〇大海人皇子 (?~686)
第40代天皇。天武天皇。舒明天皇と皇極天皇(のち斉明天皇)の子。中大兄皇子(天智天皇)の弟。妻は鵜野皇女(のちの持統天皇)。兄の死後、大友皇子との壬申の乱に勝利し即位した。飛鳥浄御原宮を作り、八色の姓を制定した。飛鳥浄御原令、藤原京、『古事記』『日本書紀』の編纂などに取り掛かったが、いずれもその完成は妻の持統天皇の時代となった。「天皇」を称号とし、「日本」を国号としたされる。
<大海人皇子像>
竣工:
像高:
作者:
撮影時:2012年4月29日
説明:像の下には、『万葉集』の「紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻故に我れ恋恋ひめやも」が彫られている。次の額田王像が東側の欄干にいて、その下には『万葉集』の「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」の歌が掲げられている。この歌の舞台とされる「蒲生野」は、このあたりとされる。
〇額田王 (?~?)
飛鳥・藤原時代の皇族・歌人。『日本書紀』によると、大海人皇子の妻で、十一皇女を生んだとされる。
<額田王像>
竣工:
像高:
作者:
撮影時:2012年4月29日
説明:昔から上記の歌を元に、額田王は中大兄皇子と大海人皇子と三角関係にあったとされる。『万葉集』には「熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな」の歌などが載る。
雪野山大橋を渡った右側にある、「妹背の里」(滋賀県蒲生郡竜王町川守5)には、大海人皇子と額田王の像(妹背の像)もある。
甲良町の藤堂高虎、甲良宗弘。永源寺町の惟喬親王。東近江市のヘレン・ケラー。大津市のヨハネス・デ・レーケ、紫式部。彦根市の山本清一郎。湖北町の山岡孫吉。高島市の藤本太郎兵衛、清水安三、などは撮影できていないので、今後滋賀県を探索する折にはぜひとも撮影したおきたい。
滋賀県はとりあえずここまでです。