〇児玉久右衛門 (1688~1761)
江戸時代中期の治水家。日向国穂北郡三宅村(現宮崎県西都市)生まれ。地域の水不足の解消のため、資材を投じて、灌漑用水と杉安井堰を作った。結果600町歩の水田が開かれた。
<児玉久右衛門像>
竣工:1935年4月 (1957年再建)
像高:
作者:桑野元次郎・桑野源吉
撮影時:2022年3月27日
説明:石像。戦前の像であるが、戦時中の金属供出により戦後石像で再建された。杉安地区においては、大いなる偉人なのであろう。
〇平原美夫(ひらばるよしお) (1911~1975)
美術教師。県立高鍋高校野球部監督。宮崎県東臼杵郡東郷町(現宮崎県日向市)生まれ。「オニ」と言われた猛練習で1954年、高鍋高校の甲子園初出場を実現させた。そこまで宮崎県は全国唯一の甲子園未出場県だったという。結局高鍋高校は春3回、夏4回の甲子園出場を勝ち取った。
<平原美夫像>
竣工:1987年4月
像高:
作者:田中等
撮影時:2022年3月27日
説明:経緯からすると、銅像は高鍋高校に立てられるのだけど…と思ったら、町営高鍋野球場は、1954年の高鍋高校甲子園出場を記念して作られたそうで、グラウンド面積や方角などは甲子園と同じなのだそうだ。近年は高鍋高校は私学に押され、甲子園出場から遠ざかっている(1983年が最後)が、6回出場は県では第3位である(1位は宮崎学園、2位は都城。いずれも私学)。
〇柿原政一郎 (1883~1962)
政治家。衆議院議員(1期)。その後宮崎市長、高鍋町長を歴任した。宮崎県児湯郡高鍋村(現高鍋町)生まれ。高鍋町長時代に私費で図書館を建設し、戦後は図書館長に就任した。ほかにも南九州化学株式会社、宝酒造などの誘致、県内初の老人ホームの設立、石井記念友愛社創設など高鍋の多方面の発展に貢献している。
<柿原政一郞像>
場所:柿原政一郞記念高鍋図書館(宮崎県児湯郡高鍋町南高鍋551)
竣工:1956年1月
像高:
作者:宮本隆
撮影時:2022年3月27日
説明:旧武家屋敷街のような所の一角に図書館はある。施設は建て替えられているが、胸像のある一角には白塗りの蔵が2棟並び、往事の様子が見て取れる。
〇秋月種茂 (1743~1819)
江戸時代中~後期の日向国高鍋藩主(第7代)。江戸生まれ。米沢藩主上杉治憲(鷹山)の実兄である。藩校「明倫堂」を創設し、人材育成に努めた。また藩の財政再建に成功した。現在の児童手当に当たる制度を世界に先駆けて実施したとも言われる。
<秋月種茂像>
竣工:2001年9月
像高:
作者:田中等
撮影時:2022年3月27日
説明:高鍋町の町制施行100周年を記念して、地元の南九州大学が設立した。なお、高鍋町の「高鍋温泉めいりんの湯」(児湯郡高鍋町上江6900:1999年11月=田中等)にも胸像がある。コロナ真っ盛りの時なので、マスクをつけているのは致し方ないか…。
〇上杉治憲(鷹山)
略
<上杉治憲(鷹山)像>
竣工:2001年9月
像高:
作者:田中等
撮影時:2022年3月27日
説明:高鍋町の町制施行100周年を記念して、地元の南九州大学が設立した。入り口の脇に2体の像が並んで立っている。上杉鷹山と高鍋?と思ったが、当時の藩主の弟が上杉鷹山だったのである。そりゃ優秀なわけだ。
高鍋町は落ち着いた静かないい町でした。
〇塩月畩太郎(しおつきけさたろう) (1885~1963)
林業家。都農町のために私財を投げ打ち、都農神社の拡張や戦後の引き揚げ者への支援、公会堂(塩月記念館)を建設するなど、公共福祉に貢献した。
<塩月畩太郎像>
竣工:1959年12月
像高:
作者:白石盛香
撮影時:2022年3月27日
説明:町役場のすぐ脇に「塩月記念館」がある。昔のお金持ちは地域に多大な貢献をしたことがわかる。こうした人物が銅像になることは何の異論もない…。
〇孔子
略
<孔子像>
場所:日向市文化交流センター(宮崎県日向市中町1-31)
竣工:1996年2月
像高:
作者:
撮影時:2022年3月27日
説明:中国の濰坊市(いほうし:山東省)と日向市の友好都市締結10周年に濰坊市から贈られたもの。濰坊市は有名な歴史文化都市であり、周の初期に太公望が都城を定め、以降各王朝において重要視された。凧揚げでも有名らしい。特に日向市と似たところとかがあるわけではない。
〇菊池定・峰子 (?~?)
定は社会福祉法人玉峰会初代理事長。妻の峰子は特別養護老人ホーム牧水園の初代園長。
<菊池定・峰子像>
場所:特養老人ホーム牧水園(宮崎県日向市東郷町山陰丙1422-2)
竣工:2010年 9月
像高:
作者:田畑功
撮影時:2022年3月27日