〇西施(BC501~470年ごろ?)
中国の古代女性。紀元前5世紀、春秋時代末期の生まれという。中国古代4大美女の一人(他は、王昭君・貂蝉・楊貴妃)。越王勾践が呉王夫差に献上した美女の中の一人で、その策略に嵌まり、夫差は彼女に夢中となり、呉国は弱体化ついには越に滅ぼされたとされる。「顰に倣う」はこの西施の故事に由来する。
<西施像>
場所:道の駅象潟(ねむの丘)(秋田県にかほ市象潟町大塩越73-1)
竣工: 2008<平成20>年3月
像高:
作者: 阿曽石材
撮影時: 2012年8月25日
説明:石像である。なぜ「中国古代4代美女」の一人の像が、象潟にあるかというと、松尾芭蕉がこの地で「象潟や雨に西施がねぶの花」と詠んだから。芭蕉は、「笑うが如く」松島に対し、「うらむがごとし」と象潟の風景に似通うとして、俳諧の世界に生かしたらしい。製作者は、わざわざ中国にでかけ、「西施記念館」の彫像や絵画を取材してからCGの技法で作ったらしい(この項は「東京玲瓏会(秋田県立本荘高校東京同窓会)」のホームページの記事を参考にしています)。
〇松尾芭蕉 (1644<寛永21>年~1694<元禄7>年)
江戸時代前期の俳諧師。伊賀国上野(現三重県伊賀市)の出身。“蕉風”という芸術性の高い句風を確立した。弟子の河合曽良を伴い、東北、北陸をめぐった『おくの細道』が有名。
<松尾芭蕉像>
竣工: 1989<昭和64/平成元>年
像高:
作者: 般若純一郎
撮影時: 2012年8月25日
説明:寺の駐車場の前に像は立つ。さらにその脇には「象潟や雨に西施がねぶの花」の句碑が建つ。象潟は、上記の通り芭蕉が訪れた頃までは「九十九島、八十八潟」「東の松島、西の象潟」と呼ばれる風光明媚な地だったが、1804<文化元>年の「象潟地震」により隆起し、現在は、島々は田地の中の丘のようになっている。
〇西施
※上記を参照
<西施像>
竣工: 2009<平成21>年
像高:
作者: 阿曽石材
撮影時: 2012年8月25日
説明:これも石像であり、「道の駅象潟」の西施像の1年後に句碑のある、蚶満寺に建てられた。芭蕉の句のおかげで、にかほ市と西施の故郷、中国浙江省諸曁市は、友好都市になっているそうである。
〇佐々木忠郎(ちゅうろう) (1898<明治31>年~1995<平成7>年)
医師、俳人。秋田県西仙北町生まれ。岩城町に医院を開業後地域の結核治療や予防意識の普及に貢献した。また俳人としても活躍し、郷土文化発展にも貢献した。
<佐々木忠郎像>
場所:岩城歴史民俗資料館(秋田県由利本荘市岩城亀田亀田町字田町41)
竣工:1986< 昭和61>年11月
像高:
作者: 阿部米蔵
撮影時: 2012年8月25日
説明:これは寿像である。すぐ脇には亀田城がある(天鷺城と名乗っている)。像は資料館内ではなく、屋外の門の脇に居るので、入館料を払う必要はない。
〇佐々木忠郎
※上記参照
<佐々木忠郎像>
場所: 亀田城佐藤八十八美術館(秋田県由利本荘市岩城下蛇田高城4)
竣工:
像高:
作者: 阿部米蔵
撮影時: 2012年8月25日
説明:亀田城佐藤八十八美術館の先覚顕彰館内にいる。像の下に「故郷の土まみれの忠郎先生」と書かれていて、見た感じかなり傷んでいるので、もしかすると史料館前の像の初代なのかもしれない。
〇丸山修一郎 (1890<明治23>年~1965<昭和40>年)
秋田県岩城村(現由利本荘市)生まれの教育者。政治家。戦前は秋田県内で進歩的教育者として教育活動に専念し、戦後衆議院議員、亀田町長。一方「秋田文化新報」社長にもなっている。
<丸山修一郎像>
場所: 亀田城佐藤八十八美術館(秋田県由利本荘市岩城下蛇田高城4)
竣工:
像高:
作者: 阿部米蔵
撮影時: 2012年8月25日
説明:亀田城佐藤八十八美術館の先覚顕彰館内にいる。木彫のように見える。阿部米蔵はこの地出身の彫刻家で、天鷺村内に「阿部米蔵美術館」がある。
〇山中信次郎 (1882<明治13>年~1961<昭和36>年)
教育者、政治家。 秋田県岩城村(現由利本荘市)生まれ。秋田県内で小学校教師として活躍、その後由利郡道川村(現由利本荘市)で戦前村長(1939~1943)を務めた。
<山中信次郎像>
場所: 亀田城佐藤八十八美術館(秋田県由利本荘市岩城下蛇田高城4)
竣工:
像高:
作者: 阿部米蔵?
撮影時: 2012年8月25日
説明:亀田城佐藤八十八美術館の先覚顕彰館内にいる。
〇岡原昌男 (1909<明治42>年~1994<平成6>年)
昭和期の司法官僚、最高裁長官。秋田県由利郡岩城長(現由利本荘市)生まれ。検察官として初めて最高裁長官になった。「弁護人抜き裁判特例法案」の必要性を述べるなど、その発言はストレートで物議を醸したらしい。
<岡原昌男像>
場所: 亀田城佐藤八十八美術館(秋田県由利本荘市岩城下蛇田高城4)
竣工:
像高:
作者:
撮影時: 2012年8月25日
説明:亀田城佐藤八十八美術館の先覚顕彰館内にいる。木像で白檀製らしい。岩手県奥州市の出身、秋田県岩城町は本籍地。
〇堀田正養(ほったまさやす) (1848<嘉永元>年~1911<明治44>年)
近江宮川藩第9代(最後)の藩主。出羽亀田藩岩城隆喜(いわきたかひろ)の九男。堀田家へ養子で入る。明治に入り、東京府会議員、赤坂、深川区長、子爵。貴族院議員。第2次西園寺内閣で逓信大臣となる。これは秋田県初の大臣だったらしい。
<堀田正養像>
場所:亀田城佐藤八十八美術館(秋田県由利本荘市岩城下蛇田高城4)
竣工:
像高:
作者:
撮影時: 2012年8月25日
説明:亀田城佐藤八十八美術館の先覚顕彰館内にいる。ガラスケースの中にいる。特に記憶にない。
〇鳥飼弘毅(とりのうみこうき) (1849<嘉永2>年~1914<大正3>年)
秋田県岩城町(現由利本荘市)生まれ。戊辰戦争に従軍、明治期は京都府収税長などを務める。日本武徳会の創立者の一人、小野派一刀流、日置派弓術、大坪流馬術などに優れた。
<鳥海弘毅像>
場所:亀田城佐藤八十八美術館(秋田県由利本荘市岩城下蛇田高城4)
竣工:
像高:
作者:
撮影時: 2012年8月25日
説明:亀田城佐藤八十八美術館の先覚顕彰館内にいる。ガラスケースの中にいる。特に記憶にない。
〇佐藤八十八(さとうやそはち) (1907<明治40>年~1998<平成10>年)
秋田県本荘市石脇(旧亀田藩領)の生まれ。建築資材・荒物などを営む佐藤八十八商店設立。佐藤家は地域の由緒ある家柄で、同氏は分家の3代目。この3代目が、佐藤家三代で収集してきた美術品などを岩城町に寄付、亀田城佐藤八十八美術館が生まれた。
<佐藤八十八像>
場所:亀田城佐藤八十八美術館(秋田県由利本荘市岩城下蛇田高城4)
竣工:
像高:
作者:
撮影時: 2012年8月25日
説明:亀田城佐藤八十八美術館の先覚顕彰館内にいる。同館は1991<平成3>年の創立。建物は旧亀田藩主岩城吉隆の館を復元したもの。