銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれてよじれて20年以上。日本中の銅像ハンティングは続きます…

滋賀県編  その16

2023年10月に、東近江市秘仏開扉と高月の「観音の里ふるさとまつり」(毎年10月15日前後の日曜日)があり、それを見るついでに、昨年回れなかった湖西北部の安曇川新旭町銅像を巡ってきたので、報告します。

 

中江藤樹 略

中江藤樹像>

場所:安曇川駅東口(滋賀県高島市安曇川町末広1-1)

竣工:1977年10月

像高:

作者:

撮影時:2023年10月15日

説明:中江藤樹と高島は切り離せない。安曇川町の小学校には、中江藤樹幼年時代の像がある。安曇小学校(滋賀県高島市安曇川町田中445-1:1974年12月)と青柳小学校(滋賀県高島市安曇川町青柳1138:1974年10月)である。安曇小は校門を入って正面玄関前、青柳小は校門を入って校舎の右側である。幼年像はいずれも「IMURO」のサインがあるが、作者をご存じの方、教えてください。

 

     (安曇小学校)             (青柳小学校)

〇安原仁兵衛  (1874~1931)

 政治家。県議会議員、県議会議長を歴任。衆議院議員立憲政友会。2期)。滋賀県高島郡安曇川町生まれ。湖西の鉄道敷設に関して、仁兵衛の政友会入党を契機に敷設免許が下り、江若鉄道として建設(現JR湖西線がこの後継)。

<安原仁兵衛像>

場所:安曇川駅西口(滋賀県高島市安曇川町中央1-1)

竣工:1974年7月

像高:

作者:長田晴山

撮影時:2023年10月15日

説明:経歴をみていたら、自分の経営していた鉄道にひかれて死んだ由。なんとも残念…

 

〇藤本太郎兵衛

 江戸時代後期の庄屋(名主)。近江国高島郡深溝村の庄屋。どうもこの像は特定の個人なのではなく、同名の3世代の庄屋を合わせたものらしい。琵琶湖は瀬田川しか排水路がなく、湖岸の農民は度重なる洪水に悩まされてきた。そこで初代太郎兵衛(直重)は、湖岸一帯の村々の自普請(自分たちで工事費を負担する工事)による瀬田川の川さらえを呼びかけ、177ヶ村のとりまとめに尽力し幕府から許可を得たが、工事人夫の統制がとれずに失敗。2代目太郎兵衛(重勝)は、老中松平定信に委任状を提出するも取り上げられず。3代目太郎兵衛(清勝)が、2代の意志を継いで粘り強く働きかけた結果、1831年に許可が下り、「天保の御救大浚え」と呼ばれる大事業が成し遂げられた。

<藤本太郎兵衛像>

場所:夕暮原(滋賀県高島市新旭町深溝)

竣工:1993年12月

像高:

作者:川原林たま

撮影時:2023年10月15日

説明:「道の駅しんあさひ風車村」(と呼ばれているが、実態は「STAGEX高島」と呼ばれるグランピング施設)の駐車場に入れると道路反対側の目の前。ちなみに新旭町には「太郎兵衛饅頭」があるらしい(「伊庭吉菓舗」:滋賀県高島市新旭町深溝963)。

(高島観光ガイド:https://takashima-kanko.jp/spot/2018/06/post_52.html

 

清水安三  (1891~1988)

 教育者、牧師。滋賀県高島郡新儀村(現滋賀県高島市)生まれ。幼くして父を亡くし、長兄の放蕩により家が没落した。そのときW・M・ヴォーリズに出会い受洗し、同志社神学校に入り、渡米してオーバリン大学に学ぶ。卒業後中国に渡り、布教活動をする。戦後帰国すると、学校法人桜美林学園を創立した。

清水安三像>

場所:高島市役所(滋賀県高島市新旭町北畑565)

竣工:2004年

像高:

作者:井上久照

撮影時:2023年10月15日

説明:なんか聞いたことがあるとは思っていたが、桜美林大学創立者だったとは…。前に桜美林大学の像を撮りに行ったとき、キリスト教系なのに、孔子中江藤樹の像(陶像)があるのは不思議だったのですが、高島出身だから中江藤樹で、中国に渡っているから孔子なんですね。下は、桜美林大学清水安三像。

 

山岡孫吉  (1888~1962)

 実業家。ヤンマーディーゼル(現ヤンマーホールディング)の創業者。滋賀県伊香郡東阿閉村(現滋賀県長浜市高月町)生まれ。若くして苦労し、大阪瓦斯工事の人夫をしていたとき、ガスエンジンに出会い技術を学ぶ。その後農業用小型石油エンジンメーカー、ヤンマーを作る。さらに小型ディーゼルエンジンを開発した。

山岡孫吉

場所:ヤンマー児童公園(滋賀県長浜市高月町東阿閉)

竣工:1976年6月

像高:

作者:瀬戸團治

撮影時:2023年10月15日

説明:隣にいる婦人は、ひさ夫人。長浜市から旧高月町にかけては、やたらにヤンマーの工場が多い。また近くには、「ヤンマー会館」というモダンな建物があるが、「東阿閉公民館」である。ドイツ風ゴシック建築の尖塔があり、農村風景の中遠くからでも目立つ。

 

羽柴秀吉 略

羽柴秀吉像>

場所:豊国神社(滋賀県長浜市南呉服町6-37)

竣工:2023年10月

像高:

作者:平田敦司

撮影時:2023年10月15日

説明:若き日(37歳頃)の羽柴秀吉をイメージし、「長浜開市450年」を記念し、作成したとのこと。秀吉は、1573年に浅井氏の滅亡後、この北近江3郡をを統治し、今浜を「長浜」と改め、城を作って町を発展させた。

 

名神高速米原ICそばの旧「忠太郎食堂」にあった、「番場の忠太郎像」が発見され、移転し建てられたものを撮ってきましたので、ここに報告します(場所は、滋賀県米原市番場の「中山道番場宿跡のポケットパーク」です)。