〇和田正明 (?~?)
八郎潟の埋め立てを推進した、八郎潟新農村建設事業団理事長。どうももともとは農林水産省の役人だったようだ。
<和田正明像>
場所:八郎潟干拓博物館(道の駅大潟:秋田県南秋田郡大潟村西5-2)
竣工:
像高:
作者:
撮影時: 2012年8月25日
説明:道の駅大潟に敷設している、八郎潟干拓博物館の入り口に、小畑勇二郎県知事、嶋貫隆之助大潟村長と3体セットで立っている。しかし、小畑知事は立像ながら、和田氏、嶋貫氏は胸像とその扱いに差がある。
〇小畑勇二郎 (1906<明治39>年~1982<昭和57>年)
紹介文は前出なので省略。
<小畑勇二郎像>
場所:八郎潟干拓博物館(道の駅大潟:秋田県南秋田郡大潟村西5-2)
竣工:
像高:
作者:
撮影時: 2012年8月25日
説明:道の駅大潟に敷設している、八郎潟干拓博物館の入り口に、小畑勇二郎県知事、嶋貫隆之助大潟村長と3体セットで立っている。しかし、小畑知事は立像ながら、和田氏、嶋貫氏は胸像とその扱いに差がある。
〇嶋貫隆之助 (?~?)
大潟村の初代村長。人工の干拓地に生まれた村で当初は住民もないため、村長職務執行者として、秋田県の県庁内の八郎潟干拓推進事務局の初代局長であった嶋貫氏が選ばれ(昭和39年)、その後の選挙でも初代村長となった。
<嶋貫隆之助像>
場所:八郎潟干拓博物館(道の駅大潟:秋田県南秋田郡大潟村西5-2)
竣工:
像高:
作者:
撮影時: 2012年8月25日
説明:道の駅大潟に敷設している、八郎潟干拓博物館の入り口に、小畑勇二郎県知事、嶋貫隆之助大潟村長と3体セットで立っている。しかし、小畑知事は立像ながら、和田氏、嶋貫氏は胸像とその扱いに差がある。
〇井坂直幹 (1860<万延元>年~1921<大正10>年)
実業家。常陸国(現茨城県)水戸生まれ。水戸藩士。明治以降は大日本史史料編集に従事していたが、1881年に慶応義塾に寄宿、時事新報、日本土木を経て、林産商会の能代支店長となり能代に来る。明治40年に秋田木材㈱を興し、能代市を「東洋一の木都」と呼ばれるまでにした。
<井坂直幹像>
場所:能代市御指南町3(井坂公園)
竣工: 1969<昭和44>年9月(元は<大正11>年5月)
像高:
作者: 阿部米蔵(新像の作成については、佐々木素雲氏が途中で亡くなる)
撮影時: 2012年8月25日
説明:初代の胸像は、戦争中の金属供出で壊され、1969年に復元された。公園は井坂氏の邸宅跡で、邸宅の一部が「井坂記念館」として残り、館内にも銅像(この胸像の元と小さな立像か?)がある模様。
〇小野喬 (1931<昭和6>年~)
元体操選手。能代市生まれ。オリンピックの体操競技で日本代表となり、ヘルシンキ(銅メダル=跳馬)、メルボルン(金メダル=鉄棒)と出場。メルボルンの金メダルは日本男子体操選手として初だった。ローマでは団体総合優勝に貢献、鉄棒と跳馬でも金メダルを取った。東京では団体総合で金メダル。このほかに銀、銅メダルも各大会で取っており、獲得メダル総数13個は日本人最多。
<小野喬像>
場所:能代市富町1(富町街区公園=能代市民体育館脇)
竣工: 1963<昭和38>年8月
像高:
作者:
撮影時: 2012年8月25日
説明:体操の鉄棒の着地の瞬間か?得意げな顔をしている。奥さん(小野清子)ともども体操界では有名な人物だったらしい(あまり覚えていない)。写真を撮った時には体育館の敷地と思ったが、隣の公園だったんですね…。
〇成田直衛 (1848<嘉永元>年~1918<大正7>年)
政治家。秋田県鷹巣町(現北秋田市)生まれ。初代の秋田県議会議長、衆議院議員4期。地域の近代化、文化・産業の振興に尽力した。
<成田直衛像>
場所:北秋田市住吉町10-14(米代児童公園)
竣工: 1980<昭和55>年9月
像高:
作者:
撮影時: 2012年8月25日
説明:この像は、鷹巣地方史研究会などの有志がお金を出し合って作った。現在は鄙び具合などいい感じになっている。