〇梶原景季 (1162~1200)
鎌倉期の武将。梶原景時の嫡男。頼朝の側に仕え、源義仲との争いにおいて、佐々木高綱と宇治川の先陣争いを起こしている。この際には景季は磨墨、高綱は生月(生食)に乗っている。争いは高綱が景季に対し、「馬の腹帯が緩んでいる」と偽りを言って、一番乗りを果たしている。源頼朝が死ぬと、梶原一族は他の御家人の恨みを買って、駿河国清見関で父景時ともに自害した。
○磨墨 (?~?)
平安末期にいたとされる名馬。諸説あるが、ここでは美濃国郡上郡気良(現岐阜県郡上市)に産した説による。この地の烏帽子岳の山麓巣河の地に産した牝馬。没したのは尾張国羽黒(現愛知県犬山市)とされる。
<梶原景季と磨墨像>
竣工: 1989年4月
像高:
作者: 石黒孫七
撮影時:2023年3月25日
説明:磨墨の伝説は広域にわたり、北は山形県南陽市、神奈川県横須賀市、千葉県香取市(当時は佐原市)、群馬県前橋市、栃木県鹿沼市、静岡県静岡市、愛知県犬山市、山口県豊浦郡、福岡県岡垣町などあるが、東京都大田区馬込には磨墨塚があり、西馬込の萬福寺の山門脇には像もある。なお、下の写真は、道の駅明宝近くの「明宝大橋」の欄干の像である。
〇金子貞二 (?~?)
教育者。長く明宝村で校長を務め、明宝村史の編纂、『奥美濃よもやま話』の尻尾津などをし、明宝歴史民俗資料館の資料の収集に尽力した。
<金子貞二>
竣工:1995年5月
像高:
作者:熊谷友児
撮影時:2023年3月25日
説明:施設は、奥明方小学校の廃校跡を利用したもの。像が立ったとき、金子先生は存命だったようだ。
〇三島重郎 (1914~?)
政治家。岐阜県郡上郡白鳥町生まれ。岐阜県議会議員から白鳥町長になり、44年間治めた。その間に白鳥町の発展に寄与した。
<三島重郎像>
場所:白鳥ふれあい創造館(岐阜県郡上市白鳥町白鳥359-26)
竣工:1999年4月
像高:
作者: K.ASAI
撮影時:2023年3月25日
説明:
〇三島栄太郎 (?~1925)
政治家。北濃村の収入役、村長を経て、岐阜県議会議員。村のために、道路や鉄道、河川改修などに尽力した。また神社仏閣の保存や維持にも気を遣った。
<三島榮太郎像>
竣工:1961年4月
像高:
作者:
撮影時:2023年3月25日
説明:氏は、江戸時代後期に起こった郡上一揆を顕彰する『農北宝暦義民録』をまとめるなど、義民の顕彰に熱心だった。
〇嘉念坊善俊 (1213~1282)
鎌倉時代の浄土真宗の僧侶。後鳥羽天皇の第12皇子。8歳の時に園城寺に入り僧となった。その後親鸞に出会い、その弟子となり、嘉念坊善俊となった。飛騨国に入って布教にいそしみ、白川郷一帯に多くの信者を教化した。白川郷鳩谷に道場を構え、これが照蓮寺(現在岐阜県高山市)の基である。
<嘉念坊善俊像>
竣工:1989年5月
像高:
作者: 山崎正義
撮影時:2023年3月25日
説明:ここは「荘川桜」で有名なところである。桜同様に御母衣ダムの底には村が沈んでおり、そこに照蓮寺があったことから、桜の脇に像が立つ(荘川桜は2本。もう1本は光輪寺の桜)。訪れたのは、6時近くであり、3月下旬とはいえ、ほぼ日没の時間だったので、このような写真となっている。