神奈川県の追加です。
〇中根環堂 (1876~1959)
昭和期の教育者、仏教学者。曹洞宗の僧侶。愛知県生まれ。鶴見大学の創設に尽力。駒澤大学の学長。
<中根環堂像>
場所:鶴見大学付属中学、高等学校(神奈川県横浜市鶴見区鶴見2-2-1)
竣工:1958年11月
像高:
作者:
撮影時:2023年4月29日
説明:総持寺の北西の山裾に学校がある。正門を入ってすぐ左に像はいる。像は死の前年、褒章を受けた時に学校の同窓会が立てたもので、この時点では寿像であった。
〇瑩山紹瑾(けいざじょうきん) (1268~1325)
鎌倉時代の曹洞宗の僧侶。瑩山派(総持寺派)の祖。太祖常済大師。諡号は佛慈禅師。越前国多禰(現福井県越前市帆山)生まれ。地域の豪族瓜生氏の出という。8歳で仏門に入り、13歳で出家得度。その後各地で修業にいそしみ、能登に総持寺を開いた(總持寺は明治期の大火で焼失後、横浜市鶴見区に移る)。
<瑩山紹瑾>
竣工:2019年10月
像高:
作者:
撮影時:2023年4月29日
説明:総門を潜り、すぐ右手にあり、その奥が「向唐門」である。碑文を読むと、2024年が、瑩山紹瑾の700回大遠忌にあたり、この3体以外にも、祖師たちの像を建てる旨が説明されている。
〇峨山韶碩(がさんじょうせき) (1275~1366)
鎌倉後期から南北朝期の曹洞宗の僧侶。能登国羽咋郡瓜生田(現在の石川県河北郡津幡町字瓜生)に生まれ。瑩山紹瑾の弟子。總持寺第2世。大現宗猷國師。
竣工:2019年10月
像高:
作者:
撮影時:2023年4月29日
説明:瑩山紹瑾をはさんで右側に坐る。師匠の後、永光寺の住持となり、毎朝總持寺まで歩いた(13㌔)。
〇明峰素哲 (めいほうそてつ) (1277~1350)
南北朝期の曹洞宗の僧侶。富樫氏の出という。師の後、大乗寺、永光寺の住持となり、晩年は越中国に光禅寺を開いた。
竣工:2019年10月
像高:
作者:
撮影時:2023年4月29日
説明:鶴見大付属高校へ自分の持つ部活の試合の応援に行き、その足で總持寺に寄った。なお、境内には「雲水群像」という銅像もある。