高知県 その他の人々(1)
歴史的にはそれほど有名ではないが、銅像になっている人々を何回かに分けて
紹介します。
(1)楠瀬雄三 (生没年不明)
セイレイ工業㈱取締役工場長。この会社は現在ヤンマー農機製造となっている。いくつか近年合併が繰り返されたようで、藤井製作所(1920年創業、岡山本社。1975年セイレイ工業と改称)が前身で、2013年にヤンマー農機製造に吸収合併した。高知工場は旧セイレイ工業山田工場で、さらに共和農機本社工場だったところ。だが、楠瀬氏の胸像が建つのは、説明の通り南国工場(Googleストリートビューを見ると「ヤンマー農機製造高知工場」の表記もあるが、「㈱SEG南国工場」の看板も掲げてある。しかも道路の両側に工場があり、両方とも同様の表記がある)で、ヤンマー農機製造のHPには「南国工場」の記載はない…。
<楠瀬雄三>
場所:㈱SEG南国工場(高知県南国市里改田203)
竣工:
像高:
撮影時: 2012年1月10日
説明:ヤンマー農機製造の高知工場(上記のように土佐山田にもあるが南国市の方)の向かいにある、㈱SEG南国工場のゲート入って左側の事務所入り口付近にある。写真を撮った当時は、敷地内に入らず、道路から撮った模様…。さらに言うと、「雄三」の名前も高知を巡った2012年当時は何かの根拠があったと思われるが、現在では不明。写真には「楠瀬社長」と掲げられている。(『日本の銅像探偵団』に「楠瀬雄三」となるので、そう表記しているようである…)
(2)武田年春 (1921<大正10>年~没年不明)
高知県の漁師、高知市議会議員。1969(昭和44)年に高知市六漁協の合併に尽力し、高知市漁協組合長、高知県漁協連合副会長、高知県沿岸漁業振興協議会会長などを歴任した。
<武田年春>
場所: 高知市仁井田69-4
竣工: 2003<平成15>年12月
像高: たぶん実物大くらい
撮影時: 2012年1月7日
説明:高知新港の入り口にある。椅子に座ったどっしりとした像であるが、誰も見やる人はいないだろう…。
(3)山本玄峰(1866<慶応2>年~1961<昭和36>年)
和歌山県生まれの禅僧。20歳前後で失明し、四国八十八箇所の霊場巡りを繰り返し、7回目の遍路の途中、雪蹊寺の門前で行き倒れとなったところを同寺住職の山本太玄和尚に助けられ、養子になった後同寺の住職を引き継いだ。その後全国を巡って修行を続け、さらに諸外国も訪問し、帰国後臨済宗妙心寺派の管長となった。1945年には終戦の詔勅の「耐え難きを耐え忍び難きを忍び」の文言を進言したり、「象徴天皇制」を発案したりするなどした。
<山本玄峰>
竣工:
像高:
撮影時: 2012年1月7日
説明:雪蹊寺は四国八十八箇所霊場の三十三番札所。創建は室町時代まで遡れるが、天正年間に長宗我部元親の後援で臨済宗となり、彼の法名「雪蹊恕三大禅定門」から雪蹊寺となった。明治維新時の廃仏毀釈で廃寺となったが、山本太玄が復興した。
山本玄峰、鈴木宗忠両師の胸像は、山門を入ってすぐ左手にある。
(4)鈴木宗忠(生没年不明)
雪蹊寺、龍沢寺(静岡県三島市)の住職を務めた、玄峰の孫弟子。ロンドンに般若寺をひらいた。
<鈴木宗忠>
竣工:
像高:
撮影時: 2012年1月7日
説明:山本玄峰の右側に立つ胸像。師匠よりも一回り小さい。
(5)勝賀野泰長(1892<明治25>年~1965<昭和40)年)
読みは、「しょうがのやすなが」。高知県生まれの政治家。弘岡下ノ村村長から高知県議会議員。仁淀川下流土地改良区理事長としてその改良を指導した。
<勝賀野泰長>
場所: 高知市春野町西分15(高知市役所春野庁舎:旧春野町役場)
竣工: 1961<昭和36>年11月
像高:
撮影時: 2012年1月7日
説明:高知市の春野庁舎の新庁舎はこの旧庁舎の裏の丘の上にあるので注意。新川川にほぼ面している県道278号線沿いにある。胸像は旧庁舎の正面入り口のやや右に立っている。
(6)松岡武重 (1899<明治32>年~没年不明)
高知県新居村(現土佐市)生まれの農家。園芸家として農協組合長となり、高知県園芸連会長などを歴任した。
<松岡武重>
竣工: 昭和52年11月
像高:
撮影時: 2012年1月7日
説明:この像は寿像である。「寿像」とはその人物が存命中に作られる肖像彫刻(いわゆる銅像など)や肖像画のことである。