山内豊信(容堂) 1848<嘉永元>年~1872<明治5>
幕末の大名、土佐藩の15代藩主。松平慶永(春嶽:福井)・伊達宗城(宇和島)・島津斉彬(薩摩)とともに「幕末の四賢公」と呼ばれた。公武合体の立場から幕末の政局ではその動向は不安定で「酔えば勤皇、覚めれば佐幕」だったが、1867年には大政奉還を徳川慶喜に建白して、実現させた。酒と女と詩を愛し「鯨海酔候」と自ら称した。
<山内容堂(豊信)像>
竣工: 2002<平成14>年
像高:
作者:
撮影時: 2012年1月8日
説明:かつては高知城二の丸に立像があった(1927<昭和2>年建設)が、太平洋戦争の金属供出で撤去されたものを、2001年の山内家土佐入国400年記念で、再度建設をしたのだそうです。銅像のタイトルは「大政奉還を慶ぶ山内容堂公」で、右手にお気に入りのギヤマンの杯を持っています。酒は”剣菱”を愛飲したそうですが、私は山内容堂というと柳ジョージさんの「酔って候」を思い出します。「鯨海酔候…噂の容堂」と、この歌のインパクトが強烈でした。銅像を見てすぐにこの歌を思い出しました。