銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれてよじれて20年以上。日本中の銅像ハンティングは続きます…

滋賀県編   その1

 今回から滋賀県編に入ります。

 

杉浦重剛 (1855~1924)

 明治・大正期の国粋主義的教育者、思想家、政治家。近江国膳所藩(現滋賀県大津市)生まれ。若き日の昭和天皇秩父宮高松宮の3兄弟に倫理学を進講。若くしてロンドンへ留学、帰国後文部省などに勤め、のちに三宅雪嶺志賀重昂などと政教社を起こし、雑誌「日本人」を刊行、国粋主義を主張する。第1回衆議院選挙に当選、しかし翌年には辞職した。

杉浦重剛像>

場所:杉浦重剛旧宅(滋賀県大津市杉浦町12-11)

竣工:1968年 2月

像高:

作者: 伊室重孝か?

撮影時:2022年10月9日

説明:この像は、明治100年と大津市制定70周年の記念に作られたものである。杉浦重剛旧宅は、京阪電車石山坂本線瓦ヶ浜駅が最寄、住宅街の狭い道を進んでいく。駐車場もない。建物に入る際は、旧宅の道路反対側のお宅に一声かけるシステムになっている。また東京の日本学園中学、高校(東京都世田谷区松原2-7-34)には、左手に帽子、右手にステッキを持った全身像がある。

 

〇井上敬之助 (1865~1927)

 明治・大正期の政治家。近江国甲賀郡石部村(現滋賀県湖南市石部)生まれ。実家は東海道石部宿本陣小島家。医師、石灰製造の井上家に養子に入る。自由民権運動に参加し、憲政党から立憲政友会県議会議員(5期)、衆議院議員(5期)。この間県議会議長に就任、県政において官僚政治の是正や民意の反映に尽力した。

<井上敬之助像>

場所:琵琶湖文化館の道路反対側(滋賀県大津市打出浜先)

竣工:1962年 4月

像高:

作者: 森大造

撮影時:2022年10月9日

説明:琵琶湖文化館のHPによれば、彫刻家の森氏は、井上の生前を知らず、資料を集めても写真が2、3枚しか集まらずに苦労したようだ。像は、文化館の道路の反対側の常世川橋北詰にあり、道路からちょっと下がったところに立つ。

 

〇山田豊三郎 (1922~2009)

 政治家。大津市長(6期)。滋賀県野洲郡玉津村(現滋賀県守山市)生まれ。生家は堀出家だが、山田家に婿養子で入る。終戦大津市役所に入所、1972年から助役となった。1980年に前市長から指名をされて、無投票で市長となった。インフラの整備や地域福祉、学校の整備などに尽力した。6期目には78歳という高齢であった。

<山田豊三郎像>

場所:浜大津なぎさ公園(滋賀県大津市浜町2-49)

竣工: 2011年7月

像高:

作者:嶋畑貢

撮影時:2022年10月9日

説明:像は、公園の中央部、琵琶湖ホテルの前に立つ。「大津市消防局中消防署大津水上出張所」の前である。

 

堤康次郎 (1889~1964)

 実業家、政治家。滋賀県愛知郡八木荘村(現滋賀県愛知郡愛荘町)生まれ。早稲田大学を卒業すると、さまざまな事業を興すも最初はどれも上手くいかなかった。しかし、軽井沢の別荘地の開発に成功し、さらに神奈川県の箱根、東京の武蔵野地区の開発に成功し、西武グループを創業した。政治家としては、1925年に滋賀県から衆議院議員に当選(13期)、立憲民政党から戦後は改進党に属し(のち自民党)、戦後では衆議院議長となった。女性関係は有名で、西武グループを継いだ息子たちは異母兄弟で、清二(西武鉄道)、義明(コクド)と、分裂した。

堤康次郎像>

場所:大津市歴史博物館前(滋賀県大津市御陵町2-2)

竣工:1998年10月

像高:

作者:山下清

撮影時:2022年10月9日

説明:像は、博物館の下の道沿いにある、屋外展示場のところに立つ。堤氏の像は、長野県の軽井沢スケートセンター(にもある。また所沢市にある西武鉄道本社内にもあるが、見学は不可である。

 

〇桜井敬徳 (1834~1885)

 天台宗の僧侶。尾張生まれ。法名は順道敬徳。1861年三井寺法明院の住職となる。1883年に町田久成に円頓菩薩戒を、1885年にフェノロサ、ビゲローなどに菩薩戒を授けた。

<桜井敬徳像>

場所:法明院(滋賀県大津市園城寺町246)

竣工:1897年 (1901年にビゲローが寄進)

像高:

作者:竹内久一

撮影時:2022年10月9日

説明:法明院は、三井寺の律院として1724年に作られ、多くの学僧を輩出した。敬徳もその一人。上記のように町田(東京国立博物館の前身の創設者)やフェノロサ(明治期のお雇い外国人で、日本の古美術の再評価、伝承に貢献)やビゲロー(日本美術の研究者、コレクター)などを教化し、フェノロサとビゲローの分墓が、境内奥にある。像はその手前にいるが、現在の寺は住持がいないようで、本来は価値のあるはずの池泉回遊式庭園も荒れ果てていた。

 

〇木下彌三郎 (1894~1987)

 実業家。滋賀県神崎郡能登川町(現滋賀県東近江市)生まれ。関西大学卒業後、大阪で呉服屋を創業、その後パン屋、キャバレー、ホテル(ホテル紅葉、のちのびわ湖パラダイス)などの経営で成功し、ホテル紅葉の中に「木下美術館」を作った。

<木下彌三郎像>

場所:木下美術館(滋賀県大津市比叡平2-28-21)

竣工:1967年?

像高:

作者:

撮影時:2022年10月9日

説明:びわ湖パラダイスは1998年に閉鎖し、木下美術館は2008年に現在地に移転、びわ湖温泉紅葉も2013年に閉館した。美術館と銅像の大きさの関係から、像はもともとびわ湖パラダイス内にあったと思われる。また像も1967年頃までの年譜があるところから見て、その頃に作られた寿像であったと考えられる。

比叡平は、大津市からつづら折りの坂を10数分上がったところである。分譲地だが、その入り口付近に比叡山ドライブウエイの料金所もあり、京都側も銀閣寺のところに下りるのだが、結構なダラダラ坂のようで、よくこんなところに住むなぁ、という感じ。町はなかなかの雰囲気なのだが、クルマ無しでは生きていけないだろう…

久しぶりの銅像本の紹介

鹿児島県編が終わって、次の県を検討中です。

来週は、ちょっと出かけるのでお休みにしたい

ということで、今日は閑話休題で…

 

文春新書水木しげるロード 全妖怪図鑑』

を紹介します。

前に、鳥取県編で、境港の水木しげるロードの妖怪銅像群を紹介しましたが、

それが「境港観光協会」の編集で新書本になりました。

読んでいると(まだ読破中ですが)、隠岐の島や一畑薬師にも

鬼太郎や妖怪の銅像があるようです。

ライトアップした妖怪もなかなか凄味がありますので、

是非訪れてみてください!

https://booklog.jp/item/1/4166613723より転載)



 

鹿児島県編  その22

〇最上宏 (1883~1964)

 医師、農政家、政治家。鹿児島県熊毛郡西之表生まれ。長崎医学専門学校卒。北種子村会議員、熊毛郡会議員、鹿児島県議会議員を経て、西之表町長から市長を歴任した。

<最上宏像>

場所:西之表市役所(鹿児島県西之表西之表7612)

竣工:1964年11月

像高:

作者:中村晋也

撮影時:2020年3月23日

説明:医者をしつつ、種子島での換金農作物として落花生の栽培を始めたという。

 

〇榎本小右衛門 (1885~)

 農政家、政治家。鹿児島県熊毛郡西之表下西生まれ。陸軍士官学校を卒業後、軍務を経て、1929年に帰郷すると農業に従事、農協の組合長などを歴任する。戦後西之表町長に就任し、戦後の町の財政再建を成し遂げた。「カンザー(みちしばで編んだ背負い袋)町長」と呼ばれたように、質素堅実な政治姿勢で親しまれた。

<榎本小右衛門像>

場所:西之表市役所(鹿児島県西之表西之表7612)

竣工:1999年7月

像高:

作者:

撮影時:2020年3月23日

説明:「カンザー町長」の名の通り、背中に背負い袋を背負った姿である。最上像と共に市役所東側の駐車場のところに立っている。

 

鎌田義俊 (?~?)

 農政家、政治家。中種子町農協長や、中種子町長(5代)を歴任した。

<鎌田義俊像>

場所:中種子町役場(鹿児島県熊毛郡中種子町野間5186)

竣工:1988年3月

像高:

作者:

撮影時:2020年3月23日

説明:種子島は3月でも温かく、人の動きがのんびりしている気がした。

 

〇日高實昭  (?~2003)

政治家。中種子町長(8代)。

<日高實昭像>

場所:太陽の里中央運動公園体育館(鹿児島県熊毛郡中種子町野間5936)

竣工:2005年3月

像高:

作者:

撮影時: 2020年3月23日

説明:同じ中種子町長でも、町役場に像がないのは、8代目はたぶんこの体育館を作ったのかな?という感じですね。

 

〇鮫島二男丸(さめじまじなんまる) (1889~?)

 農政家、政治家。鹿児島県熊毛郡南種子町島間生まれ。南種子村長及び初代町長。農政関係の職を歴任後、助役を経て村長、1956年に初代町長となった。

<鮫島二男丸像>

場所:南種子町役場(鹿児島県熊毛郡南種子町中之上2793-1)

竣工:1963年春

像高:

作者:中村晋也

撮影時:2020年3月23日

説明:『種子島の人』(柳田桃太郎)によれば、「人の非をあばかず、人の良きところをとるものぞ」という考えで生涯を公共に尽くしたという。

 

〇鉄砲伝来の地

1543年に倭寇の王直の船が種子島の門倉岬東側の前之浜に漂着した。この船に乗っていた2人のポルトガル人が火縄銃を持っていた。島の領主、種子島時堯がこの銃を買い取り、1挺を畿内に送り、もう1挺は八板金兵衛ら刀鍛冶に作らせたという。

鉄炮伝来の地像>

場所:門倉岬(鹿児島県熊毛郡南種子町西之)

竣工:2007年3月

像高:

作者:尾田光章

撮影時:2020年3月23日

説明:門倉岬は、種子島の南端の地であり、像はそこの駐車場の端にある。

 

以上で、鹿児島編は終了です。今回の旅で時間切れとなったため、鹿児島市内では、東郷平八郎(多賀山公園:鹿児島市清水町32)、岩永三五郎・ザビエル(祗園之洲公園:鹿児島市祇園之洲町1)、平田靫負(鹿児島県建設センター:鹿児島市鴨池新町10-1)、川路利良(鹿児島県県警本部:鹿児島市鴨池新町6-11)、中馬庚(鴨池球場:鹿児島市与次郎2-2-2)、坂本龍馬とお龍・調所広郷天保山公園:鹿児島市天保山24)、月照南洲寺鹿児島市南林町23-22=石像)が、南さつま市方面では、鑑真(鑑真記念館:南さつま市坊津町秋目225-2)、小原国芳(小原国芳生誕地公園:南さつま市坊津町久志2430)、謎の像(笠沙地区公民館:南さつま市笠沙町化田浦14895)、原耕(原公園:枕崎市松乃尾町)、山幸彦枕崎駅枕崎市東本町22)が、写真が撮れていない。メモには「南さつま市加世田唐仁原の「万世」交差点付近の民家に銅像が見えた」とあるが、確認はとれていない。

また学校や企業関係で、聖マダレナ=カノッサ(大口明光学園:伊佐市大口里1830)、西郷隆盛(指宿白水館:指宿市東方12126-12)、津曲貞助(鹿児島高校:鹿児島市薬師1-21-9)、川島昭人鹿児島実業高校鹿児島市五ケ別府町3591-3)が入れない可能性が高く、撮影できていない。

また島嶼部は訪問が難しいので今回はパスした。チャンスがあれば、少しずつ回りたい。硫黄島俊寛(三島開発総合センター:鹿児島郡三島村硫黄島90-61)、屋久謎の像屋久島町役場宮之浦出張所:熊毛郡屋久島町宮之浦1593)、喜界島俊寛俊寛の墓:大島郡喜界町湾349)、奄美大島永野芳辰(あやまる岬観光公園:奄美市笠利町須野)、カトリック瀬留教会(大島郡龍郷町瀬留271-1)の謎の像田畑金光龍郷町体育文化センターりゅうゆう館:大島郡龍郷町1837)、西郷隆盛と愛佳那(りゅうがく館:大島郡龍郷町瀬留968-1=これは木像)、とおしめ公園の謎の2体(りゅうがく館の隣)、奄美文化センターの謎の像奄美市名瀬長浜町517)、フェリエ神父カトリック名瀬聖心教会:奄美市名瀬幸町18-1)、泉佳朗(おがみ山公園:奄美市名瀬久里町6-5)、芝實清(篠川トイレ:大島郡瀬戸内町篠川486)、川井順英(瀬戸内町役場:大島郡瀬戸内町古仁屋船津23)、徳之島三宝(天城中学校:大島郡天城町兼久1105-3)、朝潮太郎(第46代横綱朝潮太郎記念館:大島郡徳之島町井之川)、泉重千代泉重千代生家跡:大島郡伊仙町阿三1579)、泉芳朗(義名山公園:大島郡伊仙町伊仙2752-2)、沖永良部島西郷隆盛南洲神社:大島郡和泊町手々知名と西郷南洲記念館:大島郡和泊町587)とある。

※ちなみに、「謎の像」はGoogleストリートビューなどで、像の存在はわかっているが、誰なのかがわからないものです。情報をお待ちしています…。