銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれてよじれて20年以上。日本中の銅像ハンティングは続きます…

神奈川県編  その4

〇善導大師 (613~681)

 中国の浄土教の僧侶。「称名念仏」を中心とする浄土思想を確立した。泗州夏丘県(安徽省宿州市泗州)あるいは青州臨淄県(山東省淄博市臨淄区)に生まれる。

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<善導大師像>

場所:光明寺(神奈川県鎌倉市材木座6-17-19)

竣工:

像高:

作者:

撮影時:2014年1月13日

説明:堂内には1663年に作った善導大師像がある。

 

〇佐竹音次郎 (1864~1940)

 児童福祉家。高知県幡多郡竹島村(現四万十市竹島)生まれ。地元の小学校教員を経て、27歳の時に医者を志し、30歳で神奈川県鎌倉市腰越に開業。3年後に「小児保育園」の看板を並べ、その後医業を廃して「鎌倉小児保育園」を設立、児童養護に専念する。

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<佐竹音次郎像>

場所:聖音会鎌倉児童ホーム(神奈川県鎌倉市佐助1―6-6)

竣工:

像高:

作者:

撮影時:2008年10月18日

説明:鎌倉駅の御成口からまっすぐ進み、市役所を抜け、御成トンネルを抜けると左側にある。妻のクマ(熊子)像も並置されているので、2体の写真を載せておく。

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源頼朝  (1147~1199)

 平安末期から鎌倉初期の武士。鎌倉幕府の初代征夷大将軍尾張国愛知郡熱田(現愛知県名古屋市熱田区)生まれ。父は源義朝、母は神宮大宮司藤原季範の女(由良御前)。初陣の平治の乱に敗れ、逃走中の近江で捕われ、死刑となるべきところ、平清盛の乳母池禅尼の嘆願により、伊豆国蛭ヶ小島に流される。1180年挙兵し、鎌倉へ凱旋、1185年に後白河法皇から全国に守護・地頭の設置を認められ、1192年後鳥羽天皇から征夷大将軍に任じられる。

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源頼朝像>

場所:源氏山公園(神奈川県鎌倉市扇ガ谷4-7-1)

竣工: 1980年

像高:

作者:

撮影時:2006年12月2日

説明:この地は、源頼朝の祖の源義家が、後三年合戦の際に、源氏の白旗を掲げて戦勝祈願をしたところ。これに因んで頼朝も平氏討伐の際に山頂で戦勝祈願したという。

 

山田検校 (1757~1817)

 江戸時代の筝曲音楽家。筝曲山田流の創設者。本姓は三田、諱は斗養一、号は勝善。尾張藩に仕えた宝生流能楽師三田了任の子として江戸に生まれる。若くして失明し、長谷富検校の門人であった山田松黒より筝曲を学ぶ。江戸浄瑠璃に三味線を取り入れ、一躍有名となった。1817年江戸惣録検校となった。

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山田検校像>

場所:江島神社(神奈川県藤沢市江の島2-3-8)

竣工:

像高:

作者:

撮影時:2007年5月3日

説明:江島神社のかなり上の方にいたと思う。

 

〇支倉常次 (1918~?)

 実業家。宮城県桃生郡河南町(現宮城県石巻市)生まれ。青葉レントゲン㈱を興し、成功する。故郷の龍口神社(たつのくちじんじゃ)の荒廃を嘆き、1990年に社殿ほかの造営を成す。

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<支倉常次像>

場所:龍口寺(神奈川県藤沢市片瀬3-13-3)

竣工:

像高:

作者:

撮影時:2011年11月26日

説明:当時この墓石と一体化したような銅像はただただ撮っただけで、何も調べなかった(今度裏付け取材に行かないと…)。今回ネットで調べていると、この像と全く同じ像が石巻市の龍口神社(宮城県石巻市前谷地龍口山11)にあり、そこの像の銘文に、上記の人物紹介のようなことが書かれていた。この墓地像も「龍口寺」とあるのは、なんか関係があるのだろうか?見た感じは墓石の上に像が乗っている感じなのだが…。妻の志津子像も並置されているので、載せておく。

なお、龍口寺には日蓮像がある。

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(2011年11月26日)