〇平多宏之 (1939~2013)
舞踏家、教育者。岐阜県木曽郡上松生まれ。平多正於舞踏研究所を経て、岐阜県中津川市にかやの木芸術舞踏学園を主宰する。全国舞踏コンクールで数多くの賞を受賞。
<平多宏之像>
場所:かやの木芸術舞踏学園(岐阜県中津川市かやの木町4-17)
竣工:
像高:
作者:
撮影時:2023年3月26日
説明:中津川市役所のすぐ裏というか東側の学園の入り口にいる。私が行ったときは写真のように花束が掲げてあった。ダンスという生業をしていたせいか、大変モダンな像である。
〇ウォルター・ウエストン (1861~1940)
イギリス人宣教師、登山家。英国山岳会、ロンドン日本協会、王立地理学会会員。日本山岳会名誉会員。イギリスダービー市生まれ。1888年に宣教師として来日し、日本の多くの山に登りこれを紹介、特に日本アルプス(飛騨山脈・木曽山脈・赤石山脈の総称)を紹介した。特に上高地は、ウエストンによって「再発見」されたとし、毎年6月に「上高地ウエストン祭」が催されている。
<ウォルター・ウエストン像>
竣工:2001年10月
像高:
作者:喜多敏勝
撮影時:2023年3月26日
説明:ウエストンは1893年にここから恵那山に登った。これにちなんで2001年公園が作られた。毎年5月11日に「ウエストン祭」が開かれている。ただ公園と言ってもすごく整備されているわけではなく、ちょっとした駐車場と道の脇にウエストンの像が立っているだけだ。川の反対側には女郎の滝が見える。
〇古屋慶隆 (1879~1945)
戦前の政治家。岐阜県恵那市生まれ。大井町会議員を経て、衆議院議員(9期)。無所属で当選後、立憲同志会→憲政会→立憲民政党。1945年3月の東京大空襲で死亡した。
<古屋慶隆像>
竣工:
像高:
作者:喜多敏勝
撮影時:2023年3月26日
説明:高山本線、太多線、明知線(現明知鉄道)などの開設に尽力した。
〇福沢桃介 (1868~1938)
明治末期から昭和初期の実業家。日本電力業界を中心に活動した。武蔵国横見郡荒子村(現埼玉県比企郡吉見町)生まれ。慶應義塾に入り、卒業時に福沢諭吉の次女と結婚し、福沢諭吉の婿養子となった。旧姓岩崎桃介。当初は相場師として財をなし、実業界に転じてからは、名古屋電灯、大同電力社長として、木曽川の水力発電開発を主導、「電気王」「電力王」と呼ばれた。衆議院議員も1期務めた。
<福沢桃介像>
場所:恵那峡さざなみ公園(岐阜県恵那市大井町2709-12)
竣工:1984年5月
像高:
作者:北村誠峰?
撮影時:2023年3月27日
説明:像が西向きに立ち、早朝散歩で撮影した関係で逆光になっている。像の立つ恵那峡は、桃介が苦労して作った大井ダムのダム湖として誕生した。大井ダムの管理事務所脇には福沢諭吉のレリーフ像がある。なお福沢桃介の胸像は、1930年に新田藤太郎により8体作られたが、戦争中の金属供出で5体がなくなり、中部電力上村発電所、関西電力祖山発電所、北陸電力吉野谷発電所に残り、1968年の福沢桃介100年祭に際して、中部電力人材開発センターに移設された。その後このレプリカが、上村発電所、南向発電所(長野県上伊那郡中川村葛島)、四国電力に寄贈され、上村発電所のものは、1996年に下村堰堤近く(上矢作振興事務所の敷地内:岐阜県恵那市上矢作町漆原44-2)に移設されている。
〇川上貞奴 (1871~1946)
戦前の女優。東京府日本橋生まれ。旧姓小山貞。両替商の家に生まれたが、生家が没落し、日本橋芳町の芸伎置屋「浜田屋」の養女となり、「貞奴」の芸名をもらった。日舞の技芸に優れ、才色兼備であった。1894年に「オッペケペー節」の川上音二郎と結婚し、海外公演などで名を売った。1911年に音二郎が死ぬと、福沢桃介と結ばれた(桃介は妻と離婚はしていない)。恋人でもあり、桃介の事業パートナーでもあったようだ。
<川上貞奴像>
場所:恵那峡さざなみ公園(岐阜県恵那市大井町2709-12)
竣工:1985年4月
像高:
作者:
撮影時:2023年3月27日
説明:福沢桃介像の脇にレリーフ像で置かれている。なお墓所のある貞照寺(岐阜県各務原市鵜沼宝積寺町5-189)の宝物館(縁起館と呼んでいる)には、貞奴と音二郎の胸像(L・ベルンスタイン作)がある。