銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれてよじれて20年以上。日本中の銅像ハンティングは続きます…

岐阜県編   その11

弘法大師空海

 略

弘法大師像>

場所:聖公園(岐阜県恵那市山岡町原894)

竣工:

像高:

作者:浅野祥雲

撮影時:2023年3月27日

説明:赤ん坊を抱えた弘法大師像は珍しいらしい。

※ついでに、恵那峡さざなみ公園にあった弘法大師像も…(逆光でほぼ見えませんが…💦)

 

猿田彦大神  

 日本神話に登場する神。『古事記』では、猿田毘古神、猿田毘古大神、猿田毘古之男神、『日本書紀』では猿田彦命と表記される。天孫降臨の段に登場し、天照大神に使われた瓊瓊杵尊を道案内する国津神である。中世には、庚申信仰道祖神と結びついた。

猿田彦大神像>

場所:聖公園(岐阜県恵那市山岡町原894)

竣工:

像高:

作者:浅野祥雲  

撮影時:2023年3月27日

説明:なかなか凜々しいお姿である。

 

〇春日野耕作 (?~?)

 教育者。近くの保育園の園長で、弘法大師を深く信仰していたところから、浅野氏に像の製作を依頼した由。

<春日井耕作像>

場所:聖公園(岐阜県恵那市山岡町原894)

竣工:

像高:

作者:浅野祥雲  

撮影時:2023年3月27日

説明:この3体は、愛知県近郊では言わずと知れた「浅野祥雲」作のコンクリート像。2015年頃のブログを見ると公園はそれなりに整備されていたようだが、言ったときにはお世辞にも整備されているとは思えなかった。猿田彦大神の前にあったはずの注連縄の柱は腐って倒れていたし、春先だからよかったものの夏場に行ったら近づけなかったであろう。またどのブログでも行き方に悩んだ旨が書かれていたが、車で向かった私は、岡の反対側から整備中の道を上がって、公園の入り口とは反対側の踏み分けから入っていった。個人で管理しているようなこの公園は、今後どうなるのだろうか?

 

〇安達壽雄 (?~?)

 教育者。中京高校の創設者。

<安達壽雄像>

場所:中京高等学校岐阜県瑞浪市土岐町7074-1)

竣工:

像高:

作者:

撮影時:2023年3月27日

説明:愛知県にあるのは「中京大学付属中京高校」。こっちは一時「中京学院大学付属中京高校」と名乗っていたが、現在は大学(学校法人中京学院)と別法人(学校法人安達学園)。実は名古屋の方とこっちは親族経営で、名古屋の方が「梅村学園」で、梅村清光が創設。こっちの安達壽雄は、この梅村さんの息子(次男)。別の法人であるが建学の精神は共有(真剣味)。高校野球の名門だけど、意外と不便なところにあるんだと思った。

像は学校の敷地内の道路に面したところにいる。

 

明智光秀 (1516<28>~1582)

 戦国期~安土桃山期の武将、大名。美濃国可児郡明智(現岐阜県可児市)生まれ?清和源氏土岐氏の支流とされる。美濃の斎藤道三に仕え、道三滅亡後越前国朝倉義景からここに流れてきた足利義昭に仕えたが、その後織田信長に仕えるようになった。比叡山の焼き討ちに貢献し、近江坂本城主となる。しかし1582年京都本能寺で主君信長を討ったが、山崎の戦い羽柴秀吉らに敗れ、その後討ち取られたという。

明智光秀像>

場所:一日市場館跡(岐阜県瑞浪市土岐町402)

竣工:1998年7月

像高:

作者:

撮影時:2023年3月27日

説明:石像である。この地には八幡神社が鎮座しているが、「一日市場館」と呼ばれ、土岐氏が築いた城跡だと言う。神社の裏には土塁と思われる遺構が確認できる。

 

〇土岐三郎光衡 (1159~1206)

 平安末期から鎌倉初期の武将、鎌倉幕府御家人治承・寿永の乱で討たれた源光長の末子で、伯父光基の養子となり土岐氏を継承した。美濃国土岐郡一日市場館を本拠としたことから、実質土岐氏の祖とされることが多い。

<土岐三郎光衡像>

場所:一日市場館跡(岐阜県瑞浪市土岐町402)

竣工:2020年 9月

像高:

作者: 桐井雅康

撮影時:2023年3月27日

説明:2020年に「美濃源氏フォーラム」が設立30周年を迎えたのとNHK大河ドラマ明智光秀を主人公とする「麒麟がくる」が放映されたことからこの像は作られた。

下記のように光秀像と並んで立っている。