〇永吉實雄 (?~?)
実業家。永吉建設㈱の創業者。
<永吉實雄像>
場所:永吉建設(鹿児島県指宿市開聞十町4577)
竣工:1975年
像高:
作者:
撮影時:2020年3月22日
説明:永吉建設は、国道226号線沿いにある、建設、造園などをする会社である。胸像は通りに面しており、すぐにわかる。
〇井上廣則 (1910~2000)
役人。揖宿郡開聞町仙田(現指宿市)生まれ。戦前は愛知航空機に勤めるが、戦後帰郷し、頴娃村役場に勤務、1952年から開聞町助役、1968年開聞町長。助役時代に「回転式流しそうめん器」を考案し実用新案権を得、町長時代に特許権を町に交付。現在、そうめん流しは開聞町の観光の目玉の一つとなっている。
<井上廣則像>
場所:唐船峡入り口(鹿児島県指宿市開聞町十町5967)
竣工: 2000年1月
像高:
作者:立体写真像(舘岡公彦)
撮影時:2020年3月22日
説明:銅像のできた当時はまだご存命のようで、「寿像」となっている。唐船峡は、海近くまで切れ込んだ溪谷で、周りよりも40mほど低く陥没している。そこから湧水の湧き出る地である。湧水は池田湖からの伏流水という。流しそうめんは、これを観光資源にしようというところから生まれたもの。ちなみにそうめん流し器を開発したのは、鹿児島市の「鶴丸機工商会」である。
〇イッシー
鹿児島県指宿市にある池田湖に棲むと言われる巨大水棲生物のUMA。イギリスのネッシーに因む命名。1961年頃から目撃され始め、1978年に多くの人に目撃されてから有名になる。目撃情報では「黒いこぶのようなものが移動していた」とされるものが多い。池田湖にはオオウナギ(体長2m級)が生息するとされ、この巨大ウナギ説が有力。
<イッシー像>
場所:池田湖パラダイス(鹿児島県指宿市中浜5268)
竣工:
像高:
作者:
撮影時:2020年3月22日
説明:池田湖パラダイスは、池田湖の北岸にある。おそらくイッシー像はコンクリート製。ブログ作成のためネットサーフィンをしていると、近隣には、ほかにもイッシー像がある(池田湖みやげ品センター前とかエプロンハウス池田とか)。
〇西郷隆盛
略
<西郷隆盛像>
場所:鰻温泉(鹿児島県指宿市山川成川)
竣工:
像高:
作者:
撮影時:2020年3月22日
説明:1874年、明治6年の政変で下野した西郷隆盛が突然鰻温泉にやって来たそうです。従者2人と猟犬13頭を連れていたといいます。連日狩猟をし、温泉で入浴していたとのことです。その時佐賀から江藤新平が西郷を訪ねたそうですが、おそらく「佐賀の乱」に合わせて、鹿児島での決起を促す依頼だったのでしょう。この西郷像はおそらく石像で、このとき西郷が逗留して場所(区営鰻温泉の近く)です。
なお、指宿温泉の指宿白水館内にも西郷像はあるが、今回は撮っていない。
〇岩崎與八郎(いわさきよはちろう) (1902~1993)
実業家。鹿児島の岩崎グループの創始者。鹿児島県囎唹郡岩川村(現鹿児島県曽於市)生まれ。岩崎商店を起こすと、線路の枕木の納入から利益を上げ、日本一の枕木納入業者となり、戦前は大陸(満鉄や朝鮮など)に販路を広げていった。戦後は、運輸・観光業へとシフトし、鹿児島交通(南薩鉄道と三州自動車を合わせて)の経営、屋久島へのフェリー、指宿温泉の開発などで成功した。鹿児島商工会議所会頭にもなり、鹿児島観光の国際化を図った。
<岩崎與八郎像>
場所:岩崎美術館・工芸館(鹿児島県指宿市十二町3755)
竣工:1990年5月
像高:
作者:中村晋也
撮影時:2020年3月22日
説明:幼いころに地元に学校がなかったため、自分が進学できなかったことから、学校を作ったり(県立岩川高校)や寄付をしたり(鹿児島大学工学部、医学部)している。鹿児島市内にも銅像(県商工会議所・鹿児島大学工学部)がある。
この像は寿像である。像のある岩崎美術館・工芸館は指宿いわさきホテル(旧指宿観光ホテル)の敷地内にある。
〇濱崎太平次 (1814~1863)
江戸時代の商人。薩摩国揖宿郡指宿生まれ。鹿児島(薩摩)藩の財政を支え、紀州の文左衛門、加賀の銭屋五兵衛と合わせて、「江戸時代の実業家三傑」とされる。もともと「ヤマキ」の屋号を掲げ、海運業をしていたが、8代目の彼の代で、家業が衰退していた。そこで琉球との貿易に活路を見出し、藩の調所広郷と組んで、奄美の黒砂糖の輸送で儲けを挙げ、琉球との密貿易も許されたようだ。晩年は那覇、長崎、大坂、北海道にも支店があり、鹿児島藩へも多額の献金をしていた。
<濱崎太平次像>
場所:太平次公園(鹿児島県指宿市湊4-12-27)
竣工:1997年7月
像高:3m
作者:木佐貫煕
撮影時:2020年3月22日
説明:太平次公園は指宿港にある。公園の最先端の部分に船の帆の上に立つような姿である。幕末期の人物だが、写真が大嫌いだったようで、その写真は一枚もなく、像を作るにあたっては、太平次に近い人物からの聞き取りが基だったようだ。
〇篤姫(於一) (1836~1883)
江戸後期から明治初期の女性。薩摩国鹿児島城下上竜尾町(現鹿児島市)生まれ。薩摩の島津一族の今和泉領主、島津忠剛を父とする。幼名は市(当初於一)、島津斉彬の養女となり(篤となる)、五摂家の近衛家の娘として(近衛敬子となる)、徳川13代将軍徳川家定に嫁いだ(家定の死後、天璋院と名乗る)。
<篤姫(於一)像>
場所:今和泉島津家別邸址(鹿児島県指宿市岩本2739)
竣工:2012年 9月
像高:
作者:田原迫華
撮影時:2020年3月22日
説明:像は、子供時代に過ごした「今和泉家指宿別邸址」の浜辺である。この地は現在、今和泉小学校と指宿商業高校になっている。海岸線には当時の石垣や松林の一部(隼人松原)があり、小学校内には井戸が残っているらしい。