銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれてよじれて20年以上。日本中の銅像ハンティングは続きます…

滋賀県編   その15

大海人皇子  (?~686)

 第40代天皇天武天皇舒明天皇皇極天皇(のち斉明天皇)の子。中大兄皇子天智天皇)の弟。妻は鵜野皇女(のちの持統天皇)。兄の死後、大友皇子との壬申の乱に勝利し即位した。飛鳥浄御原宮を作り、八色の姓を制定した。飛鳥浄御原令藤原京、『古事記』『日本書紀』の編纂などに取り掛かったが、いずれもその完成は妻の持統天皇の時代となった。「天皇」を称号とし、「日本」を国号としたされる。

大海人皇子像>

場所:雪野山大橋西欄干(滋賀県蒲生郡竜王町川守)

竣工:

像高:

作者:

撮影時:2012年4月29日

説明:像の下には、『万葉集』の「紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻故に我れ恋恋ひめやも」が彫られている。次の額田王像が東側の欄干にいて、その下には『万葉集』の「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」の歌が掲げられている。この歌の舞台とされる「蒲生野」は、このあたりとされる。

 

額田王  (?~?)

 飛鳥・藤原時代の皇族・歌人。『日本書紀』によると、大海人皇子の妻で、十一皇女を生んだとされる。

額田王像>

場所:雪野山大橋西欄干(滋賀県蒲生郡竜王町川守)

竣工:

像高:

作者:

撮影時:2012年4月29日

説明:昔から上記の歌を元に、額田王中大兄皇子大海人皇子と三角関係にあったとされる。『万葉集』には「熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな」の歌などが載る。

雪野山大橋を渡った右側にある、「妹背の里」(滋賀県蒲生郡竜王町川守5)には、大海人皇子額田王の像(妹背の像)もある。

 

甲良町藤堂高虎、甲良宗弘。永源寺町の惟喬親王東近江市ヘレン・ケラー大津市ヨハネス・デ・レーケ、紫式部彦根市の山本清一郎。湖北町山岡孫吉高島市の藤本太郎兵衛、清水安三、などは撮影できていないので、今後滋賀県を探索する折にはぜひとも撮影したおきたい。

 

 

滋賀県はとりあえずここまでです。