〇正力松太郎(1885~1969)
官僚、政治家、実業家。富山県射水郡枇杷首村(現射水市大門町)生まれ。東京帝国大学卒業後内務省に入り、その後警察官となり出世するが、虎ノ門事件で免官。読売新聞の経営権を買収し社主となる。戦後A級戦犯に指定されるが、不起訴。1955年に衆議院議員となり、科学技術庁長官、国家公安委員会委員長を歴任した。
<正力松太郎像>
竣工:
像高:
作者: 関長造(鋳造は高坂祥雲、山岸辰美)
撮影時: 2018年12月3日
説明:正力像はほかに大門総合会館(射水市大門67)にもある(下の写真)。こちらは1964年の寿像である。また大門総合会館の屋内にも胸像があり、長谷川義起作で、大きさ33㎝、2001年に正力の関係会社から寄贈を受けたもの。こちらは写真が撮れなかったので、次回への宿題としたい。
〇中林彬(1886~?)
農業活動家。高岡市赤祖父生まれ。1919年に高岡東部農協ができると理事長に就任した。1964年に高岡市農協発足にあたっても中核となって活躍した。
<中林彬像>
竣工: 1958年
像高:
作者: 関長造(鋳造は後藤務)
撮影時: 2018年12月3日
説明:どうもこの地に設置されたのは1966年らしい。
〇親鸞(1173~1263)
浄土真(一向)宗の開祖。
<親鸞像>
竣工:
像高:
作者:
撮影時: 2009年8月26日
説明:これは前回富山県に行ったときに撮ったもの。瑞龍寺の八丁道の前田利長像のすぐ脇にある施設内にある。基本的に親鸞、空海(弘法大師)、日蓮像は数が多いので、気が付いた時以外は記録はしない。
〇在田宗貫(ありたそうかん)(1884~1973)
茶人。裏千家淡交会高岡支部長。19歳で京都の裏千家13代圓能斎に師事し、晩年に北陸で初めての奥秘皆伝正教授・今日庵老分に列し、淡岡斎の号を得た。自ら設計した茶室「松聲庵」は、現在高岡市立博物館にある。
<在田宗貫像>
場所: (富山県)
竣工: 1973年4月
像高:
作者: 米治一
撮影時: 2009年8月26日
説明:瑞龍寺の境内の茶室の脇に立つ。像ができたときはまだ存命だったので「寿像」とある。
〇浅香誠太郎 (?)
不明
<浅香誠太郎像>
竣工:
像高:
作者:
撮影時: 2009年8月26日
説明:永伝寺は、天正地震(1586年)によって生き埋めになった前田秀継(利家の弟)の菩提を弔うために作られた寺。もともとは木舟城(高岡市福岡町)にあった高徳寺だったが、地震の後城も今石動城(小矢部市今石動)に移り寺も移転して、永伝寺となった。浅香誠太郎像は石像だが、経歴は不明。2009年には何から知ったのだろうか?
〇上埜安太郎(うえのやすたろう)(1866~1939)
政治家。衆議院議員(10期)。高岡市長、富山市長。越中国礪波郡西五位村(現富山県高岡市)生まれ。県下の大地主であり、自由党に入党して活動した。富山県議会議員から衆議院議員に当選した(立憲政友会)。地主だが、公正明大な大人物だったらしい。
<上埜安太郎像>
竣工: 1965年8月
像高:
作者:
撮影時: 2009年8月26日
説明:最初の像は1937年に高岡市古城公園にあったらしく、本保蘇堂作だったらしい。その後戦争中の金蔵供出で無くなった。台座はその時のものを流用した感じがある(現在の銘文が台座の枠よりも小さい)。また未撮影だが、高岡市福岡町上野の上野公園にも1994年作のものがある。
〇神武天皇
略
<神武天皇像>
竣工:
像高:
作者:
撮影時: 2009年8月26日
説明:調べてもよくわからなかった。写真を見ると新しげだが、この地区は銅像の修理をよくしているので、そのせいかもしれない。この城山公園には、未撮影だが、桜井与蔵像(元小矢部市長。現市長の親)もあるらしい。