〇日高亀市 (1845~1917)
実業家、漁業技術改良者。日向国臼杵郡赤水村(現宮崎県延岡市)生まれ。網元の家に生まれた。当時生まれたあたりは、イワシやアジ、それを追ってブリの大群も押し寄せるような良漁場であったが、ブリを効率よく捕ることがなかなかできずにいた。そこで「ブリ沖廻刺網」を完成させ、週に5万尾ものブリの捕獲に成功した。さらに「日高式大敷網」を発明し、「水産界の革命」と呼ばれ、イギリスでも1等を取った。こうしたことから「ブリ御殿」を建て、貴族院議員となった。
<日高亀市像>
竣工:
像高:
作者:
撮影時:2022年3月27日
説明:石像である。土々呂湾を見下ろしている。逆光で何も見えないが…。碑文も剥がされていたが、おそらく当初立てられた銅像が、金属供出か何かで無くなり、戦後に石像で復活したのではないか?
三松緑地は、亀市の「ブリ御殿」(現在は国の重要形文化財で料亭ひだかをやっている)よりも駅(土々呂駅)に近い干潟近く。「三松公園」と看板があるところ。日高家が延岡市に寄贈したところで、かつては「三松閣」という料亭があったらしい。
〇佐藤平太郎 (?~?)
政治家?
<佐藤平太郎像>
場所:延岡市役所北川支所(宮崎県延岡市北川町川内名7250)
竣工:
像高:
作者:
撮影時:2022年3月27日
説明:旧北川町役場の入り口に立つ。
略
竣工:
像高:
作者:
撮影時:2022年3月28日
説明:愛宕山は「笠沙山」とも呼ばれ、夜景のキレイな山(「夜景百景」「日本夜景遺産」に認定)。天から派遣され、高千穂の峰に降り立ったニニギノミコトは、稲作の地を認めてここ笠沙山を訪れる。その際に絶世の美女のコノハヤサクヤヒメと出逢い、恋に落ちたという。それにちなみ、「鍵かけモニュメント」が作られたが、その先に二人のFRP像が鎮座している。大きく見えるが、実際はこんな感じ…。
なお、ニニギノミコト陵墓参考地(延岡市北川町長井)には、例の「ひむか神話街道」の「瓊瓊杵尊」像(FRP)がある。
〇小林乾一郎(こばやしけんいちろう) (1845~1929)
教育者、政治家。日向国臼杵郡延岡生まれ。横浜で英語教師をした後、帰郷し、延岡社学(亮天社)の英語教師となる。ここで女子教育を推進した(「女子教舎」)。のち宮崎県会議員から県議会議長を経て、衆議院議員となる。また民有林国有化に反対し、その確保に尽力した。
<小林乾一郎像>
竣工:1965年6月(2014年に現在地に移転)
像高:
作者:「LINGO」サインあり
撮影時:2022年3月28日
説明:愛宕山の駐車場脇の広場にいる。
〇日吉幾治 (1864~1950)
政治家。宮崎県の恒富村村長として、日本窒素肥料延岡工場(現旭化成延岡工場)を誘致した。また延岡南方の既存用水路を岩熊井堰と一本化した。のち延岡町長。旧姓は尾崎。
<日吉幾治像>
竣工:1957年10月
像高:
作者:
撮影時:2022年3月28日
説明:愛宕神社の下、参道の入り口の右上の所にいる。きれいなのだが70年ほど前の像となる。見た感じ作り直した感がある。
〇木村伊豆雄 (1848~?)
愛宕神社の宮司。日向国東臼杵郡北方村(現宮崎県延岡市)生まれ。
<木村伊豆雄像>
竣工:1937年4月
像高:
作者:
撮影時:2022年3月28日