銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれてよじれて20年以上。日本中の銅像ハンティングは続きます…

岐阜県編  その8

○小池作兵衛 (1813~1887)

 農政家。下呂の上ヶ平の開墾を、高山郡代豊田友直の奨励と援助を受けておこない、1841年から1845年で3町7反あまりを完成させた。その後も開墾を続けた。

<小池作兵衛像>

場所:三峯神社岐阜県下呂市森)

竣工:2000年4月

像高:

作者:(株)松美堂

撮影時:2023年3月26日

説明:下呂温泉病院の脇を上がっていくと、左に鋭角に曲がった先に神社がある。像からは病院などのある上ヶ平を見下ろすことができる。近くには1922年に建てられた小池作兵衛の顕彰碑がある。

 

〇野口雨情  (1882~1945)

 詩人、童謡・民謡作詞家。北原白秋西条八十とともに童謡界の三大詩人と謳われた。茨城県多賀郡磯原町(現茨城県北茨城市)生まれ。本名野口英吉。代表作は『十五夜お月さん』『七つの子』『赤い靴』『シャボン玉』など。

<野口雨情像>

場所:雨情公園(岐阜県下呂市森2683-2)

竣工:1995年3月

像高:

作者:本郷功

撮影時:2023年3月26日

説明:この地は雨情が下呂に来たとき、「下呂小唄」を創ったことにちなんで作られた。車だと公園のかなり上流に駐車することになるが、意外と小さい像は公園の下流の入り口近くにいる。

 

〇細江静男  (1901~1975)

 医師。戦前から戦後にかけてブラジルの地域医療に貢献し、「ブラジルのシュバイツァー」「アマゾン先生」などの異名で呼ばれた。岐阜県益田郡中原村(現岐阜県下呂市和佐)生まれ。慶応大学卒業後、外務省の嘱託医としてブラジルに派遣される.その際にアマゾン川流域の日系人開拓地の医師不足を痛感し、そのままブラジルに残る。ブラジルで開業医になるために、サンパウロ大学も卒業し、アマゾン川流域の無医村地域の治療に貢献した。

<細江静男像>

場所:下呂ふるさと歴史記念館(岐阜県下呂市森1808-37)

竣工:

像高:

作者:

撮影時:2023年3月26日

説明:記念館は、縄文公園の一角(峰一合遺跡)に立つ。像は第3展示室の中にある「細江静男」コーナーにある。

 

島崎藤村 (1872~1943)

 詩人、小説家。筑摩県第八大区小区馬籠村(現岐阜県中津川市馬籠)生まれ。本名春樹。明治学院本科を出て、明治女学校、東北学院で教師をする。『若菜集』を執筆する。その後小諸義塾の教師となり、「千曲川のスケッチ」を書く。その後『破戒』『夜明け前』などを書いている。

島崎藤村像>

場所:藤村記念館岐阜県中津川市馬籠4256ー1))

竣工:1942年

像高:

作者:石井鶴三

撮影時:2023年3月26日

説明:像の成立期からすると寿像である。藤村記念館の館内にある。記念館は藤村の生家。馬籠村は、当初長野県(筑摩県)から紆余曲折を経て、岐阜県編入されている。