銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれてよじれて20年以上。日本中の銅像ハンティングは続きます…

岩手県編  その11

〇留守宗利 (1590~1638)

 江戸時代前半の武士、仙台藩伊達家一門第三席、水沢伊達家第2代(留守氏19代)。陸奥国宮城郡利府城に生まれる。父伊達政景が、小田原攻めに参陣しなかったため領地を没収され、実家の伊達政宗に仕えた。1607年に父が死に家督を相続して、一関城主となったが、その後政宗と諍いを起こして1629年に水沢城主となる。その後水沢の町を作り上げた。

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<留守宗利像>

場所:日高神社(岩手県奥州市水沢日高小路13)

竣工: 1974年9月

像高:

作者: ㈱日本美術工藝社

撮影時:2020年9月24日

説明:像の立つ日高神社には、水沢伊達家の祖廟である瑞山神社があり、宗利の墓所もある。その由来で銅像が立つか?

 

〇佐々木佐五平 (?~?)

 1735年の水沢の大火後、町火消しの組織化が図られたが、彼が江戸の町火消組を参考に「臥煙組」を組織したと言われる。

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<佐々木佐五平像>

場所:ギャラリー茶房蔵再会(岩手県奥州市水沢横町90)

竣工:2012年3月

像高:

作者:

撮影時:2020年9月24日

説明:町の中心部の奥州まちなか交流館の隣にある「ギャラリー茶房蔵再会」の前の広場にいる。佐々木佐五平については、「奥州市消防記念館」(奥州市水沢区日高小路13)に展示説明がされている。前項で説明した日高神社は、「日高火防祭り」をおこなっているが、「日高」の「ひ」=「火」、瑞山神社(みずやまじんじゃ)の「みず」=「瑞」ことが祭りの由来とされている。

 

〇木村榮 (1870~1943)

 天文学者、理学博士。石川県石川郡野村字泉野(現金沢市泉野町)生まれ。水沢緯度観測所(現国立天文台水沢VLBI観測所)所長となり、1941年まで在職した。1902年にZ項を発見した。これは地球の自転軸は形状軸(南北軸)と完全には一致せず、形状軸の周囲を移動する(極運動)、いくつかの周期的成分が含まれる。この数式に定数項のZと修正させた。

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<木村榮像>

場所:木村榮記念館(岩手県奥州市水沢星が丘町2-12)

竣工: 1951年10月

像高:

作者: 丸山震六郎

撮影時:2020年9月24日

説明:像は当初、今よりも東に50m離れたところにあったが、木村記念館の設立と同時に現在位置に移設された。この場所からは木村が最初に緯度観測をした観測室の芳香を見ているらしい。またZ項を発見したものの、当時の技術では、木村はその原因を解明できなかった。解明は1970年のことで、同じ緯度観測所の若生康二郎による。

 

後藤寿庵 (1577?~1638?)

 安土桃山期から江戸時代初期の武将、キリシタン。本名は岩淵又五郎陸奥国磐井郡藤沢生まれ。1596年に長崎で洗礼を受けてキリシタンとなるが、迫害により五島列島宇久島に逃れ、「五島寿庵」と名乗る。1611年に田中勝介と出会い、その推薦で支倉常長を通じて伊達政宗に仕えた。寿庵は陸奥国見分村(現岩手県奥州市水沢区福原)を与えられ、ここに大規模な用水路を開削した(「寿庵堰」が今も跡が残る)。現地でキリスト教の布教をしていたが、3代徳川家光の治世となると、キリスト教への弾圧が強まり、寿庵は同地を逃れたとされる。

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後藤寿庵像>

場所:カトリック水沢教会(岩手県奥州市水沢区川端191-1)

竣工:※1985年に現教会が建てられているので、その頃か?

像高:

作者: 今野照夫

撮影時:

説明:石像であろう。近くの福原には1931年に「後藤寿庵廟堂」が建てられた。この地は寿庵の居感があったとされる場所。なお宮城県登米市東和町に寿庵の墓が発見されている。また大分県で殉教したペトロ・カスイ岐部(大分県国東市国見町岐部に銅像がある)は、寿庵が去った後のこの地の信者を助けるために、この地に入り、水沢教会近くの橋で捕縛された。

 

〇及川勉 (1930~2011)

 官僚、政治家。岩手県江刺郡岩谷堂町(現奥州市)生まれ。農水省から江刺市(現奥州市)の助役に招聘され、その後市長となる(5期)。行財政改革と「田園文化都市」実現に尽力した。東北新幹線水沢江刺駅の誘致、NHK大河ドラマ炎立つ」に絡んで「えさし藤原の郷」創設など、江刺市の発展に寄与した。

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<及川勉像>

場所:えさし藤原の郷(岩手県奥州市江刺岩屋堂小名丸86-1)

竣工:2010年11月

像高:

作者:㈱東條会館

撮影時:2020年9月22日

説明:寿像である。彼が創設した「えさし藤原の郷」の入場ゲートの入り口右側に立つ。

 

〇小澤懐徳 (1873~1936)

 農政家、政治家。岩手県胆沢郡古城村(現奥州市前沢区)生まれ。江刺耕地整理組合長、愛宕村長、江刺郡農会長を歴任。コメの増収だけでなく、品質の向上を図るために、新品種「陸羽132号」が、味もよく冷害にも強いことから、普及を図り、「江刺金札米」として全国に名声が広まった。

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<小澤懐徳像>

場所:岩手県農業改良種苗センター(岩手県奥州市江刺愛宕八日市69-4)

竣工:1958年5月

像高:

作者:吉川保正

撮影時:2020年9月24日

説明:場所の正式名は「愛村公園」であり、小澤懐徳の雅号から撮っているが、地図に表記されないので、公園の奥にある「県農業改良種苗センター」を場所としている。

 

〇美濃川清亀 (?~?)

 畜産家。この地域の和牛の品種改良に尽力した。隣には自分が品種改良した「和人号」(和牛の名前)の記念碑もある。

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<美濃川清亀像>

場所:JASS玉里奥(岩手県奥州市江刺玉里新田前70)

竣工: 1972年6月?(1987年に現在地に移転か?)

像高:

作者:小野寺玉峰

撮影時:2020年9月22日

説明: 「岩手県銅像を調べている赤べこ」さんのTwitterで見つけた像。詳しい場所が書かれておらず、「江刺玉里」界隈をGoogleストリートビューで、行ったり来たりしながら、入り口の看板を見つけてたどり着いた。私有地の牧舎に入り込んだ形ながら、咎められることはなかった。