銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれてよじれて20年以上。日本中の銅像ハンティングは続きます…

佐賀県編 その1

東京編が煮詰まってますので、気分転換で佐賀県編を…

 

〇福岡日出麿 (1909~1990)

 政治家。佐賀県出身。東与賀村(現佐賀市)村長の辻武一郎の子。旧川副町で酒造業をおこなう福岡家に婿養子として入り、戦争前は中国で酒造などをし、戦後福岡商店を起こした。その後佐賀県議会議員(5期)、参議院議員(2期)。 

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 <福岡日出麿像>

場所:佐賀市川副支所(佐賀市川副町大字鹿江623-1)

竣工: 1985年7月

像高:

作者: 立体写真像㈱

撮影時: 2019年5月31日

説明:旧川副町名誉町民。この人の祖父は「佐賀干拓の父」と呼ばれた辻演年(えんねん)。佐賀藩士だった演年は、江戸後期に有明海干拓事業に携わり、多くの干拓地を造成した。調べていてわかったが、制作をした「立体写真像㈱」は2015年に会社が無くなったらしい。その後は「コンティーナ」社が引き継いでいるらしい。

 

 

〇池田直(いけだすなお)  (1901~1985)

 官僚、政治家。佐賀県川副町出身。東大卒業後、会計監査院に入り、監査院事務総長まで上りつけたのち、佐賀県知事となった(5期)。県財政の立て直し、佐賀県の米づくり日本一を達成した(1965,66年)。 

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 <池田直像>

場所: 佐賀市川副支所(佐賀市川副町大字鹿江623-1)

竣工: 1981年6月

像高:

作者: 立体写真像㈱

撮影時: 2019年5月31日

説明:福岡日出麿像と並んで立っている。勲章をもらっているが、珍しくそれをつけた姿ではない。

 

佐野常民 (1823~1902)

佐賀県出身の武士(佐賀藩士)、政治家(大蔵卿、農商務大臣、元老院議長、枢密顧問官)。日本赤十字社創始者。「佐賀の七賢人」の一人。 

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 <佐野常民像>

場所:佐野常民記念館(佐賀市川副町大字早江津446-1)

竣工: 1965年5月

像高:

作者:

撮影時: 2019年5月31日

説明:生誕地である早津江にある記念館。すぐ前に世界遺産となった「三重津海軍所跡」があるため、館はどちらかという世界遺産推しであるが、記念館内では映像から展示までかなりしっかりと常民を学ぶことができる。

 以下に佐賀県内の他の場所の佐野常民像を掲載しておこう。

 ①日本赤十字社佐賀県支部佐賀市川原町2-45)

 ②佐賀市駅前まちかど広場の群像の中の1体(佐賀市駅前中央1-5)

 ①(1968年:古賀忠雄作)

 ②(2018年)

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〇徐福  (生没年不詳)

 日本で言う弥生時代(約2200年前)に中国で活躍した方士(呪術師)。斉の国(今の山東省のあたり)出身で、この国を滅ぼした秦の始皇帝に仕え、始皇帝から「不老不死の薬」の探求に対し、「東方海中にある三神山にある」と嘘を言って中国を脱出し、そのまま帰らなかったとされる。この「東方海中にある三神山」が日本だとされる。結果、日本のあちこちに「徐福伝説」があるが、佐賀県もその一つである。佐賀県説によれば、最初に伊万里に上陸し、その後佐賀市諸富町寺井津に再上陸、佐賀市「金立山」が目指す「不老不死の薬」のある地だという。 

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 <徐福像>

場所:徐福長寿館(佐賀市金立町金立1197-16)

竣工:

像高:

作者:

撮影時: 2019年6月2日

説明:館内にある中国連雲港市制作の大理石像。実は見逃したのだが、館の裏側にある植物園にも同じ連雲港市から寄贈された石像が立っていた(2005年寄贈)。また上陸地点である、寺井津にも石像がいる(2011年、中国慈溪市が寄贈)。金立山の徐福像と目が合っているそうだ(この像が撮れていない像)。寺井津は国鉄旧佐賀線の筑後川昇開橋(国の重要文化財)があるところで、この石像は橋のたもとにある「諸富鉄橋展望公園」(佐賀市諸富町大字為重)にある。

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