〇前田利長 (1562~1614)
安土桃山時代から江戸初期の武将。加賀藩初代藩主(加賀前田家2代目)。1605年異母弟の利常に家督を譲ると富山城に隠居した。さらに高岡城を築き、1609年に移った。
<前田利長像>
竣工: 1975年11月
像高: 4.5m(台座を含めると約7m)
作者: 米治一
撮影時: 2018年12月3日
説明:被っている兜は「銀鯰尾兜」と呼び、高さは127㎝のサイズがあるという。
<前田利長像>
場所:八丁道瑞龍寺前 (富山県高岡市東上関446=西本願寺高岡教務所の住所)
竣工: 2001年4月
像高:
作者: 南部祥雲
撮影時: 2018年12月3日
説明:八丁道は、瑞龍寺と前田利長の墓所をつなぐ長い一本道のこと。基本は参道だが、有事には高岡城南方の外郭防衛戦となるように造成されたようだ。現在の姿になったのは1990年ごろ。かつての面影を復元するように整備された。像は西本願寺高岡教務所の前あたりに立つ。
〇高山右近 (1552~1615)
安土桃山時代の武将、大名。摂津国高槻(現大阪府高槻市)生まれ。諱は長房。父の影響で若くしてキリスト教に入信、洗礼名をジュストと名付けられた。織田信長、豊臣秀吉に抜擢され、明石12万石の大名となったが、バテレン追放令により大名を捨てて信仰を守った。その後1588年に前田利家に招かれて加賀金沢に赴き、金沢城修築や高岡城の縄張りなどを担当した。1614年の禁教令で国外追放となり、フィリピンのマニラに赴いたが、すぐに病を得て当地で亡くなった。
<高山右近像>
竣工: 1987年
像高:
作者: 西森方昭
撮影時: 2018年12月3日
説明:高山右近像は国内3体目(大阪府高槻市高槻市民会館・マニラ湾公園)。
〇桃太郎
日本おとぎ話の主人公の一人。桃の実から生まれ、育てられたおじいさんおばあさんからキビ団子をもらって、イヌ・サル・キジを従えて、鬼ヶ島に鬼退治に行き、鬼から宝物を奪った。
<桃太郎像>
竣工: 1993年
像高:
作者: 米納宗宏
撮影時: 2018年12月3日
説明:この地にはほかに「ブレーメンの音楽隊(作品名:楽隊の窓)=丸山孝一作」「オオカミと七匹の子ヤギ(作品名:The wolf and seven kids)=畠山耕治作」がある。
〇室崎琴月 (1891~1977)
昭和期の作曲家。本名清太郎。富山県高岡市生まれ。絵雑誌「コドモノクニ」の童謡作曲を担当し、童謡作曲家として活躍する。童謡「夕日」の作曲者。
<室崎琴月像>
竣工: 1983年
像高:
作者: 岩野勇三
撮影時: 2018年12月3日
説明:像は、琴月の胸像と50㎝ほどの9人の子どもが両手を空に広げた像とのセットである。ちなみに童謡「夕日」とは、「ぎんぎんぎらぎら夕日が沈む~」の歌である。
〇大橋八郎 (1885~1968)
政治家、官僚。富山県高岡市生まれ。日本放送協会第4代会長、日本電信電話公社第2代総裁を務めた。日本放送協会会長時に、終戦時の玉音放送に携わった。
<大橋八郎像>
竣工: 1986年4月
像高:
作者: 広瀬和子
撮影時: 2018年12月3日
説明:脇には本人の俳句の石碑が立つ。
〇高峰譲吉 (1854~1922)
科学者、実業家。越中国高岡(現富山県高岡市)生まれ。父は漢方医。翌年金沢に移住した。工部大学校(現東京大学工学部の前身)卒業、1890年にアメリカに移住し、永住した。タカジアスターゼ(商品名=タカ・ジアスターゼ)、アドレナリンを発明し、三共(現第一三共㈱)の初代社長となった。
<高峰譲吉像>
竣工: 1955年7月
像高:
作者: 米治一(鋳造は堺幸山)
撮影時: 2018年12月3日
説明:この地は生誕地。像の台座の背面の撰文は湯川秀樹が記す(さすがに西暦で書かれている)。
〇堀二作 (1849~1939)
明治期の篤農家、政治家。越中国高岡(現富山県高岡市)生まれ。高岡市長、富山県議会議員、県議会議長を歴任。
<堀二作像>
竣工:
像高:
作者:
撮影時: 2018年12月3日
説明:小学校の校内に立つが、南西の道路際なので撮影はできる。