〇岩根智俊 (1890~?)
古義真言宗の僧侶。常楽寺住職。布教活動に尽力するとともに、民生委員や教誨師などを歴任、社会福祉法人常楽園を開く。像の竣工段階では、寿像だったと思われる。
<岩根智俊像>
竣工: (おそらく)1978年
像高:
作者:
撮影時: 2014年1月6日
説明:常楽寺は、四国八十八か所霊場の第14番札所。岩盤の上に境内がある。この像と宝篋印塔をはさんで、弘法大師像もたつ。
〇前田治 (1910~1965)
教育者、社会福祉活動家。徳島県那賀郡相生町(現那賀町)生まれ。徳島師範学校を卒業後、小学校教諭となり、38歳の若さで中学校校長となる。その後県厚生課主査などを歴任した。
<前田治像>
竣工: 1966年11月
像高:
作者:
撮影時: 2014年1月7日
説明:鮎喰川の畔にある、一宮会館の敷地内に立つ。
〇井内恭太郎 (1854~1934)
明治~大正期の官吏。阿波国阿波郡大俣村(現徳島県阿波市)生まれ。徳島県庁に入り、海部郡、麻植軍、美馬郡長を歴任、その後名西郡郡長として、麻名用水、板名用水の建設、整備に尽力した。
<井内恭太郎像>
場所:麻名用水土地改良区(徳島県名西郡石井町石井字石井42-1)
竣工: 1950年7月
像高:
作者:
撮影時: 2014年1月6日
説明:麻名用水は徳島県下屈指の規模を誇る。この地域は江戸時代には藍作の中心地だったが、明治に入り化学染料などの輸入で藍作が大打撃を受け、稲作への転換を図るため、用水計画が起こった。1905年に始め、1908年に完成した。
〇河野清弥太 (?~?)
藤井寺公園保存会会長。1935年ごろから荒廃していた寺を再建させ、新八十八か所、西国三十三観音も復興させた人物とのこと。
<河野清弥太像>
竣工: 1958年8月
像高:
作者:
撮影時: 2014年1月6日
説明:石像である。藤井寺は、四国八十八か所霊場の11番札所。もともと真言密教の道場として栄えたが、天正年間(1573~92)の兵火により全山焼失、阿波藩主の庇護により、臨済宗寺院として復興したが、1832年にふたたび火災に遭い、1860年に再建された。ここにも弘法大師像がある。
〇泉智等 (1849~1928)
真言宗の僧侶、書家。阿波国麻植郡鴨町(現徳島県吉野川市)生まれ。12歳で出家し、明治に入ってから高野山で、その後京都で仏教学を学ぶ。真言宗布教師として全国を回り、1900年から仁和寺門跡、1908年には泉涌寺長老となる。1925年には真言宗総本山金剛峰寺の第388世座主となった。
<泉智等像>
場所:鴨島公民館(住所)
竣工: 1971年5月(1932年に原像あり)
像高:
作者:
撮影時: 2014年1月6日
説明:この像は、現地出身の松村善蔵(当時丸善石油社長)が、泉智等に帰依し、当地に立てたものの、戦時中の金属供出で消滅してたが、戦後松村氏の現金寄贈により、この地が鴨島公園として保存され、さらに町民体育館新設にあたって、この銅像の再建がされた。像は公民館と体育館の境のあたりにいる。
〇川喜田郁夫 (1902~?)
教育者、政治家。徳島県麻植郡鴨島町長(現吉野川市)。県議会議員(5期)、県議会議長。
<川喜田郁夫像>
竣工: 1976年6月
像高:
作者:
撮影時: 2014年1月6日
説明:レリーフ像である。像のできた段階では寿像であったようだ。
〇三木武夫 (1907~1988
政治家。徳島県板野郡御所村(現徳島県阿波市)出身。1937年の衆議院議員選挙で初当選以来当選19回、51年の長きにわたって在任した。通産大臣、運輸大臣、外務大臣を歴任し、田中角栄が金脈問題で辞職すると、そのあとを受けて1974年に内閣総理大臣(第66代)となった。しかしロッキード事件などで総選挙を惨敗し、退任した。
<三木武夫像>
竣工: 1993年3月
像高: 3m
作者:
撮影時: 2014年1月5日
説明:徳島自動車道の土成インターを出てすぐにある公園内に立つ。Wikipediaには、この像を見た苅部直(政治学者)が、「逆風に向かって屹立する、高邁にして孤独な三木の政治家像を鮮やかに伝える」と書かれている。なお、近くの土成歴史館(徳島県阿波市土成町土成字丸山46-1)館内中庭にも胸像がある。
※今回の範囲だと、大御和神社(徳島県徳島市国府町府中644)にお二人のレリーフ像が、原児童公園(徳島県名西郡石井町石井)に誰かの胸像があるのですが、訪問できていません。