〇西村健夫 (1907~1985)
政治家。鹿児島県熊毛郡西之表町榕城中目生まれ。西之表町助役から町長、1958年からが初代西之表市長。その後鹿児島県議(1期)。さらに1953年に西之表町農協組合長となる。
<西村健夫像>
場所:種子屋久農協西之表支所(鹿児島県西之表市西町6974)
竣工:1986年5月
像高:
作者:中村晋也
撮影時:2020年3月23日
説明:農協だが、目の前は漁港である。この人の孫が、西村由紀江という有名ピアニストである。
〇若狭姫 (1527~?)
戦国時代の女性。種子島の赤尾木玉川尻生まれ。種子島の鉄砲鍛冶、八板金兵衛清定の娘。1543年の鉄砲伝来の際、16歳でポルトガル人に嫁いで、国産の鉄砲製造のネックだった、尾栓(銃身の底を塞ぐ部品)のネジきりの技術の伝播と引き換えに、ポルトガル人ムラシュクシャに嫁いだとされる。
<若狭姫像>
竣工:1997年7月
像高:
作者:
撮影時:2020年3月23日
説明:石像である。手には鉄炮を持っている。上記の話は、口承のみで伝わり、立証できる文献などはないという。ちなみに鹿児島港と西之表港を結ぶカーフェリーの名は「プリンセスわかさ」である。
〇八板金兵衛清定(やいたきんべえきよさだ) (1502~1570)
戦国時代の刀鍛冶。鉄炮の製作に携わり、鉄砲鍛冶となった。1543年に鉄炮が伝来すると、種子島城主の種子島時堯の命で、鉄炮製作を命じられ、1545年に国産初の鉄砲製造に成功したという。
<八板金兵衛清定像>
竣工:1993年10月
像高:
作者:㈱四津井工房
撮影時:2020年3月23日
説明:2体のうち左側の、座り込んで玄翁を叩いているのが清定、右側の立っているのが弟子の三郎次だという。
〇種子島時堯(たねがしまときたか) (1528~1579)
戦国時代の大名。種子島氏第14代当主。日本に鉄砲伝来時の当主で、ポルトガル人の射撃の実演を見て、ただちに購入するとともに、国産化をもくろんで成功した。
<種子島時堯像>
竣工:1984年7月
像高:
作者: 中村晋也
撮影時:2020年3月23日
説明:左手には、筒状になった鉄炮を持っている。像の立ってるところは種子島氏の居城、赤尾木城の跡地である。その向かい側には、種子島総合開発センター「鉄砲館」があり、八板金兵衛清定の造った、国産一号の鉄砲が展示されている。