〇植村正治 (1930~2014)
漁師、実業家。青森県平内町生まれ。平内町漁業協同組合代表理事組合長から青森県漁業協同組合代表理事長、国際共同組合漁業委員会委員長、全国漁業協同組合連合会会長。青森放送監査役などを歴任する。
<植村正治像>
竣工: 2016年
像高:
作者:熊谷友児
撮影時:2022年8月22日
説明:県水産ビルは、何かと話題となった青森駅近くのアスパム(三角形の形の観光物産館。夕食を取りに入ったが、閑散としていた)の左隣にある。こちらは半円形のビルで、両者ともガラス張りである。その脇には青森港と青森駅を跨ぐ「青森ベイブリッジ」がかかる。
〇熊谷義雄 (1905~1994)
実業家、政治家。岩手県下閉伊郡普代村生まれ。明治大学卒業後、八戸魚市場専務を経て、太洋水産を創設、その後も多くの会社の社長を歴任、八戸商工会義所会頭を経て、1963年衆議院議員となる(5期)。この間自民党青森県連会長や八戸工業大学初代理事長に就任し、八戸の政治経済の推進者となった。
<熊谷義雄像>
竣工:
像高:
作者: 立体写真像(株)(盛岡公彦)
撮影時:2022年8月22日
説明:八戸は「八戸戦争」と呼ばれる政争の舞台で、市長の交代劇(「トンツー政治」と呼ばれ、短期と長期の政権が交互に生まれる)、自民党の旧青森1区(青森市も含むが、八戸が舞台となる)での熊谷と田名部匡省の争い、熊谷引退後の田名部と大島理森の争いなど21世紀に入っても続いているようである。
〇水原衛作 (1841~1885)
庭師。合浦公園の創設者。弘前藩のお抱えの庭師。明治期に県令山田秀典の応援と友人の援助の中、県令の急死により募金が途絶え、衛作は家族共々自ら公園に寝泊まり、私財を投じて公園建設に尽力したが、完成を見ずして亡くなった。
<水原衛作像>
竣工:1994年9月
像高:
作者:田村進
撮影時:2022年8月22日
説明:公園の完成100周年を記念して設置された。
〇柿崎巳十郎 (1857~1934)
庭師。津軽国弘前城下の生まれ。長兄は水原衛作。1875年に巳十郎が柿崎家を相続する。衛作が合浦公園の建設に着手するが、未完のまま亡くなる。巳十郎は母の願いを受け、兄の事業を継続、1895年に完成する。以降1925年に退職するまで、合浦公園の管理をする。
<柿崎巳十郎像>
竣工:1994年9月
像高:
作者:田村進
撮影時:2022年8月22日
説明:兄の衛作の隣に立つ。どうもさまざまな研究を読むと、合浦公園は官有地と民有地が混ざっていて、衛作、巳十郎の持った土地は1895年に青森町に移管され、以降は、町が公園の管理をしたようだ。厳しい顔の兄に対し、巳十郎は穏やかな顔をしている。
〇篠原善次郎 (1855~1930)
実業家。薩摩国生まれ。北海道開拓史で働いた後、1883年に青森市で乗合馬車事業を始めた。さらに1923年には乗合自動車事業の運行免許を得て、バス事業を始めたが、彼はバス事業は公営化すべきとの考えを持ち、1926年にバス6台と新車購入費用および車庫代として1万5000円を青森市に寄付した。これを元に同年から青森市営バスが走り始めた(日本最初は1923年の東京都営バス)。
<篠原善次郎像>
竣工:1956年3月(元は1931年)
像高:
作者:中野桂樹
撮影時:2022年8月22日
説明:1931年に北山青森市長が造った銅像は、1943年に金属供出で失われたが、1956年に市営バス創業30周年の記念に像が再建された。
〇横山實 (1903~1974)
政治家。青森市長(4期)。青森県青森市生まれ。青森県師範学校を卒業後小学校に勤務、その後青森市議会議員、青森県議会議員、青森市助役を経て、1947年に青森市長となった。
<横山實像>
竣工:1968年7月
像高:
作者:
撮影時:2022年8月22日
説明:データによると寿像となる。合浦公園は銅像も4体あるが、石碑などの記念碑も多く立っている(銅像を含めて31)。横山像は公園東の端に、篠原像は、正門を入って右に、水原・柿崎像は、正門からの道と東西門の道の交差した先の池の側に立つ。
〇高橋竹山 (1910~1998)
音楽家。津軽三味線奏者。青森県東津軽郡中平内村生まれ。本名定蔵。幼い頃に麻疹にかかり半ば失明する。その後三味線を習い、津軽民謡の成田雲竹の伴奏者として興業、竹山を名乗るようになる。1964年に独立し、津軽三味線を全国に知らしめた。日本はもちろん海外での演奏も高い評価を受けた。
<高橋竹山像>
竣工:1997年6月
像高:
作者:大槻一二
撮影時:2010年8月26日
説明:2010年に訪問した際にはあったのだが、2022年に訪問した際には2Fに上がることができなかった。HPを見ると紹介はされているので、団体客など入るときは上がれるのかも知れない。
これで青森編は一応終了です。像が確認されていながら、訪問できず写真を撮れなかったのが、安藤師季(市浦歴史民俗資料館<五所川原市十三土佐1-298>:木像…行った日が休館日でした)・大谷岩之丞(久須志神社<西津軽郡鰺ヶ沢町一ツ森上禿76>…探したが見つからず)・棟方志功(棟方志功記念館<青森市松原2-1-2>…館の閉館による.作品共々どこに行くのか?)・大森テル(東奥学園高校<青森市勝田2-11-1>…校内には入れず)・三代目鳴海文四郎(鳴海家住宅<黒石市中町1-1>…庭園内にあり、見学時間を過ぎていた。鳴海醸造店「菊乃井」の酒蔵)・アダム=ミケヴィッチ(青森公立大学<青森市合子沢山崎153ー4>…時間の関係でカットした)・高杉平治(弘前市立観光館<弘前市下白銀町2-1>…探すが見つからず)・大中正元(弘菓弘前中央青果<弘前市末広1-2-1>…青果市場への入場が難しかった)・木花咲夜姫(虹のマート<弘前市駅前町12-1>…時間の関係でカットした)・ヨーコ(弘前大学医学部<弘前市相良町5-1>:石像。イヌ…時間の関係でカットした)・平重盛(龍興山神社<八戸市南郷島守内山115>:石像…山の上だし、時間も無かった)。
なお、星野リゾート青森屋<三沢市古間木堀切沢56>にあった澁澤栄一、澁澤敬三像は、清水建設が東京に建てた研修施設に建物ごと(旧澁澤栄一邸)移転したようだ<東京都江東区潮見2ー8ー20:温故創新の森NOVARE内>。