銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれてよじれて20年以上。日本中の銅像ハンティングは続きます…

岩手県編 その4

明治天皇 (1852~1912)

 諱は睦仁、称号は祐宮(さちのみや)。それ以外は略します。 

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 <明治天皇像>

場所:盛岡八幡宮岩手県盛岡市八幡町13-1)

竣工: 1975年9月

像高:

作者:

撮影時:2020年9月22日

説明:鳥居をくぐって左側に立つ。1876年に明治天皇がこの地に巡幸した際、盛岡八幡宮で県内産の南部駒約400頭を見たことから像が立てられた。サイトを検索すると、全国に明治天皇像は11体あり、その多くが「渡辺長男」の像をモデルにしているらしい(1914年作の「水戸常陽明治記念館」=現「幕末と明治の博物館」<大洗町>)。盛岡のものもその一つ。

 

〇米内光政 (1880~1948)

 海軍軍人、政治家。岩手県盛岡市生まれ。海軍大将、第37代内閣総理大臣連合艦隊司令長官海軍大臣を歴任した。1939年に結ばれた日独伊三国軍事同盟に反対し、1945年の終戦時には、一貫して戦争の終結を主張した。終戦後も海軍大臣を務め、海軍省廃省の責任者をなった。 

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 <米内光政像>

場所:盛岡八幡宮岩手県盛岡市八幡町13-1)

竣工:1960年10月

像高:

作者:堀江赳

撮影時:2020年9月22日

説明:像は、鳥居をくぐって右側の駐車場から入り、奉安殿を背にして立つ。軍人であるが、像は背広姿である。

 

新渡戸稲造

 内容は第1回目で書いているので略。この像について、作者の高田博厚は「私の人物像は「似ていない」とよく言われる。(中略)けれども、本当の肖像彫刻というものは、「人間」の容貌にそれが経てきた「時間」の層、その厚みが出なかったら意味を失うだろう。」と述べている。

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新渡戸稲造像>

場所:与の字橋右岸(岩手県盛岡市内丸11-1)

竣工: 1976年11月

像高:

作者: 高田博厚

撮影時:2020年9月22日

説明:この日の朝は盛岡市内に宿を取り、最近のやり方である、朝食前の散歩として車では周りにくいホテル周りの銅像を回った。今回は若干範囲が広いので、徒歩でなくレンタサイクルを使った(”HALLO CYCLING”というアプリを使うと、全国結構な所で使えます。しかも店舗ではなく街角の駐輪場に設置されているので、早朝でも使用可)。ちなみに同様の像が、埼玉県東松山市の「高坂彫刻プロムナード」にもある。

   

新渡戸稲造

 略 

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新渡戸稲造像>

場所:新渡戸稲造生誕地(岩手県盛岡市下ノ橋町4-4)

竣工: 1983年10月

像高:

作者:朝倉文夫

撮影時:2020年9月22日

説明:盛岡城址の南、下の橋を渡るとすぐである。生誕地はきちんと整備されており、その奥に像が座っている。この像は東京の多磨霊園新渡戸稲造墓所と同じものである。

 

石川啄木

 第1回に紹介したので略。 

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石川啄木像>

場所:ローソン盛岡大通2丁目店前(岩手県盛岡市大通2-7-28)

竣工: 1977年9月

像高:

作者: 本田貴侶(たかとも)

撮影時:2020年9月22日

説明:「北風に立つ少年啄木像」とあり、この地はかつて盛岡城菜園の路地だったそう。旧制盛岡中学校に通う時代をイメージしたらしい。また今はコンビニだが、かつては「丸藤」というお菓子屋があったらしく、その創立者の古希の記念に立てられた像だという。

  

原敬 (1856~1921)

 外交官、政治家。第19代内閣総理大臣陸奥国岩手郡本宮村(現岩手県盛岡市)生まれ。南部藩士の家に生まれたが、分家して平民となる。司法省法学校に優秀な成績で入学するが、トラブルから退校し、郵便報知新聞社に入社。その後外務省に入り、陸奥宗光に傾倒し、陸奥に招かれ外務次官となる。陸奥の死後、大阪毎日新聞社に入り、社長となる。1900年立憲政友会に入り、第4次伊藤博文内閣で、星亨逓相の辞任後、その職に就く。岩手県から衆議院議員となり、西園寺内閣や山本内閣で内相、1918年に首相に就任した。日本で初の本格的政党内閣である。「平民宰相」として人気を博すが、普通選挙制には冷淡で、在任時の政友会の汚職事件や戦後恐慌の対策が不十分だったことなどから、1921年東京駅で刺殺された。 

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原敬像>

場所:岩手県公会堂(岩手県盛岡市内丸11-2)

竣工: 1951年11月

像高: 67㎝

作者: 本山白雲

撮影時:2020年9月22日

説明:公会堂の西側の角に立つ。生前銅像嫌いだった原が、本山白雲の依頼には応じて、モデルとなって制作されたもの。白雲が最後に制作したものだという。

また、近くの「アートホテル」(岩手県盛岡市大通3-3-18)の2Fの食事処「介寿荘」にも胸像が立っている。(下記写真は、スマホの写真です) 

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〇瀬川正三郎 (1890~1972)

 柔術家、柔道整復師岩手県盛岡市生まれ。旧制盛岡中学校を経て、京都の武術専門学校に入学。その後故郷に戻り、盛岡中学校で柔道を教える。自宅に整骨院を開き、小中学生や生活困窮者には無料で施術をおこなった。戦後は盛岡市消防団長、盛岡市体育協会会長を歴任した。「サンコさん」の愛称で親しまれた。 

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 <瀬川正三郎像>

場所: 毘沙門橋そば<中津川河畔公園>(岩手県盛岡市下ノ橋町1-1)

竣工:1975年12月

像高:

作者: 舟越保武

撮影時:2020年9月22日

説明:盛岡城址側の毘沙門橋のたもとに像は立つ。

 

 

〇杉立義郎  (?~1933)

 医者。初代岩手病院(玄岩手医科大学病院)長。東京帝国大学から招聘された。

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<杉立義郎像>

場所:岩手医科大学病院(岩手県盛岡市内丸19-1)

竣工:

像高:

作者:吉川保正

撮影時:2020年9月22日

説明:

 

宮沢賢治 (1896~1933)

 詩人、童話作家岩手県稗貫郡里川口村(現花巻市)生まれ。仏教(法華経)信仰と農民生活に根差した創作をおこなう。代表作『春と修羅』(詩集)「雨ニモ負ケズ」、『注文の多い料理店』・『銀河鉄道の夜』・『風の又三郎』など。 

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宮沢賢治像>

場所:材木町商店街(岩手県盛岡市材木町3-5)…近隣のカフェの住所

竣工: 1993年3月

像高:

作者: 宇野務

撮影時:2020年9月22日

説明:この材木町商店街(「いーはとーぶアベニュー」)には、「座」のつく宮沢賢治ゆかりのモミュメントが6つあり、その一つがこの宮沢賢治像。あとは石像が多いようだ(石の採石場で休む賢治像である「石座」、「星座」「音座」「絹座」「花座」「詩座」)。

下記の写真にもあるように、コロナ禍の中、賢治像がマスクをしていた。コロナ退散の願いとマスク着用を促す狙いがあるようだが、私は像にマスクをさせることは反対だ。当初はニュースとなって、啓発の足しになっていたかもしれないが、はっきり言って誰も見ていない(銅像好きが言うセリフではないかもしれないが…)。申しわけないが、像の鑑賞に支障をきたし早朝で誰もいなかったので、マスクは外させてもらった。

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