宮崎編です。行っていたのは2022年の3月終わり140体近くを確認しましたが、30体近くは見つけられなかったり、館内などで回るのを断念したり。まあ、行ってみましょう!
〇上原勇作 (1856~1933)
明治期から大正期の陸軍軍人。陸軍大臣、教育総監、参謀総長(「陸軍三長官」と言い、これを歴任した上で、元帥府に列せられたのは上原と杉山元のみ)。薩摩藩領の日向国都城(現宮崎県都城市)生まれ。薩摩藩の都城島津家の家老、龍岡資弦の次男。1875年に島津氏一門の上原家に養子に入る。陸軍士官学校卒業後フランスに留学し、帰国後工兵の近代化に尽力、「日本工兵の父」と称される。日清戦争では第1軍の参謀、日露戦争では、第4軍の参謀などして活躍、1907年に男爵を授かった。1912年第二次西園寺公望内閣で陸軍大臣となった際、陸軍二個師団増設要求が拒否されると、帷幄上奏権を行使して辞任、陸軍は後任を出さず、軍部大臣現役武官制を利用して内閣を総辞職させた。
<上原勇作像>
場所:上原勇作生誕地(宮崎県都城市上町17-21)
竣工:2002年4月
像高:
作者:奥村良弘
撮影時:2020年3月20日
説明:この像は、2020年に鹿児島県を巡ったとき、曽於市の山中重則顕彰館(鹿児島県曽於市末吉町深川5921)を訪れた際、すぐに都城市だったので撮っている。像は市役所の近く、町の真ん中にある(生誕地の場合よくあること)。
〇財部彪(たからべたけし) (1867~1949)
明治期の海軍軍人。戦前期の政治家。日向国都城(現宮崎県都城市)生まれ。海軍兵学校を首席で卒業する。日露戦争では大本営作戦参謀を務める。海軍大将となり、加藤友三郎内閣から第2次山本内閣、加藤高明内閣、第1次若槻内閣、浜口内閣において、海軍大臣を務める。ロンドン海軍軍縮会議では全権として、同条約に調印した。このことに海軍軍令部や政友会が反発し、統帥権干犯問題が起こる。
<財部彪像>
場所:城山公園(宮崎県都城市都島町803)
竣工:1995年10月
像高:
作者:立体写真像(株)(館岡公彦)
撮影時:2020年3月20日
説明:城山公園内だが、都之城城の城跡である丘の上ではなく、同公園の駐車場脇の広場に立つ。襟章と胸の勲章は金色である。
〇瀬戸山三男 (1904~1997)
戦後期の政治家。熊本県天草郡下津浦村(現熊本県天草市)生まれ。旧姓河内。苦学して明治大学を卒業、司法省に入り、各地判事を歴任。1933年宮崎県都城市の瀬戸山家の娘と結婚、後に瀬戸山家の血筋が絶えたため、瀬戸山家の婿養子となる。戦後乞われて都城市の助役となり、その後都城市長となる。さらに衆議院議員となり(当選11回)、文部大臣、法務大臣、建設大臣を歴任。
<瀬戸山三男像>
場所:城山公園(宮崎県都城市都島町803)
竣工:1988年5月
像高:
作者:立体写真像(株)(館岡公彦)
撮影時:2020年3月20日
説明:戦前の有名や上原勇作や財部彪よりも、瀬戸山三男の像が先に立つのは、やはり政治家優先なのかな?前の二人は軍人なので、戦後しばらくは遠慮もあったかもしれない。でも前の二人は日本史の教科書レベルの偉人(?)なんだけどね…。写真は夕方の逆光で真っ暗です💧
〇須田利信 (1856~1925)
明治、大正期の造船技術者、日本郵船副社長。死後生誕地と金5万円を市に寄贈、公会堂が作られ、のちに須田記念館と改称された。この施設は1966年に市民会館が完成するまで使われた。
<須田利信像>
場所:都城市総合社会福祉センター(宮崎県都城市M松元町4-14)
竣工:1927年9月
像高:
作者:朝倉文夫
撮影時:2022年3月29日
説明:この施設の角に立つが、けっこう大事にされたんですね。写真を撮ってこなかったんですが、「須田会館」から「社会福祉会館」にする際に建てられた碑で、市長の言い訳が載ってます。
〇石川理紀之助 (1845~1915)
明治、大正期の農業指導者。出羽国秋田郡小泉村(現秋田県秋田市)生まれ。旧姓奈良。家業の農業に従事し、コツコツと働く。秋田県庁に出仕している際に、種苗交換会を創設し、農業の発展に貢献、効率的経営を実践し、「農業の神様」と称せられた。
<石川理紀之助像>
竣工:1996年12月
像高:
作者:立体写真像(株)(館岡公彦)
撮影時:
説明:1902年の春から夏にかけて、桜島の大噴火でこの谷頭村(当時は北諸縣郡山田村字谷頭)に避難してきた農民の指導に当たり、地域農民から信望を集めたことから、故郷と遠く離れたこの地に像がある。像の台座には「寝ていて人を起こすことなかれ」と書かれている。この人はえらい!2023年11月6日(つい最近だ…)秋田県大潟村に理紀之助の立像が立てられました。秋田県潟上市の潟上市郷土文化保存伝習館には、理紀之助の史料が残されています。
〇髪長姫 略
古墳時代?の日向国諸縣の豪族牛諸井(オオハナモチノミコトとも)の娘で、このあたりの生まれという。大雀命(オオギキノミコト=のちの仁徳天皇)の妃になったとされる。
<髪長姫像>
竣工:1991年11月
像高:
作者:奥村良弘
撮影時:
説明:牧之原古墳群は、諸縣の一族の墓とされる。なお彼女たち一族は、都城駅近くの
早水公園にある早水神社に祀られている。なかなか美形の像である。