銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれてよじれて20年以上。日本中の銅像ハンティングは続きます…

佐賀県編 その2

〇伊東玄朴  (1801~1871)

 江戸時代末期の蘭方医江戸幕府奥医師肥前国神埼郡(現佐賀県神埼市)出身。

長崎鳴滝塾シーボルトにオランダ医学を学び、その後江戸に出た。江戸に種痘所を開き、13代将軍徳川家定脚気を見たことから、蘭学医で初めて幕府奥医師となる。 

f:id:tagutti:20190707114523j:plain

<伊東玄朴像>

場所:伊東玄朴旧宅(佐賀県神埼市的1675-3)

竣工: 1971年8月

像高:

作者:

撮影時: 2019年6月2日

説明:仁比山神社に上がる途中にある。藁葺と瓦葺の混在した建物で、1821年の建設である。その南側の庭に立つ。紅葉のシーズンにはきれいなのではないだろうか?室内には、「肥前さが幕末維新博」で作られた立像が鎮座している。

また、神埼市役所(神埼市神埼町神埼410)にも、ここと同じ鋳型から作ったと思われる胸像がいる(1971年12月造立との銘あり)。作者が読めないのですが、「?口勝」と彫ってある気がします…。

f:id:tagutti:20190707114611j:plainf:id:tagutti:20190707114724j:plain

 (伊東玄朴旧宅内のもの)         (神埼市役所のもの)

f:id:tagutti:20190707115327j:plain

(これは神崎市役所の銘です)

 

卑弥呼  (生没年不詳)

 3世紀前半に弥生時代倭国を統治したという、邪馬台国の女王。邪馬台国の所在地は論争があり、大きく分けて九州説と畿内(近畿)説がある。239年に魏に遣使し、「親魏倭王」の金印を受けたとされる。 

f:id:tagutti:20190707114841j:plain

卑弥呼像>

場所:JR神埼駅北口(佐賀県神埼市田道ヶ里)

竣工: 2001年

像高:

作者:

撮影時: 2019年6月2日

説明:1986年~本格的に発掘が開始され、1989年に大々的な発表がされた、吉野ケ里遺跡の最寄り駅(吉野ヶ里公園駅もある)に立つ像。右手に巴形銅器(吉野ケ里遺跡で鋳型が発掘された、手裏剣のような銅器)を持ち、左手で吉野ケ里遺跡の方を指さしている。むろん想像上の顔であるが、なかなか凛々しい。この地に立つ理由は、吉野ケ里遺跡=邪馬台国ではないが、弥生時代後期には国内最大級の環濠集落となる、その姿から「邪馬台国連合」の中にある「小国」であろうことが想定される。そういえば、神埼駅の駅舎も「高床倉庫」をイメージしたものらしい。

f:id:tagutti:20190707114929j:plain

 

三池信(みいけまこと)  (1901~1988)

 昭和期の政治家。衆議院議員(12期)、参議院議員(1期)。郵政大臣佐賀県神埼郡三田川村(現吉野ケ里町)生まれ。福田派に属していたが、「無派閥」を標榜していたため、郵政大臣就任時には一悶着があったという。

f:id:tagutti:20190707115017j:plain

三池信像>

場所:吉野ヶ里町三田川庁舎(佐賀県神埼郡吉野ヶ里町吉田321-2)

竣工: 1988年10月

像高:

作者: 立体写真像㈱

撮影時: 2019年6月2日

説明:次に掲げる江口伊四郎とともに並置されている。旧三田川町名誉町民第1号。

  

〇江口伊四郎 (1907~1974?)

 昭和期の政治家。旧三田川町長を7期25年務めた。没年は不明ですが、名誉町民になった年から仮定しました。

f:id:tagutti:20190707115145j:plain 

<江口伊四郎像>

場所: 吉野ヶ里町三田川庁舎(佐賀県神埼郡吉野ヶ里町吉田321-2)

竣工: 1988年10月

像高:

作者: 立体写真像㈱

撮影時: 2019年6月2日

説明:前に掲げた三池信像と並置されている。旧三田川町名誉町民第2号。