銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれてよじれて20年以上。日本中の銅像ハンティングは続きます…

富山県編 その15

正力松太郎(1885~1969)

 官僚、政治家、実業家。富山県射水郡枇杷首村(現射水市大門町)生まれ。東京帝国大学卒業後内務省に入り、その後警察官となり出世するが、虎ノ門事件で免官。読売新聞の経営権を買収し社主となる。戦後A級戦犯に指定されるが、不起訴。1955年に衆議院議員となり、科学技術庁長官、国家公安委員会委員長を歴任した。 

f:id:tagutti:20200216151235j:plain

正力松太郎像>

場所:北陸読売会館(富山県高岡市下関町4-5)

竣工:

像高:

作者: 関長造(鋳造は高坂祥雲、山岸辰美)

撮影時: 2018年12月3日

説明:正力像はほかに大門総合会館(射水市大門67)にもある(下の写真)。こちらは1964年の寿像である。また大門総合会館の屋内にも胸像があり、長谷川義起作で、大きさ33㎝、2001年に正力の関係会社から寄贈を受けたもの。こちらは写真が撮れなかったので、次回への宿題としたい。 

f:id:tagutti:20200216151317j:plain

 

〇中林彬(1886~?)

 農業活動家。高岡市赤祖父生まれ。1919年に高岡東部農協ができると理事長に就任した。1964年に高岡市農協発足にあたっても中核となって活躍した。

f:id:tagutti:20200216151429j:plain

<中林彬像>

場所:JA高岡東部支店(富山県高岡市駅南3-1-15)

竣工: 1958年

像高:

作者: 関長造(鋳造は後藤務)

撮影時: 2018年12月3日

説明:どうもこの地に設置されたのは1966年らしい。

 

親鸞(1173~1263)

 浄土真(一向)宗の開祖。 

f:id:tagutti:20200216151654j:plain

親鸞像>

場所:西本願寺高岡教区教務所(富山県高岡市東上関446)

竣工:

像高:

作者:

撮影時: 2009年8月26日

説明:これは前回富山県に行ったときに撮ったもの。瑞龍寺の八丁道の前田利長像のすぐ脇にある施設内にある。基本的に親鸞空海弘法大師)、日蓮像は数が多いので、気が付いた時以外は記録はしない。

 

〇在田宗貫(ありたそうかん)(1884~1973)

 茶人。裏千家淡交会高岡支部長。19歳で京都の裏千家13代圓能斎に師事し、晩年に北陸で初めての奥秘皆伝正教授・今日庵老分に列し、淡岡斎の号を得た。自ら設計した茶室「松聲庵」は、現在高岡市立博物館にある。 

f:id:tagutti:20200216151740j:plain

<在田宗貫像>

場所: (富山県

竣工: 1973年4月

像高:

作者: 米治一

撮影時: 2009年8月26日

説明:瑞龍寺の境内の茶室の脇に立つ。像ができたときはまだ存命だったので「寿像」とある。

 

〇浅香誠太郎 (?)

 不明 

f:id:tagutti:20200216151831j:plain

<浅香誠太郎像>

場所:永伝寺(富山県小矢部市八和町12-5)

竣工:

像高:

作者:

撮影時: 2009年8月26日

説明:永伝寺は、天正地震(1586年)によって生き埋めになった前田秀継(利家の弟)の菩提を弔うために作られた寺。もともとは木舟城(高岡市福岡町)にあった高徳寺だったが、地震の後城も今石動城(小矢部市今石動)に移り寺も移転して、永伝寺となった。浅香誠太郎像は石像だが、経歴は不明。2009年には何から知ったのだろうか? 

 

〇上埜安太郎(うえのやすたろう)(1866~1939)

 政治家。衆議院議員(10期)。高岡市長、富山市長。越中国礪波郡西五位村(現富山県高岡市)生まれ。県下の大地主であり、自由党に入党して活動した。富山県議会議員から衆議院議員に当選した(立憲政友会)。地主だが、公正明大な大人物だったらしい。

f:id:tagutti:20200216151915j:plain

<上埜安太郎像>

場所:城山公園(富山県小矢部市城山町9)

竣工: 1965年8月

像高:

作者:

撮影時: 2009年8月26日

説明:最初の像は1937年に高岡市古城公園にあったらしく、本保蘇堂作だったらしい。その後戦争中の金蔵供出で無くなった。台座はその時のものを流用した感じがある(現在の銘文が台座の枠よりも小さい)。また未撮影だが、高岡市福岡町上野の上野公園にも1994年作のものがある。

 

神武天皇

  略 

f:id:tagutti:20200216152005j:plain

神武天皇像>

場所: 城山公園(富山県小矢部市城山町9)

竣工:

像高:

作者:

撮影時: 2009年8月26日

説明:調べてもよくわからなかった。写真を見ると新しげだが、この地区は銅像の修理をよくしているので、そのせいかもしれない。この城山公園には、未撮影だが、桜井与蔵像(元小矢部市長。現市長の親)もあるらしい。

富山県編 その14

ドラえもん一派  

 JR高岡駅北口からすぐの「ウイング・ウイング広場」にある「ドラえもんの散歩道」にある。2列になっていて、前からドラえもん→ドラミちゃん→ジャイアン。左の列がのび太→しずかちゃん→スネ夫。「ドラえもん一派」というものなんだが、とりあえずそう呼ばせてください。 

f:id:tagutti:20200208124210j:plain

ドラえもん一派像>

場所:あいの風とやま鉄道高岡駅古城公園口「ウイング・ウイング広場」(富山県高岡

末広町1-8)

竣工: 2011年8月(「万葉の杜」には1994年7月)

像高:

作者:

撮影時: 2018年12月3日

説明:高岡市は、ドラえもん生みの親、藤子・F・不二雄氏の故郷。「ウイング・ウイング高岡」は商業施設と高岡市立図書館が一体になったもの。この図書館(高岡市立中央図書館)には、藤子・F・不二雄氏の作品を集めた「ドラえもん文庫」があることで有名。この銅像群は、そのエントランスにいる。その後ろのサークルの上にも同じ像が並んでいる(のび太スネ夫は形が違う、なぜ?)。これらは、当初「高岡大和」に併設されていた「万葉の杜」に置かれていたが、2011年に駅前に移転したもの。往時の写真を見ると、手前の6体の像もその支柱は高く、後ろのサークルの上の像と高低差はなかったのですね。それと調べていて気づきましたが、高岡駅は「JR」ではなく、第3セクターの「あいの風とやま鉄道」なんですね。

f:id:tagutti:20200208124332j:plain

f:id:tagutti:20200208124943j:plain

f:id:tagutti:20200208124901j:plain

f:id:tagutti:20200208125018j:plain

f:id:tagutti:20200208124418j:plain f:id:tagutti:20200208124458j:plain

f:id:tagutti:20200208124731j:plain f:id:tagutti:20200208124809j:plain

(左が低い方、右がサークルの上)

f:id:tagutti:20200208125711j:plain

※高岡大和の「万葉の杜」にあった時代のもの。なおこの写真は、「見つけたもの、調べたこと」のサイトからお借りしました。

ちなみに高岡駅構内(クルン高岡1F待合室)「ドラえもんポスト」(2013年12月設置:高岡銅器製作)があり、投函されたはがき、封書には記念消印が押印されます。 

f:id:tagutti:20200208125134j:plain

 

大伴家持

  略 

f:id:tagutti:20200208125242j:plain

大伴家持像>

場所:あいの風とやま鉄道高岡駅北口広場 (富山県高岡市下関町6)

竣工: 1981年

像高: 約4m(像高は2.8m=大伴家持像)

作者: 米治一

撮影時: 2018年12月3日

説明:正式には「大伴家持と乙女」像。作者の米治一85歳の時の作像という。高岡駅前の整備事業で一時撤去され、伏木地区への移設も考えられたが、伝統工芸高岡銅器振興協同組合が補修・修復に携わり、2014年5月に駅前に再設置された。台座には「かたかごの花をよぢ折る歌 もののふの八十をとめらが挹みまがふ寺井の上のかたかごの花」という歌が掲げられている。

 

 

前田利長

 略 

f:id:tagutti:20200208125330j:plain

前田利長像>

場所:あいの風とやま鉄道高岡駅南口(富山県高岡市駅南5-1)

竣工: 2009年7月

像高:

作者: 田畑功

撮影時: 2018年12月3日

説明:右手に扇子を持ち、指し示している姿。なかなかかっこいいい(瑞龍寺前の像はちょっと幼い感じ)。頭の兜は「銀鯰尾兜」で、しっかりと銀色に塗ってある。

アクセス数10,000超え!

銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング」が

10000アクセスを超えました!!

ありがとうございます。

拙く不定期な更新ですが、ネタはたくさん持っています。

地元の銅像も早く公開したいと思います。

気を長くしてお待ちください!

よろしくお願いいたします🙇