銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれてよじれて20年以上。日本中の銅像ハンティングは続きます…

鳥取県編 その3

〇キュリー夫妻

 ピエール=キュリー(1859~1906)、マリヤ=スクウォドフスカ(マリ=スクウォドフスカ=キュリー)(1867~1934)夫妻。物理化学・放射線科学・物性物理学者。放射線により原子が遷移することを初めて実証した。マリははじめて「放射能」という名を考案、「ポロニウム」を発見、「ラジウム」を抽出した。このような功績から、夫妻は1903年ノーベル物理学賞を受賞した。さらにマリは1911年にノーベル化学賞を受賞している。ピエールは、1906年交通事故で亡くなった。 

f:id:tagutti:20201011123058j:plain

<キュリー夫妻像>

場所:三朝キュリー公園(鳥取県東伯郡三朝町山田)

竣工: 2010年8月

像高: 約1.5m

作者:

撮影時: 2017年8月21日

説明:ここ三朝温泉は、ラドン含有量が多いことで有名(1ℓあたりの平均ラドン濃度は474㏈)だが、もう一つ名物があって、それが人形峠のウラン鉱山だった(2001年閉山)。そのウラン残土を加工した「ウラン煉瓦」がこの公園には敷き詰められている(大丈夫なんだろうか?もう歩いてしまったけれど…)。

f:id:tagutti:20201011123146j:plain

(台座の煉瓦も、草ぼうぼうだが、像の周りは「ウラン煉瓦」)
 

〇マリ=キュリー

 略 

f:id:tagutti:20201011123257j:plain

<マリ=キュリー像>

場所:キュリー広場(鳥取県東伯郡三朝町大字三朝)

竣工: 1959年

像高:

作者: 早川巍一郎

撮影時:  2017年8月21日

説明:三朝温泉の奥のほう、国民宿舎ブランナールみささ前にある広場の左手(恋谷橋のほう)にある胸像。三朝温泉では毎年「キュリー祭」が開かれ、その際にはこの像に献花がされるそうである。

  

〇大久保左馬之祐 (?)

 平安末期の武将。源義朝の家臣。平治の乱(1159)で義朝が殺された後、家臣の左馬之祐は全国の寺社に源氏の再興を期して行脚をしていた。1164年三朝温泉の奥にある三徳山三佛寺への参詣の途中、この里で年老いた白狼を見かけ、討ち取らずに見逃したところ、その夜の夢枕に温泉の湧出場所を教えられて、三朝温泉が開湯した、という謂れがある。 

f:id:tagutti:20201011123344j:plain

 <大久保左馬之祐と白狼像>

場所:三朝温泉株湯(鳥取県東伯郡三朝町大字三朝634-1)

竣工: 1988年7月

像高:

作者:

撮影時: 2017年8月21日

説明:三朝温泉の奥の奥、公衆浴場の株湯の前にある。だいぶ整備されて、手前には大きな駐車場もできた。像は浴場右手の足湯の脇にあり、その脇には、温泉が湧出していたとされる「楠の木」の枯れた根が保存されている。

  

琴櫻傑將(ことざくらまさかつ)  (1940~2007)

 昭和期の大相撲の横綱鳥取県東伯郡倉吉町鍛治町(現倉吉市)の出身。本名鎌谷紀雄。中学時代は柔道で活躍し、高校卒業前に佐渡ヶ嶽部屋に入門(高校は特別に卒業扱い)し(1959)、1964年に新入幕、1967年大関、1973年横綱に昇進した(32歳2か月で当時最高齢の横綱昇進)。横綱在位は8場所。引退後は佐渡ヶ嶽親方として、琴風、琴ノ若琴欧州など多くの関取を育てた。 

f:id:tagutti:20201011123523j:plain

琴櫻傑將像>

場所:琴櫻・赤瓦観光駐車場(鳥取県倉吉市仲ノ町2571-3)

竣工: 1999年4月

像高: 台座込みで約3.7m

作者:

撮影時: 2017年8月21日

説明:リアルタイムで見ていた力士だが、四角い顔のイメージは再現されている。近くには琴桜記念館(倉吉市魚町2518)があり、2mのFRP像がある(市でおこなわれる”桜ずもう“では、毎年会場に引っ越すらしい)が、撮ってこなかった。

 

〇お倉とお吉

 鳥取県中部にある「打吹天女伝説」から生まれたキャラクター。「打吹商事株式会社」(市内でガソリンスタンドを経営)が自らのGS前に設置している。 

f:id:tagutti:20201011124037j:plain

<お倉とお吉像>

場所:河北小学校前SS(倉吉市海田西町1-158)

  ※打吹公園SS(倉吉市仲ノ町737-11)・倉吉駅前SS(倉吉市山根620-2)にもあり

竣工: 1994年12月(河北小学校前SS)

像高:

作者: 奥谷俊治

撮影時:2017年8月22日

説明:「打吹天女伝説」とは、昔舎人という狩人が、水浴びしていた天女の羽衣を隠し、舎人の妻とされる(浅津と名付けられた)。二人の間に生まれたのが、「お倉とお吉」。浅津は天のことが忘れられず、ついに隠された羽衣も見つけ、天へと帰ってしまう。残された二人の娘は、毎日近くの山に登り、笛や太鼓を鳴らしたが、母は帰らなかった。この話から、「倉吉」「打吹山」の地名が生まれた、とされるもの。

f:id:tagutti:20201011123743j:plain

打吹公園SS)

f:id:tagutti:20201011124555j:plain

倉吉駅前SS)

※これ以外に、倉吉駅前にも1体いるようだ…。

 

鳥取県編 その2

〇稲村三伯 (1758~1811)

 江戸時代後期の蘭学者因幡国鳥取の川端(現鳥取県鳥取市)生まれ。町医者松井如水の三男。藩医稲村家に養子に入り、長崎に留学、その後も京都で医業修行を続けた。その後大槻玄沢の『蘭学階梯』を読んで江戸へ出て、玄沢の門人となる。1796年宇田川玄真や長崎通詞の協力で、『ハルマ和解』を完成した。晩年は下総海上郡(現千葉県)など遍歴して、名を海上随鷗と改めて医業をした。 

f:id:tagutti:20201004134355j:plain

<稲村三伯像>

場所:市立遷喬小学校(鳥取市本町1-108-1)

竣工: 2011年1月

像高:

作者: 山本兼文

撮影時: 2017年8月22日

説明:レリーフ像であるが、立体感が強い。小学校の敷地内だが、道路に面していて、通りからも見ることができる。像の左には、友人香川景樹(江戸時代後期の歌人)が、三伯を讃えた和歌、「いく薬くすしき種のひとくさを豊あし原にまきし人これ」が刻まれている。

  

〇三橋喜久雄 (1888~1969)

 昭和期の体育指導者。鳥取県高草郡内海(現鳥取市白兎)生まれ。母校鳥取師範学校の教諭を経て、東京高等師範学校の助教授、教授。のちに三橋体育研究所を設立し、スウェーデン体操を改良した「三橋生命体操」を創案して、普及に努めた。ラジオ体操第2の原案も三橋である。「日本体操の父」「体育の父」と呼ばれた。 

f:id:tagutti:20201004134459j:plain

<三橋喜久雄像>

場所:鳥取市市民体育館前庭(鳥取市吉成3-1-1)

竣工: 1973年1月

像高: 60㎝

作者: 早川巍一郎

撮影時:2017年8月22日

説明:体育指導者らしく、ランニングを着た姿の胸像である。

 

大国主命と白兎  

略 

f:id:tagutti:20201004134600j:plain

大国主命と白兎像>

場所:鳥取駅南口(鳥取市東品治町)

竣工: 1988年

像高:

作者: 入江甲

撮影時:2017年8月22日

説明:出雲神話のなかでも一番有名な話か?白兎海岸の道の駅「神話の里白うさぎ」にも、同様なイメージの石像がある(2006年。作者不明)。 

f:id:tagutti:20201004134700j:plain

 

〇石破二郎(いしばじろう) (1908~1981)

 官僚、政治家。鳥取県八頭郡大御門町(現鳥取県八頭郡八頭町)生まれ。東京帝国大学卒業後、内務省に入省し、警視庁関係を歴任、戦後建設省に回り、1958年に鳥取県知事(3期)、参議院議員(2期)、自治大臣国家公安委員長となった。現自民党議員の石破茂の父。 

f:id:tagutti:20201004134742j:plain

 <石破二郎像>

場所:高架記念公園(鳥取市永楽温泉町)

竣工: 1988年9月

像高: 166㎝

作者: 福嶋敬恭

撮影時: 2017年8月22日

説明:鳥取駅北口を出て右に線路沿いに進むと、鳥取中央郵便局がある。その先の「東品治町」交差点の対面におり、数段の階段の上に座っている。堂々とした座像である。見えているのに、信号の待ち時間が長くてイライラした記憶がある。

  

〇栗山寅蔵と静子夫妻 (栗山寅蔵:1916~2004。栗山静子は不明)

 鳥取の土建会社「栗山組」創設者らしい。夫婦の銅像の下にある、妻「栗山静子」の碑文によると、寅蔵氏は「藤原寅蔵」だったが、栗山家に婿養子に入ったようだ。静子さんは戦前には両親や弟にも死に別れ、苦労しながら、寅蔵氏を立てて会社を盛り上げたようだ。 

f:id:tagutti:20201004134838j:plain

f:id:tagutti:20201004134923j:plain

<栗山寅蔵と静子夫妻像>

場所:花虎記念公園(鳥取市古海)

竣工: 2006年4月

像高:

作者:

撮影時: 2017年8月22日

説明:逆光で顔が見えない写真となってしまった。寅蔵氏の銅像の下の銘版には、「栗山寅蔵受賞記念」とあるので、文化勲章でも貰った際の像であろうか? 

 

〇前田俊政 (1926~1989)

 社会事業家、政治家。鳥取県下味野生まれ。部落解放運動に精力的に活動し、部落解放同盟鳥取県連合会書記長、中央執行委員を歴任、鳥取市議会議員を26年間務めた。 

f:id:tagutti:20201004135017j:plain

<前田俊政像>

場所:鳥取市下味野付近(鳥取市下味野192)

竣工: 1989年11月

像高:

作者:

撮影時: 2017年8月22日

説明:この像の目印は、像の立つ交差点の対面にある火の見櫓である(消防団下味野分団消防格納庫)。地域的には同和問題の舞台のようで、少し行くと「江山人権福祉センター」がある。

 

 

鬼塚喜八郎 (1918~2007)

 実業家。鳥取県気高郡明治村(現鳥取市松上)生まれ。あるとき兵庫県教育委員会の保健体育課長から、「青少年がスポーツに打ち込めるような靴を作ってほしい」と依頼され、1949年「鬼塚商会」を作り、スポーツ用シューズの製造販売を始めた。まず「鬼塚式バスケットシューズ」で売れ行きを伸ばし、ブランド名「オニヅカタイガー」とした。その後オリンピックのランニングシューズを作り、1977年にはアシックスとなった。 

f:id:tagutti:20201004135104j:plain

 <鬼塚喜八郎像>

場所:鳥取市立明治小学校(鳥取市松上159)

竣工: 2019年5月

像高:

作者: 倉澤實

撮影時: 2017年8月22日

説明:市内から遠く離れた場所である。明治小学校のグラウンドを上がったすぐのところに立つ。制作した「アトリエマツダ」によると、2013年の作成らしく、「鳥取県総合運動公園内」にも同様の像がある(未撮影である)。

鳥取県編 その1

 先週は岩手県銅像巡りで爆走していて休載しました。今回から鳥取県編をお届けします。境港の水木しげるロードはどうなることやら…。頑張っていきましょう!

 

〇林原嘉武 (1904~1990)

 政治家、実業家。鳥取県議会議員、県議会議長を歴任。鳥取県漁連会長を務めた。 

f:id:tagutti:20200927121543j:plain

<林原嘉武像>

場所:鳥取県水産会館(鳥取市青葉町3-111)

竣工:

像高:

作者:

撮影時: 2017年8月22日

説明:国道53号線に背を向けて立っている。

 

〇児嶋幸吉 (1857~1929)

 実業家、政治家。因幡国新品治町(現鳥取市)生まれ。19歳で酒造業をはじめ、33歳で鳥取市議会議員(4期)。さらに鳥取汽船会社、鳥取瓦斯株式会社を設立、鳥取商工会議所初代会頭などを歴任した。 

f:id:tagutti:20200927121640j:plain

 <児嶋幸吉像>

場所:鳥取ガス エネトピアプラザ(鳥取市片原5―503)

竣工: 2007年11月

像高: 180㎝

作者: 石谷孝二

撮影時: 2017年8月22日

説明:この鳥取ガスショールームは「サルーテ」と呼ばれていたが、最近「エネトピアプラザ」と改称されたようだ。

 

吉川経家(きっかわつねいえ) (1547~1581)

 戦国から安土桃山期の武将。毛利氏の家臣、石見吉川氏。羽柴秀吉因幡侵攻の際、「鳥取城渇え殺し」で4か月籠城したが、最後は開城し自害した。 

f:id:tagutti:20200927121745j:plain

 <吉川経家像>

場所:鳥取市武道館(鳥取市東町1-326)

竣工: 1993年10月

像高: 240㎝

作者: 奥谷俊治

撮影時: 2017年8月22日

説明:この地は鳥取城の正面にあたる。HP「鳥取Art DB Project」によれば、この像は生存する経家の子孫の方の顔を基に、イラストレータ毛利彰氏が原画を描いて、奥谷俊治氏が彫刻したものとのこと。

f:id:tagutti:20200927121835j:plain

 羽柴秀吉因幡侵攻に対し、経家が鳥取城を守ることとなった。秀吉は鳥取城を包囲したが、それ以前から米が買い漁られていて、大変高価になっていたため、兵糧は1か月分あるかの状況だった。そこでの籠城戦となったため城内は地獄絵図となったが、経家は4か月籠城に耐えて降伏した。秀吉は経家に、自害せずともよいと伝えたが、経家は自害をした。

 

 

水木しげる夫妻

 水木しげる氏の詳細は、後述。 

f:id:tagutti:20200927121918j:plain

 <水木しげる夫妻像>

場所:鳥取県庁ロビー(鳥取市東町1-220)

竣工: 2011年2月

像高: 50㎝

作者: 水木プロダクション

撮影時: 2017年8月22日

説明:NHKの朝の連続テレビ小説ゲゲゲの女房」のヒットを受けて設置された。水木しげる鳥取県境港市の出身で、「水木しげるロード」が大人気となっていることから、県としても観光資源として推していくことから、設置が決まったらしい。 

 

岸本辰雄 (1851~1912)

 法学者、明治大学の創設者。因幡国南本寺町(現鳥取市)生まれ。鳥取藩の推薦を埋めて大学南校(現東京大学)に入学し法律を学び、フランスへ留学。帰国後判事となる。その傍ら。宮城浩蔵。矢代操らとともに明治法律学校(現明治大学)を創設し、校長となった。この間、法制局参事官、司法省参事官、大審院判事などを歴任、その後弁護士となった。 

f:id:tagutti:20200927122013j:plain

岸本辰雄像>

場所:鳥取市公文書館鳥取県尚徳町101)

竣工: 2006年5月

像高: 200㎝(台座含む)

作者: 入江博之

撮影時: 2017年8月22日

説明:鳥取市公文書館は、県立図書館と併設されている。岸本像は大通りに面している。むろん東京の明治大学にも岸本像はある。

 

〇遠藤董(えんどうただす) (1853~1945)

 教育者、芸術家。因幡国鳥取生まれ。鳥取県教育の源流、郷土教育の父。鳥取県初の公共図書館をつくり、また女子中等教育鳥取盲聾唖学校を設立した。 

f:id:tagutti:20200927122118j:plain

<遠藤董像>

場所:鳥取県立図書館鳥取県尚徳町101)

竣工: 1952年

像高: 300㎝(台座含む)

作者: 長谷川塊記

撮影時: 2017年8月22日

説明:岸本像は公文書館脇の大通りに面しているが、遠藤像は、そこからやや引っ込んだ県立図書館入り口(箕浦武家門)のところにひっそりと立つ。

 なお、県立鳥取盲学校(鳥取市国府町宮下1265)にも胸像がある(1980年。山本兼文作)。

f:id:tagutti:20201004111002j:plain