銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれてよじれて20年以上。日本中の銅像ハンティングは続きます…

岩手県編  その3

〇牧庵鞭牛(ぼくあんべんぎゅう) (1710~1782)

 江戸時代の曹洞宗の僧侶。陸奥国下閉伊郡井内村(現岩手県宮古市)生まれ。農家に生まれたが、炭鉱夫などをして母の死後に仏門へ。32歳で栗林村(現釜石市)の常楽寺、林宗寺の住職となる。46歳の時に体験した飢饉の被害から、三陸・閉伊地方と内陸を結ぶ道を築くことを決意し、以降宮古と盛岡を結ぶ道の開削に生涯をささげた。73歳で没するまでに、宮古街道(宮古~盛岡:109㎞)をはじめ、吉里吉里~山田、腹帯~南川目、宮古~岩泉、橋野~鵜住居など、開削した距離が約400㎞に及ぶという驚異的なものだった。 

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 <牧庵鞭牛像>

場所:国道340号線から茂市駅に入る交差点そば(岩手県宮古市茂市町第4地割4-

9-1)

竣工: 1997年3月

像高:

作者: 「YS」のサインあり

撮影時:2020年9月19日

説明:国道340号線から茂市駅に入るオーバークロスからちょっと茂市駅側に入ったところに立つ(交差点から見える)。ネットを探していたら、宮古市宮古新里湯ったり館駐車場にも像があります。写真の感じだと木像かな?また宮古市新里生涯学習センターには「鞭牛展示ホール」があり、鞭牛の木像があります。岩手県ローカルヒーローですね。大分の耶馬渓青の洞門の禅海和尚とは別の形だけど…。

  

〇関口松太郎 (1862~1937)

 役人、田老村長。岩手県東閉伊郡花輪村(現岩手県宮古市)生まれ。長沢村職員から始まり、1925年田老村長となる。1933年の昭和三陸地震津波で、田老村には10mの大津波が襲い、多くの人命が奪われた。関口は防波堤の必要を説き、当初国や県の対応は冷たく、村単独で事業を始め、最終的に国や県からも協力を仰ぎ、高さ10m、長さ2.5㎞の防波堤を作った。

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<関口松太郎像>

場所:宮古市旧田老総合事務所(岩手県宮古市田老舘が森129-2)

竣工: 1935年8月

像高:

作者: 達筆で読み取れない。写真を貼付するので、教えてください!

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撮影時:2019年9月19日

説明:ネットを見ると、生前に住民が立てた像とあるので、竣工年は間違いないだろう。いろいろ調べているが、2021年2月現在、像は旧田老総合事務所(旧田老村役場)にまだ立っているようだ。この施設を解体するときに移動するのかもしれない。「新・日本の銅像探偵団」では移転したことになっているが、地元ではどういう計画なのだろうか?

  

〇西舘善平  (1893~1989?)

 漁業関係者、市議会議員。岩手県下閉伊郡重茂村生まれ。重茂漁業組合長として定置網漁をはじめ、漁協の経営基盤を確立した。その後宮古市議会議員などを歴任、岩手県水産業、教育にも寄与した。 

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<西舘善平像>

場所:重茂漁業協同組合(岩手県宮古市重茂第1地割37-1)

竣工: 1999年11月

像高:

作者: 熊谷友児

撮影時:2019年9月19日

説明:台座には「天恵戒驕」とあり、氏の編み出した言葉だそうだ。「天の恵みに感謝し、驕ることを戒め不慮に備えよ」。そう生きたいですね!

  

鈴木善幸 (1911~2004)

 政治家。郵政大臣厚生大臣、農林大臣、総理大臣(第70代)。岩手県下閉伊郡山田町生まれ。昭和三陸地震津波を経験して、政治家を志す。全国漁業協同組合連合会などを経て、戦後日本社会党から衆議院選挙に出馬し当選。その後民主自由党から自由民主党に移り(16期)、党総務会長などで党をまとめる手腕に定評があった。1980年の大平首相の急死後に首相に就任した。 

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 <鈴木善幸像>

場所:山田町中央公民館(岩手県下閉伊郡山田町八幡町3-20)

竣工: 2008年7月

像高:

作者: 立体写真(盛岡公彦)

撮影時:2020年9月21日

説明:町役場の隣の中央公民館前に立つ。

  

〇大島高任 (1826~1901)

鉱山学者、技師。陸奥国盛岡藩二王小路生まれ。父は盛岡藩医。江戸で蘭学塾に学び、その後に長崎で採鉱術を学ぶ。釜石で西洋式高炉を建造し、鉄鉱石精錬による本格的連続出銑に成功した。その後明治政府でも鉱業界の第一人者として「日本近代製鉄の父」と呼ばれる。 

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<大島高任像>

場所:JR釜石駅前(岩手県釜石市鈴子町22-22)

竣工: 2002年12月

像高:

作者:

撮影時:

説明:釜石市鉄の歴史館(岩手県釜石市大平町3-12-7)にも胸像があるようだ。調査不足で見落としてしまった。 

 

〇田中長兵衛  (1834~1901)

 日本の商人、実業家。遠江国生まれ。若くして江戸へ出て鉄・鍋物問屋で修業し、安政年間に独立し「鉄屋」長兵衛として、薩摩藩の御用達となる。明治時代になり、官営釜石製鉄所が失敗に終わり、その設備の払い下げを政府から打診され、横山久太郎とともに釜石鉱山製鉄所を成功させる。

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<田中長兵衛像>

場所:日本製鉄釜石事業所(岩手県釜石市鈴子町23-15)

竣工:

像高:

作者:

撮影時:2020年9月21日

説明:当日は日曜日で、門が閉まっており構内は入れなかった。道路から見ているので、必死にフェンスから手を入れて撮影をした。手前が田中長兵衛像。釜石市鉄の歴史館(岩手県釜石市大平町3-12-7)にも胸像があるようだ。調査不足で見落としてしまった。

 

〇横山久太郎 (1855~1921)

 実業家。遠江国磐田郡久努村(現静岡県磐田市)生まれ。地元で鉄物商に奉公し、その後東京で「鉄屋」田中長兵衛と出会い、みるみる頭角を現し、長兵衛の娘と結婚、横須賀支店の支店長となる。その後釜石で長兵衛とともに製鉄所の経営にあたり、苦労の末運営に成功、初代の所長となる。日本の近代製鉄の基礎を固めた。

 

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<横山久太郎像>

場所:日本製鉄釜石事業所(岩手県釜石市鈴子町23-15)

竣工:

像高:

作者:

撮影時:2020年9月21日

説明:当日は日曜日で、門が閉まっており構内は入れなかった。道路から見ているので、必死にフェンスから手を入れて撮影をした。奥が横山久太郎像。釜石市鉄の歴史館(岩手県釜石市大平町3-12-7)にも胸像があるようだ。調査不足で見落としてしまった。

  

〇三鬼隆 (1892~1952)

 実業家。日本製鐵八幡製鐵の元社長。岩手県花巻市生まれ。日本鉄鋼連合会会長、日本経営者団体連盟会2代会長。1952年の日航機もく星号墜落事件で亡くなる。

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<三鬼隆像>

場所:楽山荘入り口(岩手県釜石市中妻町3-6-10)

竣工: 1953年3月

像高:

作者: 大須賀力

撮影時:2020年9月21日

説明:当初調べたときは、「昭和園」にあるとあった。昭和園は釜石市のスポーツ用のグラウンドで、ネットの情報によると、像はそこから移築され、今ある場所は日本製鐵の接客施設「楽山荘」の入り口付近になっているそうだ。行ったときに、広場と言えば広場だし、どこかの施設の入り口と言えばそうとも言える、不思議な所に立っているな、と感じた。グラウンドは東日本大震災時の仮設住宅が並び、その後釜石警察署が建った。私は警察の駐車場に車を入れて、何か遠回りして写真を撮った気がする。