〇渡辺栄一 (1918~1997)
政治家。岐阜県加茂郡大田町(現岐阜県美濃加茂市)生まれ。1947年戦後初の公選による大田町長に当選後、1954年には合併した美濃加茂市の初代市長になる。1963年に衆議院議員となる(10期)。大平内閣では建設相。この間地域の教育文化、福祉施設の整備、交通インフラや治水などに心血を注いだ。
<渡辺栄一像>
場所:美濃加茂文化の森入り口(岐阜県美濃加茂市蜂屋町上蜂屋3299-1)
竣工:2000年11月
像高:
作者:本郷功
撮影時:2023年3月27日
説明:美濃加茂バイパスの側道を入り、「美濃加茂文化の森」へ上がる坂道のとっかかり、左カーブの入り口左側にいる。ここからは美濃太田の町が見下ろせるから選ばれたのだろうか?すぐ近くには「太郎洞池」というため池がある。木曽川の河岸段丘北側の斜面に当たるのだろう。
〇加茂悦平 (?~?)
政治家。1928年より関町長。昭和初期の町内の洪水に対し対応し、治水事業などに貢献した模様。
<加茂悦平像>
場所:関市役所(岐阜県関市若草通3-1)
竣工:1956年5月
像高:
作者: 大和作内(おおわさくない)
撮影時:2023年3月27日
説明:ネット上で「大和作内」を検索すると、長野県下諏訪町出身の彫刻家として多くの人物像を作っていたことがわかる(下諏訪には、島木赤彦像やスケーター像などある)。30歳過ぎに農業の傍ら始めた木彫から始まり、65歳でパリのアカデミージリアンへ。その後彫刻家に師事し、地元を中心に活動したようだ。(http://wwwa.dcns.ne.jp/~hiro777/sakunai/left.htm)参照。
〇亀山一二 (1895~1980)
外交官、政治家。岐阜県武儀郡倉知村(現岐阜県関市)生まれ。外務省入省後、在ソ連大使館に勤務、第二次大戦期および終戦後にソ連と折衝をしていた。その後関市の初代市長となった(5期)。関市の発展に寄与した。
<亀山一二像>
場所:関市役所(岐阜県関市若草通3-1)
竣工:1981年10月
像高:
作者:館野弘青
撮影時:2023年3月27日
説明:館野弘青(1916~2005)は、栃木県小山市出身の彫刻家。代表作は静岡県熱海市の「貫一お宮之像」。
〇福岡博由 (?~1982)
政治家。関市長。4期の市長在任中に亡くなった。
<福岡博由像>
場所:関市役所(岐阜県関市若草通3-1)
竣工:1983年1月
像高:
作者:斉藤 猛弘
撮影時:2023年3月27日
説明:3体の像は、関市役所の西側入り口の南側手前に並んで立っている。
〇遠藤儀作 (1860~1932)
政治家。美濃国稲葉郡那加村(現岐阜県各務原市)生まれ。小学校教員から岐阜県議会議員を経て、那加村長に就任(4期)、岐阜高等農林学校(現岐阜大学)の招致に成功した。文芸にも秀でていて、「郊北」の雅号を持ち、蓑虫山人(全国を放浪しつつ絵を描いていた画家)との交流もあったよう。
<遠藤儀作像>
竣工:1988年3月
像高:
作者:三輪乙彦
撮影時:2023年3月27日
説明:各務原(市名は「かがみがはら」)市民公園は、岐阜大学の農・工学部があった(那加校舎)。1982年に現キャンパスに統合移転した(岐阜市柳戸)。
〇富田かね (1873~1957)
教育者。岐阜県揖斐郡大和村(現岐阜県揖斐郡揖斐川町)生まれ。東京に出て裁縫を学んだ後、故郷に戻り小学校、高等女学校の先生となった。その後女子教育に従事したいと願い、1906年「私立富田女学校」を創設(岐阜市西杉山町=現梅ヶ枝町)、戦後現在の校地(岐阜市長森野一色)に移転し、1950年に「私立富田高等学校」となった。
<富田かね像>
竣工:
像高:
作者:
撮影時:2023年3月27日
説明:夕方にお邪魔した。校内は基本的に立ち入り禁止なので、像だけを撮ってそそくさと退散したので、資料が不足している。校舎東側の正門を入ったところに像が立っている。