銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれてよじれて20年以上。日本中の銅像ハンティングは続きます…

鹿児島県編  その22

〇最上宏 (1883~1964)

 医師、農政家、政治家。鹿児島県熊毛郡西之表生まれ。長崎医学専門学校卒。北種子村会議員、熊毛郡会議員、鹿児島県議会議員を経て、西之表町長から市長を歴任した。

<最上宏像>

場所:西之表市役所(鹿児島県西之表西之表7612)

竣工:1964年11月

像高:

作者:中村晋也

撮影時:2020年3月23日

説明:医者をしつつ、種子島での換金農作物として落花生の栽培を始めたという。

 

〇榎本小右衛門 (1885~)

 農政家、政治家。鹿児島県熊毛郡西之表下西生まれ。陸軍士官学校を卒業後、軍務を経て、1929年に帰郷すると農業に従事、農協の組合長などを歴任する。戦後西之表町長に就任し、戦後の町の財政再建を成し遂げた。「カンザー(みちしばで編んだ背負い袋)町長」と呼ばれたように、質素堅実な政治姿勢で親しまれた。

<榎本小右衛門像>

場所:西之表市役所(鹿児島県西之表西之表7612)

竣工:1999年7月

像高:

作者:

撮影時:2020年3月23日

説明:「カンザー町長」の名の通り、背中に背負い袋を背負った姿である。最上像と共に市役所東側の駐車場のところに立っている。

 

鎌田義俊 (?~?)

 農政家、政治家。中種子町農協長や、中種子町長(5代)を歴任した。

<鎌田義俊像>

場所:中種子町役場(鹿児島県熊毛郡中種子町野間5186)

竣工:1988年3月

像高:

作者:

撮影時:2020年3月23日

説明:種子島は3月でも温かく、人の動きがのんびりしている気がした。

 

〇日高實昭  (?~2003)

政治家。中種子町長(8代)。

<日高實昭像>

場所:太陽の里中央運動公園体育館(鹿児島県熊毛郡中種子町野間5936)

竣工:2005年3月

像高:

作者:

撮影時: 2020年3月23日

説明:同じ中種子町長でも、町役場に像がないのは、8代目はたぶんこの体育館を作ったのかな?という感じですね。

 

〇鮫島二男丸(さめじまじなんまる) (1889~?)

 農政家、政治家。鹿児島県熊毛郡南種子町島間生まれ。南種子村長及び初代町長。農政関係の職を歴任後、助役を経て村長、1956年に初代町長となった。

<鮫島二男丸像>

場所:南種子町役場(鹿児島県熊毛郡南種子町中之上2793-1)

竣工:1963年春

像高:

作者:中村晋也

撮影時:2020年3月23日

説明:『種子島の人』(柳田桃太郎)によれば、「人の非をあばかず、人の良きところをとるものぞ」という考えで生涯を公共に尽くしたという。

 

〇鉄砲伝来の地

1543年に倭寇の王直の船が種子島の門倉岬東側の前之浜に漂着した。この船に乗っていた2人のポルトガル人が火縄銃を持っていた。島の領主、種子島時堯がこの銃を買い取り、1挺を畿内に送り、もう1挺は八板金兵衛ら刀鍛冶に作らせたという。

鉄炮伝来の地像>

場所:門倉岬(鹿児島県熊毛郡南種子町西之)

竣工:2007年3月

像高:

作者:尾田光章

撮影時:2020年3月23日

説明:門倉岬は、種子島の南端の地であり、像はそこの駐車場の端にある。

 

以上で、鹿児島編は終了です。今回の旅で時間切れとなったため、鹿児島市内では、東郷平八郎(多賀山公園:鹿児島市清水町32)、岩永三五郎・ザビエル(祗園之洲公園:鹿児島市祇園之洲町1)、平田靫負(鹿児島県建設センター:鹿児島市鴨池新町10-1)、川路利良(鹿児島県県警本部:鹿児島市鴨池新町6-11)、中馬庚(鴨池球場:鹿児島市与次郎2-2-2)、坂本龍馬とお龍・調所広郷天保山公園:鹿児島市天保山24)、月照南洲寺鹿児島市南林町23-22=石像)が、南さつま市方面では、鑑真(鑑真記念館:南さつま市坊津町秋目225-2)、小原国芳(小原国芳生誕地公園:南さつま市坊津町久志2430)、謎の像(笠沙地区公民館:南さつま市笠沙町化田浦14895)、原耕(原公園:枕崎市松乃尾町)、山幸彦枕崎駅枕崎市東本町22)が、写真が撮れていない。メモには「南さつま市加世田唐仁原の「万世」交差点付近の民家に銅像が見えた」とあるが、確認はとれていない。

また学校や企業関係で、聖マダレナ=カノッサ(大口明光学園:伊佐市大口里1830)、西郷隆盛(指宿白水館:指宿市東方12126-12)、津曲貞助(鹿児島高校:鹿児島市薬師1-21-9)、川島昭人鹿児島実業高校鹿児島市五ケ別府町3591-3)が入れない可能性が高く、撮影できていない。

また島嶼部は訪問が難しいので今回はパスした。チャンスがあれば、少しずつ回りたい。硫黄島俊寛(三島開発総合センター:鹿児島郡三島村硫黄島90-61)、屋久謎の像屋久島町役場宮之浦出張所:熊毛郡屋久島町宮之浦1593)、喜界島俊寛俊寛の墓:大島郡喜界町湾349)、奄美大島永野芳辰(あやまる岬観光公園:奄美市笠利町須野)、カトリック瀬留教会(大島郡龍郷町瀬留271-1)の謎の像田畑金光龍郷町体育文化センターりゅうゆう館:大島郡龍郷町1837)、西郷隆盛と愛佳那(りゅうがく館:大島郡龍郷町瀬留968-1=これは木像)、とおしめ公園の謎の2体(りゅうがく館の隣)、奄美文化センターの謎の像奄美市名瀬長浜町517)、フェリエ神父カトリック名瀬聖心教会:奄美市名瀬幸町18-1)、泉佳朗(おがみ山公園:奄美市名瀬久里町6-5)、芝實清(篠川トイレ:大島郡瀬戸内町篠川486)、川井順英(瀬戸内町役場:大島郡瀬戸内町古仁屋船津23)、徳之島三宝(天城中学校:大島郡天城町兼久1105-3)、朝潮太郎(第46代横綱朝潮太郎記念館:大島郡徳之島町井之川)、泉重千代泉重千代生家跡:大島郡伊仙町阿三1579)、泉芳朗(義名山公園:大島郡伊仙町伊仙2752-2)、沖永良部島西郷隆盛南洲神社:大島郡和泊町手々知名と西郷南洲記念館:大島郡和泊町587)とある。

※ちなみに、「謎の像」はGoogleストリートビューなどで、像の存在はわかっているが、誰なのかがわからないものです。情報をお待ちしています…。