先週は京都へ行っていました…
〇龍とよそ八
この地区の「宇津江四十八滝」にまつわる民話から。昔、親孝行な信仰心の厚い「よそ八」が山奥の大蛇の妖気にとりつかれ、熱病を出してしまった。その夜、突然やってきた、きれいな娘「およし」が寝ずの看病に当たり、よそ八はすっかりよくなった。二人は夫婦になったが、ある夜およしは、「私は宇津江の山奥の大沼に住む大蛇の化身であり、親孝行のあなたを助けるために、自らの血をしぼって飲ませたのです。」と言い、「これから私は海に千年の修行に行けねばならない」と泣いて、雷鳴とどろく大嵐の中、大蛇となって天に昇ってしまった。後年弘法大師(空海)が、この地を訪れ、「よそ八」とは仏教の「四十八願」を意味すると言ったことから、この地の奥の滝を「宇津江四十八滝」と呼んだ。
<龍とよそ八>
竣工:
像高:
作者:林清史
撮影時:2023年3月26日
説明:右と左で違う題材(県道から見て左が「よそ八と龍」、右に「およしとこども」だったが、その違いに気づかず(雨が降っていて集中力を欠いた)、右のおよしの像を取り損ねてしまった…。
〇本田秋憲 (1888~1961)
実業家、政治家。岐阜県吉城郡古川町生まれ。飛騨産業銀行、飛州貯蓄銀行、飛騨電燈(株)の取締役、その後岐阜県高山県議会議員から県議会議長、古川町長を歴任。特に町長在任中に、古川町・細江村・小鷹利村の合併に尽力した。
<本田秋德像>
竣工: 1954年4月
像高:
作者:境幸山
撮影時:2023年3月26日
説明:右手を掲げたバイタリティに溢れた全身像。いかにもやり手だった感じが出ている。
〇山村佐藤兵衛 (1908~1988)
実業家、政治家。岐阜県吉城郡細江村数河(すごう)(現岐阜県飛騨市)生まれ。村議会議員、町議会議員を歴任。かつては笋(根曲笹のタケノコ)や菅の筵や農業で成り立っていた村の産業を、村内に国道41号線を開通させ、数河高原を夏のラグビー、冬のスキーと、地域発展の基礎を築いた。
<山村佐藤兵衛像>
竣工:2002年6月
像高:
作者: 本郷功
撮影時:2023年3月26日
説明:飛騨細江から延々と山道を上がっていく。国道41号線は数河を過ぎると富山県の神岡に抜ける。標高は1000㍍前後で、夏も涼しくラグビーの合宿には最適だろう(自分の勤務校は長野県の菅平に行くが…)。
〇上牧太郎之助 (1859~1939)
農政家、宗教家。飛騨国益田郡青屋村(現岐阜県高山市朝日町)生まれ。若くして村内に用水を開くなど村に貢献していたが、1895年に乗鞍岳の景観に驚愕し、ほぼ独力で青屋から乗鞍岳への登山道を開拓した(現在は廃道に近いらしい)。途中88カ所に道標を兼ねた仏堂を建立、彼らの尽力で乗鞍岳の名が広く伝わるようになった。
<上牧太郎之助像>
場所:✕✕(住所)
竣工:2010年11月
像高:
作者:
撮影時:2023年3月26日
説明:像のあるところの右裏のお堂(写真の右に少し写っている)の中には、太郎之助が置いた地蔵のうち、40数体が安置され、中央には上牧太郎之助の石像もあったようだが、そこまで気が回らなかった。太郎之助は、修験道の「無尽秀全」という人の開いた「修験両部大道教会」に入り、乗鞍岳の登山道を開いたようですね。
〇住幸謹(すみゆきのり) (1886~?)
実業家。政治家。岐阜県益田郡小坂(おさか)村(現岐阜県下呂市)生まれ。小坂電気(電力会社)を創設、小坂村長、同町長(初代)、県議会議員などを歴任した。
<住幸謹像>
竣工:1937年11月?
像高:
作者:
撮影時:2023年3月26日
説明:像は寿像のようである。碑文は1937年と書かれているが、その後に1946年
の叙勲の日付が書いてある。戦前だと金属供出の可能性があるので、再建像の可能性も…。
〇チャールズ・スペンサー・チャップリン (1889~1977)
イギリス出身の俳優、映画監督、脚本家、作曲家。ロンドン南部のウォルワース生まれとされるが、記録にはないそうだ。サイレント映画時代に名声を博したコメディアンで、山高帽にドタ靴、チョビ髭にステッキという出で立ちが代名詞。この「小さな放浪者」で世界的な人気者になり、その後『キッド』『黄金狂時代』『モダン・タイムス』『独裁者』などを発表した。日本には1932年から4回来日しており、特に最初の来日の際には、五・一五事件に遭遇している。
<チャールズ・スペンサー・チャップリン像>
竣工:2001年11月
像高:
作者: スティーブ・ジョンソン
撮影時:2023年3月26日
説明:下呂温泉にチャップリン像があるのは、下呂温泉観光協会が観光客が映画について語りながら温泉街を散策できるような「映画通り」を目指す、「ミラクルマイル」事業の第一弾だったらしい。ちなみにその後映画祭は続かなかった模様。像は、映画『キッド』のワンシーンをモチーフにし、本場ハリウッドの造形アーティストが手がけたもの。
〇林羅山 (1583~1657)
江戸時代初期の朱子学者。林家の祖。羅山は号で諱は信勝。京都生まれ。建仁寺で仏教を学んだが、僧籍には入らず朱子学に熱中、そこで藤原惺窩に出会った。その後23歳の若さで徳川家康に仕え、その後3代徳川家光から上野忍岡に土地を与えられて学問所を設けた。
<林羅山像>
竣工:1992年 3月
像高:
作者:斉藤勝弘
撮影時:2023年3月26日
説明:下呂温泉観光協会が、宿泊客150万人達成に記念に、下呂温泉を「日本三名泉」の一つに挙げた(後の2つは有馬温泉と草津温泉)ことから、羅山を選んだ。足下にいるのは3匹の猿。
〇万里集九 (1428~?)
室町時代の禅僧、歌人。近江国浅井郡速水郷生まれか?京都臨済宗東福寺の塔頭永明院で僧になったらしい。その後相国寺、建仁寺、南禅寺で学び、応仁の乱後は近江や美濃に移住し、還俗した。
<万里集九像>
場所:下呂市観光交流センター前(岐阜県下呂市森1075-9)
竣工:2015年8月
像高:
作者:
撮影時:2023年3月26日
説明:林羅山の前に下呂温泉を「天下三名泉」としたのが万里集九。像は当初、チャップリン像と並んで白鬚橋上にあったが、2022年4月に観光交流センターができると移築された模様。