銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれて20年以上。日本中の銅像ハンティングは続きます…

岩手県編  その8

〇菊池淡水 (1902~1990)

 尺八奏者、民謡歌手。岩手県和賀郡湯田町(現西和賀町)生まれ。本名滋直。宮城県出身の後藤桃水に師事した。1950年日本民謡協会を設立、育成し、民謡発展の基礎を作った。

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<菊池淡水像>

場所:西和賀町文化創造館銀河ホール(岩手県和賀郡西和賀町上野々39地割195-2)

竣工: 1995年8月

像高:

作者: 「ステレオ写真謹製」とあるが、「立体写真像㈱」か?

撮影時:2020年9月23日

説明:施設は、和賀川をせき止めた錦秋湖湯田ダム)に突き出した半島状になった場所に立つ。エンジの壁が目立つドーム状の施設だが、その脇の公園に湖を背景に銅像は立つ。なお、東京の日本民謡会館(東京都品川区南品川6-8-20)にも菊池淡水像がある。

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〇深沢晟雄(ふかさわまさお) (1905~1965)

 役人。旧沢内村(現西和賀町)の村長。岩手県和賀郡沢内村生まれ。豪雪・貧困・多産多死に苦しめられていた同村において、「生命尊重」の思想を基盤とした行政を推進し、多くの村民の命を救った。戦前は満洲等で働き、戦後佐世保重工業などに勤務したが、1954年に沢内村に戻り、教育長から助役を経て、1957年に村長となる。村民の医療費無料化と乳児死亡率ゼロを達成するが、1965年に村長在職のまま亡くなった。

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<深沢晟雄像>

場所:深沢晟雄資料館(岩手県和賀郡西和賀町沢内太田第2地割68)

竣工: 1966年9月

像高:

作者: 吉川保正

撮影時:2020年9月23日

説明:胸像はもともと沢内病院の庭に設立されたが、2008年「深沢晟雄資料館」が同病院の向かい側に建てられると、像も移設された。脇には顕彰碑も立っている。沢内病院は、2014年町立西和賀さわうち病院となり、大野地区に移転した。

 

佐藤隆房 (1890~1981)

 医師。岩手県花巻市生まれ。花巻共立病院(現総合花巻病院)を設立し明朝・理事長。岩手県医師会会長などにもなった。宮沢賢治の主治医を務め、賢治の最期を看取った。私費で「桜地人会」(美術館・文学館)を開設、高村光太郎とも知己となり、活動を助けた。

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佐藤隆房像>

場所:桜地人会(岩手県花巻市桜町4-14)

竣工: 1983年5月

像高:

作者: 高田博厚

撮影時:2020年9月22日

説明:像は桜地人会の前庭に立つ。桜地人会の館内には、高村光太郎舟越保武の作品も展示され、胸像も見受けられたが、訪れたときは閉館時だったので、残念ながら観覧できなかった。

 

〇谷村貞治(やむらていじ) (1896~1968)

 実語床、政治家、教育者。岩手県稗貫郡新堀村(現花巻市)生まれ。神田の電機学校(現東京電機大学)卒業後、逓信省を経て民間会社に入るが、自立の意志が強く、新興製作所を創業し、電信機の開発・製造に携わる。戦後会社を花巻市に移転し、テレックスなどを開発する。一方でテレプリンターの専門オペレーター養成のために谷村学院高校(現花巻東高校)を創立する。その後参議院議員を務め、地元の産業振興、発展に貢献した。

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<谷村貞治像>

場所:鳥谷崎神社(岩手県花巻市城内7-28)

竣工: 1967年春

像高: (立像である)

作者:舟越保武

撮影時:2020年9月22日

説明:寿像として立てられ、その脇に2012年に顕彰碑が立てられている。寿像の背面には、芦田均(元総理大臣)や澁澤敬三(元日銀総裁・蔵相)の碑文が刻まれている。

 

〇千田正(ちだただし) (1899~1983)

 政治家、実業家。岩手県胆沢郡金ヶ崎村(現金ヶ崎町)生まれ。早稲田大学卒業後アメリカなどに留学、帰国後にいくつかの事業に失敗する。しかし中国に渡ってから貿易業に成功し、岩手県出身者の面倒をよく見たことから、第二次世界大戦後帰国すると参議院議員を3期務める。さらに岩手県知事を4期務め、東北自動車道東北新幹線の誘致に成功する。

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<千田正像>

場所:千田正記念館(岩手県胆沢郡金ヶ崎町三ヶ尻谷地中98)

竣工: 1973年11月

像高:

作者: 小金丸幾久

撮影時:2020年9月23日

説明:朝一で行ったら、10時からの開館で門が開いておらず、像の姿は見えるものの写真が撮れなかった。なので他の像を見て一回りしてからまた訪問した。旧千田邸は1930年建造。同じ敷地に立つ旧岩手県知事公館洋館は、1909年建造のもの。

 

〇八重樫長兵衛 (1913~1978)

 役人、政治家。岩手県和賀郡飯豊村生まれ。第二次世界大戦後、故郷の飯豊村助役となり、最後の飯豊村村長に就任、飯豊村が北上市と統合されると、北上市助役から1962年に市長となった。北上工業団地を造成、その東西に貫く道は「長兵衛道路」と呼ばれた。その後は北上市農業協同組合長、岩手県経済農業協同組合連合会会長となった。

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<八重樫長兵衛像>

場所:伊勢山公園(岩手県北上市村崎野24地割-79-3)

竣工: 1990年5月

像高:

作者: 立体写真像㈱(盛岡公彦)

撮影時:2020年9月23日

説明:伊勢山公園は、JR東北本線村崎野駅から北に上がった伊勢神社のすぐ脇に立つ。伊勢山公園自体は、その手前を右折した辺りが中心なので、伊勢神社を目指した方がいいだろう。広い駐車場もある。

 

〇斎藤五郎  (1906~1987)

役人、政治家。岩手県和賀郡二子村(現北上市)生まれ。二子村や黒沢尻町書記となる。市町村合併後の北上市で収入役、助役を経て、1966年から北上市長を5期務める。東北縦貫道の北上ICや東北新幹線北上駅の誘致に尽力する。

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<斎藤五郎像>

場所:黒沢尻北公園(岩手県北上市常盤台1-1-9)

竣工: 1995年11月

像高:

作者: 立体写真像㈱(盛岡公彦)

撮影時:2020年9月23日

説明:斎藤氏は前期の八重樫氏を破って市長になったんですね。黒沢尻北公園は、黒沢尻北高校の手前だが、北上氏の公園って、柵がある訳でもなく、芝生が貼ってあって、漠然とした感じですね。伊勢山公園とよく似てます。

 

〇沢藤幸治 (1881~1960)

 実業家、政治家。岩手県和賀郡黒沢尻町(現北上市)生まれ。1895年に上京後、大阪で新聞を発行、1915年には沢藤商店を経営し、「日本公論」を発行、その後も書籍出版を続けた。一方で1920年北上川沿いに「展勝地」を作り始め、桜を植えていった。その後黒沢尻町長、岩手県議会議員を務めた。展勝地はその後北上市立の公園となった。

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<沢藤幸治像>

場所:北上市立公園展勝地(岩手県北上市立花第10地割)

竣工: 1973年5月

像高:

作者:

撮影時:2020年9月23日

説明:展勝地の入り口付近に立つ。前回岩手県を訪れた時は、銅像に興味があったわけではないが、この像を写真におさめた。調べてみると、桜の名勝は、いずれも「ソメイヨシノ」の寿命が来ていて、名勝地の再建に苦労しているようだ。

さて、岩手県の住所を調べると「第×地割」と出てくるが、この「地割」とは、南部藩の藩政時代の小字レベルの地名の階層のことらしい。藩政時代に「い・ろ・は」と振っていた検地番号を数字化したときに「第1地割…」としたという。その後各市町村で、そのままにしたところと「地割」を廃して「字」名を残したところに分かれたという。

 

※※岩手県編の第3回で掲載していた、「牧庵鞭牛」の像の作者について、「YS」の署名ありと書きましたが、調査の結果「佐藤祐司」さんという方だとわかりました。Twitterの「岩手県銅像を調べてる赤べこ」さんに載っていました。ありがとうございます。