銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれてよじれて20年以上。日本中の銅像ハンティングは続きます…

2018-01-01から1年間の記事一覧

高知県編 その29

高知県その他の人々(4) 〇田中光顕 (1843<天保14>年~1939<昭和14>年) 土佐藩の武士、官僚・政治家。土佐国高岡郡佐川村(現高岡郡佐川町)生まれ。江戸時代は、当初尊王攘夷運動にやがて中岡慎太郎に従って行動する。維新後は政府の官僚として活動し…

高知県編 その28

高知県その他の人々(3) 〇小野梓 (1852<嘉永5>年~1886<明治19>年) 自由民権運動の活動家、法学者。大隈重信を助け、東京専門学校(早稲田大学)の創立の事実上の中心者となる。 <小野梓> 場所: 高知県宿毛市中央5-2-17(小野梓記念公園) 竣工:2…

銅像あるある その7

№7 銅像の写真を撮るときに、その方角が気になる 銅像を写真に収めようとするとき、銅像のバックに太陽があると、逆光になるので銅像が真っ黒に映る。なので、その方角が気になる(むろんデジカメは機械的なテクニックで結構何とか補正するのだが、私はそれ…

銅像あるある その6

№.6 「銅像探し」(2) ヒロ男爵(最近呼名を”ヒロ団長”に変えようかと考え中とのこと)の「日本の銅像探偵団」は、市町村とスポット名だけで銅像が紹介されている。ところが「××公園」としか書かれていない場合、大概その公園はとても広い(公園ですから……

高知県の銅像 その27

高知県 その他の人々(2) (7)青柳雄介 (1944~2001) 漫画家。本名吉村睦夫。高知県香美郡野市町(現香美市)出身。板前修業をしながらマンガ創作に励み、『土佐の一本釣り』が代表作。映画化もされた。 <青柳雄介> 場所:高知県高岡郡中土佐町久礼…

銅像本コーナー(1)

銅像のありかを探るときに、HP『日本の銅像探偵団』はとても頼りになりますが、その銅像の謂れなどを調べるときにはあまり役に立ちません。そこでそんなときに頼りになるのは、”銅像本”です。ここでは、自分が持っていて目を通し、銅像関連問題に役立ちそう…

高知県編 その26

高知県 その他の人々(1) 歴史的にはそれほど有名ではないが、銅像になっている人々を何回かに分けて 紹介します。 (1)楠瀬雄三 (生没年不明) セイレイ工業㈱取締役工場長。この会社は現在ヤンマー農機製造となっている。いくつか近年合併が繰り返され…

銅像あるある その5

№5 銅像のある場所(1) 銅像は学校に立っていることが多い。しかし入りにくい。2001年に起こった附属池田小学校事件からのことだ。学校の就業日は校門が閉まっていて入れないことが多い。開いていても職員が校門付近にたむろしている時は諦める(シャイな…

高知県編 その25

山内浩 (1903<明治36>年~1982<昭和57>年) 愛媛県生まれの高知県教諭、愛媛大学教授。世界の洞窟の調査・研究者。日本の洞穴学とケービングの元祖。1931<昭和6>年、日本三大鍾乳洞の一つ、龍河洞の発見、探検をした。 <山内浩像> 場所:龍河洞入り口…

銅像あるある その4

№4 銅像に付く鳥の糞問題 銅像は公園や道路わきに屹立していることが多い。そこは鳥たちにとって最高の憩いの場となっている。なので、銅像の頭や肩にべったりと鳥の糞が付いていることが多い。鳥の糞には我々の尿と便の両方が含まれているのが、銅像はブロ…

高知県編 その24

濱口雄幸 (1870<明治3>年~1931<昭和6>年) 高知県出身の戦前の大蔵官僚、政治家。第43代内閣総理大臣。立憲民政党の総裁。「ライオン宰相」と呼ばれた。1930年4月東京駅で暴漢に狙撃され、それが基で翌年死亡した。 「雄幸」は、父親が酩酊していたため…

銅像あるある その3

№3 銅像の写真が撮れない(1) 駅にある銅像は、結構な目印となるので待ち合わせ場所に使われるケースが多い。なので、せっかくの銅像なのに、遠くからそのために来ているのに、待ち合わせの人が退いてくれなくて、写真の撮れないことが多い。中には気を利…

高知県編 その23

牧野富太郎 (1862<文久2>~1957<昭和32>) 土佐(高知県)出身の植物学者。「日本の植物学の父」と言われ、近代植物分類学の権威。『牧野日本植物図鑑』などの著作も残す。小学校中退ながら理学博士の学位も得た。 <牧野富太郎像1> 場所:高知市五台山4…

銅像あるある その2

№2 銅像の存在が認知されていない 人物としては結構メジャーな人の銅像を探しにゆき、街中でようやく見つける。写真に撮っていると、ほかの人はその銅像の存在に初めて気が付いたような行動をする。例えば、私の立ち去った後で、銅像の説明書きをしげしげと…

銅像あるある その1

高知県シリーズが終わったわけではありませんが、時々違うこともしたくなります。そこで別シリーズで「銅像あるある」を… №1 「銅像探し」 銅像愛好の士は少ない。したがって銅像情報も少ない。私が銅像探索を始めた頃、銅像の情報は個人出版の銅像本ぐらい…

高知県編 その22

野村茂久馬 (1870<明治2>年~1960<昭和35>年) 近代の実業家。「土佐の交通王」と呼ばれ、高知県の開運・陸運に貢献した。高知県交通の前身である「野村組交通部」の創設者。浦戸港の整備、高知鉄道・土佐商船の設立などに力を尽くす。昭和初期に本四連絡…

高知県編 その21

野中兼山 (1615<元和元>年~1664<寛文>年) 江戸時代初期の土佐藩家老。谷時中に朱子学(南学)を学び、実践に努めた。多くの改革で藩を助けたが、過酷な労働を強いて領民の恨みを買い、最後は藩内から糾弾され失脚、一族が絶えるまで家族全員が幽閉され…

高知県編 その20

〇義堂周信(1325<正中2>年~1388<元中5/嘉慶元>年) 絶海中津(1334<建武元>年~1405<応永12>年) 義堂周信:南北朝時代から室町時代前期の臨済宗の僧。夢窓疎石の門弟。京都で修業後鎌倉に下向し、鎌倉公方足利基氏や関東管領上杉氏に禅宗を教える…

高知県編 その19

岩崎弥太郎 (1835<天保5>年~1885<明治18>年) 明治期の日本の実業家。財閥三菱の創始者。土佐の郷士の出身。坂本龍馬の海援隊に関係し、明治になると九十九商会の立ち上げに加わる。その後この会社を三菱商会として大きくした。 <岩崎弥太郎像> 場所:…

高知県編 その18

山内一豊 (1545<天文14>年~1605<慶長10>年) ※一説には1546年生まれ 戦国時代から江戸初期の武将。大名。土佐藩初代藩主。豊臣秀吉、徳川家康らに仕え、関ケ原の戦いの前の小山評定でいち早く東軍、徳川家に付くことを表明し、関ケ原の戦い後土佐一国を…

高知県編 その17

長宗我部元親 (1539<天文8>年~1599<慶長4>年) 戦国大名。土佐の国人層から成長し1568年には土佐を統一。1580年ごろには讃岐・阿波も落とし、5年後には伊予も落とし四国の統一をしたとされる。しかし豊臣秀吉はこれを良しとせず、この年のうちに秀吉…

高知県編 その16

片岡健吉 (1844<天保14>年~1903<明治36>年) 幕末の土佐藩士、明治期の自由民権家、政治家。戊辰戦争で活躍したが、1873年の明治6年の政変で下野し、故郷高知県で板垣退助らと立志社を創設し、初代社長となる。1877年には立志社建白を提出。1879年高知県…

高知県編 その15

中平善之進 (1709<宝暦6>年~1957<宝暦7>年) 中平善之進穩敦は、土佐国高岡郡津野山郷(現高知県高岡郡津野町)の大庄屋。藩の専売制によりこの地区の農民の生活が非常に苦しくなったため、藩に上訴し、不正をおこなっていた蔵屋を論破したが、善之進も…

高知県編 その14

板垣退助 (1837<天保8>年~1919<大正8>) 幕末の土佐藩の武士、明治期の政治家。自由民権運動の主導者で、後藤象二郎らと「民撰議院設立建白書」を提出、その後自由党を結成する。1881年に遊説中、岐阜で暴漢に襲われ、「板垣死すとも自由は死せず」と…

高知県編 その13

山内豊信(容堂) 1848<嘉永元>年~1872<明治5> 幕末の大名、土佐藩の15代藩主。松平慶永(春嶽:福井)・伊達宗城(宇和島)・島津斉彬(薩摩)とともに「幕末の四賢公」と呼ばれた。公武合体の立場から幕末の政局ではその動向は不安定で「酔えば勤皇、…

高知県編 その12

無人島長平(野村長平) (1762<宝暦12>年~1821<文政4>年) 江戸時代の船乗り。土佐国(現高知県)岸本の生まれ。1785年に船の難破により伊豆諸島の鳥島に流されたが、一人生き残る。その後3年後に11名、さらに2年後に6名が鳥島に漂着し、長平を含めて18…

高知県編 その11

ジョン(中濱)万次郎 (1827<文政10>~1898<明治31)> 幕末から明治にかけて日米で活躍した日本人。現在の高知県土佐清水市(当時は幡多郡中ノ浜村)の貧しい漁師であった。14歳の1841<天保12>年1月にアジ・サバ漁の漁船に乗り込んだが、船が漂流し伊豆諸…

高知県編 その10

お龍と君枝 お龍(楢崎龍)(1841<天保12>年~1906<明治39>年) 坂本龍馬の妻として有名。1866年の坂本龍馬の寺田屋遭難の際に彼女の機転により龍馬は助かった。龍馬の死後は各地を転々として、1875年に西村松兵衛と再婚、晩年は極貧の中、横須賀で死ん…

高知県編 その9

〇吉村虎太郎 (1837<天保8>年~1863<文久3>年) 人物 幕末土佐藩の志士。土佐国高岡郡芳生野村(現高知県高岡郡津野村)の庄屋の家に生まれる。1859<安政6>年檮原村の大庄屋となる。若くして尊攘思想に傾倒し、1861<文久元>年武市半平太が土佐勤皇党を…

高知県編 その8

〇武市瑞山(半平太) 1829<文政12>年~1865<慶応元>年 人物 土佐藩の志士。土佐藩の郷士出身。坂本龍馬の遠縁。攘夷の機運の中「土佐勤王党」を結成し家老の吉田東洋を暗殺、一時は藩の主導権を握るが前藩主山内豊信(容堂)に疎まれ、1863年の八月十八日の…