と呼ばれる。
<岩切章太郎像>
竣工:1988年 5月
像高:
作者:平原孝明
撮影時:2022年3月30日
説明:宮崎県の観光、特に「新婚旅行」を引き込んだのは、この人と黒木博なのだろう(この人の像があることは、このブログを書いているときに気づいた。宮崎県総合運動公園内にある。
〇サイラス・A・クラーク (1859~1933)
アメリカ人のキリスト教の宣教師。1891年に伝道のために来日、翌年から宮崎市の広島通りに住み、布教活動を続けた。また幼稚園、日向訓盲院(現在の県立視聴覚支援学校)を開設、妻は英語や洋裁、西洋料理を教えるなど、幅広い社会奉仕活動に携わった。
<サイラス・A・クラーク像>
場所:栄町街区公園(宮崎県宮崎市別府町5)
竣工:1967年2月
像高:
作者: 三坂耿一郎?
撮影時:2022年3月30日
説明:公園の北側の通りが「クラーク通り」と命名されるほど、地域に愛されていたことがわかる。実際は子どもたちとの群像となっている。
〇相川勝六 (1891~1973)
官僚および政治家。佐賀県藤津郡嬉野村(現佐賀県嬉野市)生まれ。東京帝国大学法科大学を卒業後、内務省に入省、徳島、神奈川県警本部長から内務省警保局保安課長となる。その後宮崎県知事、愛知県知事、愛媛県知事を歴任。1944年の小磯内閣では、厚相となるが、戦後公職追放、追放解除後には宮崎県から出て衆議院議員(8期)となる。宮崎県知事時代に、高鍋に化学工業、日南に日本パルプ工業などの誘致、県営の水力発電所の建設などをした。
<相川勝六像>
場所:平和台公園南入口付近(宮崎市下北方高下6128-12)
竣工:1974年4月
像高:
作者: 菊池一雄
撮影時:2022年3月30日
説明:平和台公園内ではなく、その南側の寂しい入り口付近に立つ。全く整備されてなく、今の位置づけがよくわかる。
〇ヴィンセンチオ・チマッティ (1879~1965)
イタリア生まれの司祭、宣教師、教育者。ファエンツァ生まれ。サレジオ教会に入り、その後は音楽や自然科学、哲学などの博士号も取得する。1923年に来日、宮崎教会の主任司祭に着任、東九州に多くの教会を作り、中津にあった神学校を宮崎に移転させた。これが現在の日向学院である。東京でも活動し、サレジオ短期大学などを作った。
<ヴィンセンチオ・チマッティ像>
竣工:
像高:
作者:
撮影時:2022年3月27日
説明:日向学院の門をくぐると右側の体育館脇にいる。
〇関水健治 (1884~1970)
日向訓盲院を創設した。
<関本健治像>
場所:県立明星視聴覚支援学校(宮崎県宮崎市島之内1390)
竣工:1995年8月
像高:
作者:米林勝二
撮影時:2022年3月27日
説明:この学校は、日豊本線の日向住吉の駅に近く、校門をくぐるとすぐ右側にいる。像の様子からすると、この方も盲人だったようだ。
〇島津啓次郎 (1857~1877)
幕末から明治初期の士族。日向国佐土原(現宮崎県宮崎市佐土原町)生まれ。佐土原藩主島津忠寛の三男。東京で勝海舟の門下となり、薩摩藩の留学生としてアメリカに渡る。帰国後故郷に私塾を開き、アメリカ式の教育をする。この頃西郷隆盛と面識を得る。1877年に西南戦争が勃発すると、西郷の元に駆けつけ「佐土原隊」を作って奮戦するも敗戦。西郷とともに戦死した。
<島津啓次郎像>
場所:広瀬中学校(宮崎県宮崎市佐土原町下田島20305-12)
竣工:1963年3月
像高:
作者:
撮影時:2022年3月27日
説明:コンクリート像である。像のタイトルは「少年像」であるが、当時の廣瀬中学校の卒業生が「島津啓次郎の少年時代」をモデルに作った。
略
<伊東マンショ像>
竣工:1996年 8月
像高:
作者:平原孝明
撮影時:2022年3月27日
説明:ほかに西都市歴史民俗資料館(西都市妻1242-1=1962年:莞爾と読めるが)に胸像がある。少年ぽいが凜々しい像である。
〇瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)&木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)
日本神話の神。地神五代の三代目(初代は天照大神)。この地神の最後の三代を「日向三代」とも呼ぶ(瓊瓊杵尊・火折尊・鸕鶿草葺不合尊)。高皇産霊尊の命により日向国の高千穂峰に降り立った。その後木花開耶姫(地上界の神、大山祇神の娘。彼は求愛した瓊瓊杵尊に対し、姉の石長比売と共に嫁がせようとしたが断られたために、天孫の子孫に寿命が生じたとされる)を娶った。二人の間には火闌降命・彦火火出見尊らが生まれた。
場所:あいそめ広場(宮崎県西都市小野崎1-76)
竣工:おそらく2003年
像高:
作者:(株)昭和装飾によるFRP像である。「H・KUBO」の署名がある。
撮影時:2022年3月27日
説明:「ひむか神話街道」の観光プロジェクトが2003年に企画され、そのモニュメント群の一つとして作られたようだ。この会社は2021年に廃業している…。