銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれてよじれて20年以上。日本中の銅像ハンティングは続きます…

秋田県編 その10

日蓮

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日蓮像>
場所: 蓮荘寺(秋田県大館市字大館137)
竣工:
像高:
作者:
撮影時: 2012年8月25日
説明:この寺は、元常陸国茨城県)水戸太田南沢にあった。佐竹氏の秋田転封により,1615年にこの地に移転。本堂前にいる。
 
 
空海

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空海像>
場所: 遍照院(秋田県大館市上町6)
竣工:
像高:
作者:
撮影時: 2012年8月25日
説明:この寺は、元常陸国茨城県)小田にあった遍照院長久寺が基。この寺は小田城主小場義成が、主君佐竹氏の秋田転封に伴い、秋田に移転したことにはじまる。その後義成が大舘城代となったため、寺が現在地に移り、遍照院と名乗った。元の長久寺は茨城県つくば市に現存している。
 
 
〇月居八子 (1903<明治36>年~1981<昭和56>年)

 教育者。関東大震災後この地に月居服飾専門学校を創設した(2018年4月廃校)。

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<月居八子>
場所: 南が丘こども園なかよし広場(旧月居服飾専門学校:秋田県大館市上町4)
竣工:
像高:
作者:
撮影時: 2012年8月25日
説明:旧月居服飾専門学校は、月居八子が女子の洋裁、和裁の技術習得の必要性を感じて、1931年に開設したのに始まるが、2018年4月に86の年の歴史に終わりを告げた。校地は現在は同月居学園経営の「南が丘こども園なかよし広場」として残り、この入り口に立っている。



〇畠沢恭一(はたざわきょういち) (1913<大正2>年~1988<昭和63>年)
実業家、政治家。秋田県羽後町生まれ。大学卒業後、藤田組花岡鉱山に入社。その後、秋田県議会議員となる。県のスポーツ振興に尽くし、無くなるまで秋田県体育協会会長を務めた。
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<畠沢恭一像>
場所:大館市花岡体育館(秋田県大館市字姥沢32-1)
竣工:
像高:
作者:
撮影時: 2012年8月26日
説明:旧花岡鉱山の跡地にある体育館の入り口近くにいるが、この地がなかなか廃れている。旧花岡鉱山は、「黒鉱」と言われる亜鉛や鉛を中心に、金、銀などの貴金属も採取していたが、1994年に閉山、人は住んでいるが、DOWAホールディングスの後処理施設が中心で、街は茫洋としていた。また1945年にこの鉱山で働いていた中国人同労者が蜂起したが鎮圧された、「花岡事件」の地でもある。暴動を起こした中国人は連行され、今の体育館の場所にあった「共楽館」の前で拷問にかけられたらしい。銅像の近くに、「共楽館」の跡碑も立っている。

秋田県編 その9

〇ハチ公  1923<大正12>年~1935<昭和10>年  
 秋田県北秋田郡二井田村(現大館市)生まれの秋田犬。誕生の翌年、東京帝国大学農学部教授の上野英三郎にもらわれ、東京へ行った。しかしその翌年、飼い主の上野が職場で急逝した。毎日のように渋谷駅まで一緒に散歩していたこともあり、帰ってこない飼い主を渋谷駅まで待ち続けたことから「忠犬ハチ公」として有名になった。
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<ハチ公像>
場所:秋田県大館市大子内字三ツ梨61(斎藤七郎右衛門宅前)
竣工: 1989<平成元>年12月
像高:
作者: 島田松雲?
撮影時: 2012年8月25日
説明:この地はハチ公の生誕地である。これは石像(あるいは石膏像)である。ハチ公像の脇には、2003<平成15>年に立った「忠犬ハチ公生誕の地」の石碑がある。斎藤宅の庭には、「忠犬ハチ公ふるさとガイド」という石碑と小さなハチ公(仔犬)の像もいるのだが、私は気が付かなかった。

なお、道路の反対側にはハチ公を模したトイレがある。


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〇ハチ公(元大館駅前)
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<ハチ公像>
場所:「秋田犬の里」(2019年5月オープン予定:大館市字清水堰添)
竣工: 1987<昭和62>年11月(元の像は1935<昭和10>年7月)
像高:
作者: 松田芳雄(元の像は静谷駅前と同じ安藤照氏)
撮影時: 2012年8月25日
説明:このハチ公像は、渋谷駅と同じ型によって、ハチ公の亡くなった年(1935年)に除幕式が行われたが、渋谷駅と同じように1945年に金属回収令で供出された。大館市は「ハチ公」押しで、駅構内に「ハチ公神社」(現在の神社の像はブロンズ像)もあり、下記のように「秋田犬群像」の銅像もある。現在の像は、映画「ハチ公物語」封切り後に作られたようだ。
 写真は大館駅だが、2018年12月、「秋田犬の里」建設に伴い移設された。この施設は大館市が運営し、JR大館駅の南すぐの「旧小坂鉄道跡地」で、話題の「秋田犬」と触れ合える施設だそうだ。そこの入り口付近にこの像は移設された。
 
〇秋田犬群像
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<秋田犬群像>
場所: :「秋田犬の里」(2019年5月オープン予定:大館市字清水堰添)
竣工: 1964<昭和39>年5月
像高:
作者:
撮影時: 2012年8月25日
説明:この像は、若き日のハチ公たちをイメージして作られたもの。
写真は駅前だが、ハチ公像とともに2019年5月にオープンする「秋田犬の里」に移設された。

 
〇秋田犬(秋田犬会館内。石膏像)

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場所:秋田犬会館(秋田県大館市三ノ丸13-1)
竣工:
像高:
作者:
撮影時: 2012年8月25日
説明:この像は、秋田犬会館の石膏像である。足腰の発達した精悍な顔つきの像である。
 
〇ハチ公(秋田犬会館内)

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場所: 秋田犬会館(秋田県大館市三ノ丸13-1)
竣工:
像高:
作者:
撮影時: 2012年8月25日
説明:この像は秋田犬会館の博物室入り口付近にいる。木彫像である。本家と同じように左耳が垂れている。最近の秋田犬人気のせいか、館内には「生犬」もいて、会館は人気らしい。
 
 
〇ハチ公(秋田犬会館前「望郷のハチ公」)

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場所: 秋田犬会館(秋田県大館市三ノ丸13-1)
竣工:
像高:
作者:
撮影時: 2012年8月25日
説明:この像の台座は、1945<昭和20>年に金属供出で回収された、大館駅前のハチ公像のものです。会館の外、門の手前にいる。像は晩年(12歳頃)のハチ公をイメージし、「渋谷駅頭の空を眺め、故郷大館に思いをはせる」(秋田犬会館HPより)立ち姿となっているそうです。さらにこの像の顔は生まれ故郷の大館市大子内の方向を向いてるそうです。
 

秋田県編 その8

〇和田正明  (?~?)
 八郎潟の埋め立てを推進した、八郎潟新農村建設事業団理事長。どうももともとは農林水産省の役人だったようだ。
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<和田正明像>
場所:八郎潟干拓博物館(道の駅大潟:秋田県南秋田郡大潟村西5-2)
竣工:
像高:
作者:
撮影時: 2012年8月25日
説明:道の駅大潟に敷設している、八郎潟干拓博物館の入り口に、小畑勇二郎県知事、嶋貫隆之助大潟村長と3体セットで立っている。しかし、小畑知事は立像ながら、和田氏、嶋貫氏は胸像とその扱いに差がある。
 

 

〇小畑勇二郎  (1906<明治39>年~1982<昭和57>年)

 紹介文は前出なので省略。 

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<小畑勇二郎像>
場所:八郎潟干拓博物館(道の駅大潟:秋田県南秋田郡大潟村西5-2)
竣工:
像高:
作者:
撮影時: 2012年8月25日
説明:道の駅大潟に敷設している、八郎潟干拓博物館の入り口に、小畑勇二郎県知事、嶋貫隆之助大潟村長と3体セットで立っている。しかし、小畑知事は立像ながら、和田氏、嶋貫氏は胸像とその扱いに差がある。
 


〇嶋貫隆之助  (?~?)
 大潟村の初代村長。人工の干拓地に生まれた村で当初は住民もないため、村長職務執行者として、秋田県の県庁内の八郎潟干拓推進事務局の初代局長であった嶋貫氏が選ばれ(昭和39年)、その後の選挙でも初代村長となった。 

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<嶋貫隆之助像>
場所:八郎潟干拓博物館(道の駅大潟:秋田県南秋田郡大潟村西5-2)
竣工:
像高:
作者:
撮影時: 2012年8月25日
説明:道の駅大潟に敷設している、八郎潟干拓博物館の入り口に、小畑勇二郎県知事、嶋貫隆之助大潟村長と3体セットで立っている。しかし、小畑知事は立像ながら、和田氏、嶋貫氏は胸像とその扱いに差がある。
 


〇井坂直幹  (1860<万延元>年~1921<大正10>年)
 実業家。常陸国(現茨城県)水戸生まれ。水戸藩士。明治以降は大日本史史料編集に従事していたが、1881年慶応義塾に寄宿、時事新報、日本土木を経て、林産商会の能代支店長となり能代に来る。明治40年に秋田木材㈱を興し、能代市を「東洋一の木都」と呼ばれるまでにした。

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<井坂直幹像>
場所:能代市御指南町3(井坂公園)
竣工: 1969<昭和44>年9月(元は<大正11>年5月)
像高:
作者: 阿部米蔵(新像の作成については、佐々木素雲氏が途中で亡くなる)
撮影時: 2012年8月25日
説明:初代の胸像は、戦争中の金属供出で壊され、1969年に復元された。公園は井坂氏の邸宅跡で、邸宅の一部が「井坂記念館」として残り、館内にも銅像(この胸像の元と小さな立像か?)がある模様。
 


〇小野喬  (1931<昭和6>年~)
元体操選手。能代市生まれ。オリンピックの体操競技で日本代表となり、ヘルシンキ(銅メダル=跳馬)、メルボルン(金メダル=鉄棒)と出場。メルボルンの金メダルは日本男子体操選手として初だった。ローマでは団体総合優勝に貢献、鉄棒と跳馬でも金メダルを取った。東京では団体総合で金メダル。このほかに銀、銅メダルも各大会で取っており、獲得メダル総数13個は日本人最多。 

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<小野喬像>
場所:能代市富町1(富町街区公園=能代市民体育館脇)
竣工: 1963<昭和38>年8月
像高:
作者:
撮影時: 2012年8月25日
説明:体操の鉄棒の着地の瞬間か?得意げな顔をしている。奥さん(小野清子)ともども体操界では有名な人物だったらしい(あまり覚えていない)。写真を撮った時には体育館の敷地と思ったが、隣の公園だったんですね…。
 
 
〇成田直衛  (1848<嘉永元>年~1918<大正7>年)
 政治家。秋田県鷹巣町(現北秋田市)生まれ。初代の秋田県議会議長、衆議院議員4期。地域の近代化、文化・産業の振興に尽力した。 

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<成田直衛像>
場所:北秋田市住吉町10-14(米代児童公園)
竣工: 1980<昭和55>年9月
像高:
作者:
撮影時: 2012年8月25日
説明:この像は、鷹巣地方史研究会などの有志がお金を出し合って作った。現在は鄙び具合などいい感じになっている。