銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれてよじれて20年以上。日本中の銅像ハンティングは続きます…

富山県編 その13

前田利長 (1562~1614)

 安土桃山時代から江戸初期の武将。加賀藩初代藩主(加賀前田家2代目)。1605年異母弟の利常に家督を譲ると富山城に隠居した。さらに高岡城を築き、1609年に移った。 

f:id:tagutti:20200126214127j:plain

前田利長像>

場所:高岡古城公園本丸広場(富山県高岡市古城1-9)

竣工: 1975年11月

像高: 4.5m(台座を含めると約7m)

作者: 米治一

撮影時: 2018年12月3日

説明:被っている兜は「銀鯰尾兜」と呼び、高さは127㎝のサイズがあるという。 

f:id:tagutti:20200126214245j:plain

 

f:id:tagutti:20200126214452j:plain

前田利長像>

場所:八丁道瑞龍寺前 (富山県高岡市東上関446=西本願寺高岡教務所の住所)

竣工: 2001年4月

像高:

作者: 南部祥雲

撮影時: 2018年12月3日

説明:八丁道は、瑞龍寺前田利長墓所をつなぐ長い一本道のこと。基本は参道だが、有事には高岡城南方の外郭防衛戦となるように造成されたようだ。現在の姿になったのは1990年ごろ。かつての面影を復元するように整備された。像は西本願寺高岡教務所の前あたりに立つ。

 

高山右近 (1552~1615)

 安土桃山時代の武将、大名。摂津国高槻(現大阪府高槻市)生まれ。諱は長房。父の影響で若くしてキリスト教に入信、洗礼名をジュストと名付けられた。織田信長豊臣秀吉に抜擢され、明石12万石の大名となったが、バテレン追放令により大名を捨てて信仰を守った。その後1588年に前田利家に招かれて加賀金沢に赴き、金沢城修築や高岡城の縄張りなどを担当した。1614年の禁教令で国外追放となり、フィリピンのマニラに赴いたが、すぐに病を得て当地で亡くなった。 

f:id:tagutti:20200126214701j:plain

高山右近像>

場所:高岡古城公園大手口(富山県高岡市古城1-9)

竣工: 1987年

像高:

作者: 西森方昭

撮影時: 2018年12月3日

説明:高山右近像は国内3体目(大阪府高槻市高槻市民会館・マニラ湾公園)。

 

〇桃太郎

 日本おとぎ話の主人公の一人。桃の実から生まれ、育てられたおじいさんおばあさんからキビ団子をもらって、イヌ・サル・キジを従えて、鬼ヶ島に鬼退治に行き、鬼から宝物を奪った。

f:id:tagutti:20200126214814j:plain

<桃太郎像>

場所:御旅屋メルヘン広場 (富山県高岡市御旅屋町92)

竣工: 1993年

像高:

作者: 米納宗宏

撮影時: 2018年12月3日

説明:この地にはほかに「ブレーメンの音楽隊(作品名:楽隊の窓)=丸山孝一作」「オオカミと七匹の子ヤギ(作品名:The wolf and seven kids)=畠山耕治作」がある。

 

〇室崎琴月 (1891~1977)

 昭和期の作曲家。本名清太郎。富山県高岡市生まれ。絵雑誌「コドモノクニ」の童謡作曲を担当し、童謡作曲家として活躍する。童謡「夕日」の作曲者。 

f:id:tagutti:20200126214916j:plain

<室崎琴月像>

場所:末広坂小公園 (富山県高岡市片原町1-1)

竣工: 1983年

像高:

作者: 岩野勇三

撮影時: 2018年12月3日

説明:像は、琴月の胸像と50㎝ほどの9人の子どもが両手を空に広げた像とのセットである。ちなみに童謡「夕日」とは、「ぎんぎんぎらぎら夕日が沈む~」の歌である。

 

〇大橋八郎 (1885~1968)

 政治家、官僚。富山県高岡市生まれ。日本放送協会第4代会長、日本電信電話公社第2代総裁を務めた。日本放送協会会長時に、終戦時の玉音放送に携わった。

f:id:tagutti:20200126215020j:plain

<大橋八郎像>

場所:NTT高岡市外ビル (富山県高岡市御馬出町76)

竣工: 1986年4月

像高:

作者: 広瀬和子

撮影時: 2018年12月3日

説明:脇には本人の俳句の石碑が立つ。

 

高峰譲吉 (1854~1922)

 科学者、実業家。越中国高岡(現富山県高岡市)生まれ。父は漢方医。翌年金沢に移住した。工部大学校(現東京大学工学部の前身)卒業、1890年にアメリカに移住し、永住した。タカジアスターゼ(商品名=タカ・ジアスターゼ)、アドレナリンを発明し、三共(現第一三共㈱)の初代社長となった。 

f:id:tagutti:20200126214008j:plain

高峰譲吉像>

場所:高峰公園 (富山県高岡市御馬出町51)

竣工: 1955年7月

像高:

作者: 米治一(鋳造は堺幸山)

撮影時: 2018年12月3日

説明:この地は生誕地。像の台座の背面の撰文は湯川秀樹が記す(さすがに西暦で書かれている)。

 

 

〇堀二作 (1849~1939)

 明治期の篤農家、政治家。越中国高岡(現富山県高岡市)生まれ。高岡市長、富山県議会議員、県議会議長を歴任。 

f:id:tagutti:20200126215110j:plain

 <堀二作像>

場所:西条小学校 (富山県高岡市横田本町1-1)

竣工:

像高:

作者:

撮影時: 2018年12月3日

説明:小学校の校内に立つが、南西の道路際なので撮影はできる。

銅像情報 その6

 

 ①リーチ・マイケル像 母校の札幌山の手高校に

 ラグビーW杯で日本代表主将として活躍したリーチ・マイケルの像が、1月16日母校の札幌山の手高校に設置された。この像は、ラグビーW杯を盛り上げるために、三菱地所が作り、東京丸の内に置かれていたもの。

 

 静岡県の初代知事 関口隆吉像が菊川駅前に

 静岡県の初代知事、関口隆吉(1836~89)像が、菊川駅前に立てられ、1月17日に除幕式があった。関口隆吉は、幕臣の子どもだが、明治初期に菊川に移り、金谷原の開墾の先頭に立った。菊川駅(当時は堀之内駅)も関口が設置したもの。像は台座含めて3.8㍍(像は2㍍)。堤直美氏が制作、市制15周年に合わせて計画されたもの。

 

富山県編 その12

※今回は、富山県立工芸学校(現富山県立高岡工芸高校)の特集となったので

学校紹介を少しばかり…

 1894年に納富介次郎が創立。本科(修業年限4年)木材彫刻、金属彫刻、鋳銅、髹漆の4科を置く。その後紆余曲折があるが、2012年から現行の高岡工芸高校となる。

 

〇青井忠治 (1904~1975)

 実業家。丸井の創業者。富山県射水郡小杉町(現在の射水市)生まれ。富山県立工芸学校(現県立高岡工芸高校)を卒業し、月賦販売商の丸二商会に入社、すぐに頭角を現し、1931年中野店を譲り受けて独立、「丸井」として、月賦百貨店の草分けとなる。 

f:id:tagutti:20200118181003j:plain

 <青井忠治像>

場所:青井記念館美術館(富山県高岡市中川1-1-20)

竣工: 2002年4月

像高:

作者: 吉井清

撮影時: 2009年8月26日

説明:像は美術館の正面受付付近にある。元の記念館は1963年に青井忠治が、母校の高岡工芸高校の創立70周年を記念して寄贈したもの。記念館美術館は1994年の学校創立100周年の記念事業として、旧来の施設を建て直したもの。館内の1Fが美術館、2Fは学校の図書館となっている(入館料無料。10時~16時<入館は15時まで>)。

 

〇納富介次郎(のうとみかいじろう) (1844~1918)

 画家、工業デザイナー、教育者。現在の石川県立工業高校、富山県立高岡工芸高校、香川県立高松工芸高校、佐賀県有田工業高校を創立し、校長を務めた。号は介堂。肥前国小城藩(現在の佐賀県小城市)生まれ。明治初期に欧州で陶磁器の製造を学び、帰国後工芸品の量産による貿易収支改善を考え、そのためには教育が重要との認識に至った。そして石川県、富山県香川県佐賀県で工芸学校を創立し、校長を歴任した。 

f:id:tagutti:20200118181130j:plain

<納富介次郎像>

場所:青井記念館美術館(富山県高岡市中川1-1-20)

竣工:

像高:

作者: 国方林三(原型らしい)

撮影時:2009年8月26日

説明:記念館内の受付付近に、青井忠治像と並び置かれる。

 

〇納富介次郎 

  略

f:id:tagutti:20200118181219j:plain

<納富介次郎像>

場所:高岡工芸高校(富山県高岡市中川1-1-20)

竣工: 1934年制作も戦争中に金属供出され再興される。

像高: 135㎝×81㎝×97㎝

作者: 畑正吉

撮影時:2009年8月26日

説明:校内にある。

 

〇関義平 (1857~1923)

 富山県工芸学校の教師。彫金科。号は義白。

f:id:tagutti:20200118181254j:plain

<関義平像>

場所:高岡工芸高校(富山県高岡市中川1-1-20)

竣工: 1930年制作も戦争中に金属供出され再興される。

像高:

作者:

撮影時: 2009年8月26日

説明:校内にある。

 

〇中島秋圃(なかしましゅうほ)(1878~1961)

 日本画家。東京四谷に生まれる。東京美術学校(現東京芸術大学日本画科を卒業し、川端玉章に師事、納富介次郎の勧誘で、富山県立工芸学校(現高岡工芸高校)に赴任し、25年間指導に当たる。 

f:id:tagutti:20200118181339j:plain

 <中島秋圃像>

場所: 高岡工芸高校(富山県高岡市中川1-1-20)

竣工: 1934年

像高:

作者:

撮影時: 2009年8月26日

説明:校内にある。学校創立60周年、秋圃の喜寿を記念して、胸像の建設運動が起こったらしい。

 

〇大塚秀之丞 (1870~)

 山口県生まれ。石川県で九谷焼の陶器原型指導にあたり、1894年の富山県工芸学校

の設立とともに金工科の教師として赴任、24年間指導にあたった。号は楽堂。氷見市の朝日山公園の神武天皇像や福井市の足羽山公園の橋本左内像、兵庫県高砂神社の工楽松右衛門像、京都府の伏見乃木神社の村野山人像などが有名。 

f:id:tagutti:20200118181450j:plain

<大塚秀之丞像>

場所: 高岡工芸高校(富山県高岡市中川1-1-20)

竣工:

像高:

作者:

撮影時:2009年8月26日

説明:校内にある。

 

〇新村弥三郎 (1872~1939)

 富山県工芸学校の教師。漆工科。

f:id:tagutti:20200118181532j:plain

<新村弥三郎像>

場所:高岡工芸高校(富山県高岡市中川1-1-20)

竣工: 1930年制作も戦争中に金属供出され再興される。

像高:

作者: 松村秀太郎

撮影時:2009年8月26日

説明:校内にある。