銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれて10数年。日本中の銅像ハンティングは続きます…

秋田県編 その2

  1. 伊藤直純   1861<万延元>年~1933<昭和8>年

 政治家。号は耕餘。仙北郡金沢中野村(現横手市)生まれ。秋田県会議員、金沢村長、衆議院議員を歴任.。産業組合法の成立や奥羽本線の開通、後三年駅の名付け親。後三年合戦(1083~87)に関する史跡保存をしたり、旧制横手中学校(現横手高校)の開校に尽力したりしてするなど、農村復興・地域振興など秋田県の近代化を進めた。

 

f:id:tagutti:20181006181845j:plain

 

<伊藤直純像>

場所:金沢公園(横手市金沢中野)

竣工: 1930<昭和5>年

像高:

作者: 朝倉文夫

撮影時: 2012年8月24日

説明:金沢公園は、後三年合戦(後三年の役とも)の際、清原氏の金沢柵があったところと言われている。近くには後三年合戦金沢資料館(横手市中野根小屋102-4)もある。像は寿像で、そのあたりからも氏は地域の人々に愛されたことがわかる。

 

 

  1. 藤原(清原)清衡   1056<天喜4>年~1128<大治3>年

 平安時代後期の武将。奥州藤原氏の祖。陸奥国亘理郡(現福島県)生まれ。父は藤原経清。父は前九年合戦(1051~62)で殺され、母はこの時の敵将清原武則の子、武貞と再婚した。清衡7歳だったという。その後、清原氏内で内紛が起き、異母兄の真衡、異父弟の家衡と対立して後三年合戦が起こった。最終的に清衡は源義家と手を組んで勝ち残り、奥六郡(陸奥国中部。現在の岩手県中南部)を領することに成功した。

 

f:id:tagutti:20181006181918j:plain

 

  1. 源義家      1039<長暦3>年~1106<嘉承元>年

 平安時代後期の武将。源頼義の長男。「八幡太郎」の通称で知られる。前九年合戦、後三年合戦で活躍した。「後三年合戦絵詞」では、「雁行の乱れ」で待ち伏せた清原軍を見破り、勝つことができたという話が載っている。後年、後三年合戦が朝廷から私戦とされたため、自腹で関東の武士団に褒美を渡したのがのちの源氏発展のきっかけになったとされるが、これは鎌倉幕府源頼朝)、室町幕府足利尊氏)の祖となったことからの伝承と思われる。

 

f:id:tagutti:20181006181942j:plain

 

  1. 清原家衡   生年不詳~1087<寛治元>年

 平安時代後期の武将。奥州出羽清原氏の一族。清原真衡の異母弟、清原清衡の異父弟。後三年合戦で金沢柵に立て籠もったが、兵糧攻めで攻め落とされ、斬首された。

 

f:id:tagutti:20181006182016j:plain

 

 

  1. 清原武衡  生年不詳~1087<寛治元>年

 平安時代後期の武将。奥州出羽清原氏の一族。清衡家衡の父武貞の弟。後三年合戦で金沢柵に立て籠もったが、兵糧攻めで攻め落とされ、斬首された。

 

f:id:tagutti:20181006182043j:plain

 

 

 

〇平安の風わたる公園

清原清衡源義家清原真衡清原武衡像>

場所:平安の風わたる公園(横手市金沢中野三貫堰)

竣工: 1991<平成3>年

像高:

作者:

撮影時: 2012年8月24日

説明:「後三年合戦絵詞」に載る、「雁行の乱れ」のあったとされる西沼の畔のあり、「雁金橋」「後三年合戦絵詞」の壁画レリーフなどで、後三年合戦の歴史を学ぶことができる公園の中にある。清原清衡源義家清原真衡清原武衡の4体の銅像が、向かい合うように鎮座している。

 よく見ると、清原家衡像の矢の先に、赤とんぼが止まってます…。

 

f:id:tagutti:20181006182110j:plain