銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれて20年以上。日本中の銅像ハンティングは続きます…

神奈川県編  その7

〇ジェームス・カーティス・ヘボン (1815~1911)

 アメリカ人。米国長老派教会の医療伝道宣教師。幕末に来日し、横浜で医療活動に従事した。また聖書の日本語訳に携わり、初の和英辞典『和英語林集成』を編纂し、それによってヘボン式ローマ字を普及させた。東京で明治学院(のちの明治学院大学)を創設し、初代総理に就任するなど教育にも貢献した。

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<ジェームス・カーティス・ヘボン像>

場所:横浜地方合同庁舎(神奈川県横浜市中区山下町37-9)

竣工: 1949年10月

像高:

作者:

撮影時:2021年12月18日

説明:来日当初は成仏寺にいたが、1862年にこの地(横浜居留地39番)に転居した。横顔のレリーフ像である。ヘボン来日90周年を記念して建てられた。おそらく晩年の横顔写真がモデル。この地は住居、施療所、礼拝堂兼教室で、ヘボン塾(明治学院の前身)となる。山手の「山手ヘボン家族寮」(神奈川県横浜市中区山手245)は、1882年から1892年の帰国時までのヘボン夫妻の邸宅跡。ここにもレリーフ像がある(未撮影)。なお、「ヘボン」は現地読みで、今は「ヘプバーン(ペップバーン)」が普通である。

 

〇ヘンリー・スペンサー・パーマー (1838~1893)

 イギリス人。日本発の近代的水道である横浜水道を完成させたイギリス陸軍工兵少将。お雇い外国人の一人。その後も日本に残り活躍した。日本女性と再婚するなど日本を愛し、死後は青山霊園に埋葬された。

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<ヘンリー・スペンサー・パーマー像>

場所:野毛山公園(神奈川県横浜市西区老松町、東が丘

竣工:1987年 4月

像高:

作者: 安丸信行

撮影時:2021年12月18日

説明:横浜水道は、相模川支流の道志川相模原市緑区三井)から野毛山配水池まで全長43キロに及ぶ。多くが「水道道」として残っている。

 

美空ひばり (1937~1989)

 歌手、女優。神奈川県横浜市磯子区生まれ。本名加藤和枝。9歳でデビューし、その天賦の歌唱力で注目され、一躍スターとなった。昭和を代表する歌手である。

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美空ひばり像>

場所:松葉寿司(神奈川県横浜市中区宮川町2-55-1)

竣工:1993年12月

像高:170㎝

作者:新藤武

撮影時:2021年12月18日  

説明:この地は、美空ひばりが8歳のころに初舞台を踏んだ、横浜国際劇場の跡地近く。松葉寿司は生前ひばりがよく通っていた寿司屋だとのこと。像はその頃のひばりをモチーフにしている。美空ひばり像は、かつて京都嵐山にあったが(美空ひばり館。2013年に閉館。)、現在「太秦映画村」内の「美空ひばり座」に多くの展示物が移され、銅像もあるようだ。さらに福島県いわき市の塩屋崎に写真をパネルにした像がある。この地は大病をしたひばりの復帰作「みだれ髪」の舞台であるため。ちなみに福岡県福岡市城南区にある正覚寺(油山観音)には、美空ひばりをモデルにした「ひばり観音」があるとか(福岡市福岡市城南区東油山508)。

 

〇太田徳次郎 (~1938?)

この地にあった「新栄講」の講元で、水行場を作った。

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<太田徳次郎像>

場所:成田山横浜別院延命院(神奈川県横浜市西区宮崎町36)

竣工:1967年5月

像高:

作者:

撮影時:2021年12月18日  

説明:この地は1871年に設けられた成田山新勝寺の遥拝所を元に、1878年高島嘉右衛門と新栄講から敷地の寄進を受けて建てられた寺。2014年10月の台風18号でこの地にあった仮本堂裏の崖が崩れ、僧侶一人が死亡しているが、現在は崖上に立派な本堂ができ(写真の背後の赤い格子の懸崖作りの建物)、崖下は駐車スペース(車のお祓いなどをやっているようだ)となっている。銅像はその左隅の「開運出世稲荷神社」の部分に立つ。「新栄講」とあるので、この地の信者の団体の代表だったのだろう。

 

〇太田三吉 (?~1979)

 太田徳次郎氏の跡を継いで「新栄講」元となり、この地にあった「水行場」を守り、戦災後の諸施設を復興したらしい。

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<太田三吉像>

場所:成田山横浜別院延命院(神奈川県横浜市西区宮崎町36)

竣工: 1982年5月

像高:

作者:

撮影時:2021年12月18日  

説明:「水行場」は、崖の上の本堂の脇にある。銅像の前には池がある。どうもこの地が「横浜新栄講花咲町水行場」(事故の際の仮本堂)だったようだ。

 

井伊直弼 (1815~1860)

 幕末の大名。近江彦根藩主(第15代)。近江国彦根生まれ。江戸幕府大老を務め、日米修好通商条約を調印、日本の開国を推進したが、反対派を安政の大獄で弾圧したため、1860年3月水戸藩浪士などに桜田門外の変で暗殺された。

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井伊直弼像>

場所:掃部山公園(神奈川県横浜市西区紅葉ヶ丘57)

竣工:1949年6月(1909年作の当初像は、1943年に金属供出)

像高:3.6m(台座は6.7m。妻木頼黄の設計)

作者:慶寺丹長(当初像は、藤田文蔵作、岡崎雪声鋳造)

撮影時:2021年12月18日  

説明:この地は、旧彦根藩有志が直弼の顕彰のために銅像を立て、掃部山と名付けたところ。のち横浜市に寄贈された。直弼像は、故郷の彦根城金亀児童公園(滋賀県彦根市金亀町3030-1)にある。

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2020年2月には近くの神奈川県立歴史博物館で「掃部山銅像建立110年 井伊直弼と横浜」展が開かれ、東京都世田谷区の豪徳寺にある「井伊直弼像」(藤田文蔵作)などの銅像、この地に銅像を立てるまでの紆余曲折の流れ、完成後の観光地化(絵葉書や駅弁の包装紙など)、戦後の慶寺丹長作の像の顔の石膏像など。見てきたが、なかなか面白かった。

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