〇蛇口伴蔵(へびぐちばんぞう)(1810~1866)
江戸後期の武士。八戸藩士。名は胤年。葉山治右衛門の子で、蛇口家へ養子に入る。八戸地方の水利事業に尽力し、母袋子や下洗(八戸市)・相内(南部町)・階上岳(階上町)・小軽米(岩手県軽米町)の上水を企画した。いずれも失敗に終わったようだが、全財産をかけて尽力した。
<蛇口伴蔵像>
場所:青葉湖左岸農村公園(伴蔵公園)(青森県八戸市南郷島守)
竣工:2003年 11月
像高:
作者:
撮影時:2022年8月24日
説明:青葉湖は世増(よまさり)ダムのダム湖である。ここに伴蔵の像が立つのは、彼の計画した上水計画が、150年の年月を経て、実現したからであろう。
〇米内種之助 (?~?)
<米内種之助像>
竣工:
像高:
作者:
撮影時:2022年8月24日
説明:石像である。脇には「米内種之助顕彰碑」(1956年)が立つので、「出合坂」の整備、広報をした人物であろう。
〇玉峰捐城&北条時頼
★玉峰捐城(ぎょくほうえんじょう)(?~?)鎌倉期の僧侶。法光寺の開基である。
★北条時頼 (1227~1263) 鎌倉幕府の5代執権。宝治合戦で三浦氏を滅ぼし、親王将軍を擁立(宗尊親王)、引付衆を整備し蘭渓道隆を招致し、建長寺を開いた。能の「鉢の木」のように、廻国伝説があり、出合坂の話もその一つである。
<玉峰捐城&北条時頼像>
竣工:
像高:
作者:
撮影時:2022年8月24日
説明:石像である。出合坂にはこんな話がある。鎌倉時代の5代執権北条時頼が、1256年に出家し、最明寺(西明寺)入道と名乗り、全国を放浪した(実際はしていないが)。ここ南部の地に訪れた際、名久井岳の美しさに魅入られ、一宿を山奥の庵に求めた。庵主の玉峰捐城はあり合わせの品で時頼をもてなした。翌朝時頼が目覚めると庵主は出かけていた。そこで自分の持っていた扇に「壱千石名久井通り右永代可令知行也」と、裏に「水結ぶ名久井が岳を眺むれば海より出でて山に入る月」と書き残し、西明寺入道時頼と署名・花押して残した。その下山の途中に朝食のために托鉢に出ていた庵主に出会ったところが「出合坂」であったという。その後幕府から使者が訪れ、お礼に七堂伽藍を建立し、寺名を「白華山法光寺」とした。これが法光寺の謂れとなる。
〇加野繭子(山口果林)
1971年のNHKの朝の連続テレビ小説「繭子ひとり」の主人公。山口果林が演じた。もともとは1963年に東奥日報に連載された三浦哲郎の同名小説。
<加野繭子(山口果林)像>
竣工:1971年9月
像高:
作者:山本雅彦
撮影時:2022年8月24日
説明:ヒロイン繭子が、生活の中で「幸せ」を求めて生きていく、というドラマで、物語の舞台が青森県三戸町から八戸市、東京、宮城県鳴子温泉、広島、能登半島と転々としていくことから、多くの人気を集めたという(平均視聴率47.4%)。NHKに映像が残されていないようである。
〇鏡里喜代治 (1923~2004)
大相撲力士。第42代横綱。青森県三戸郡斗川村(現三戸町)生まれ。本名奥山喜代治。1941年初土俵。序二段・三段目で優勝経験があり、1947年入幕し、1951年に大関(優勝1回)、1953年に横綱に昇進した。横綱で優勝3回、1958年引退。通算415勝189敗28休(勝率。687)。
<鏡里喜代治像>
場所:三戸城歴史民俗資料館(青森県三戸郡三戸町梅内城ノ下34)
竣工:
像高:
作者:
撮影時:2022年8月24日
説明:大のマスコミ嫌いで、けっこう怖い人だったようだ。さらに東北訛りで、インタビューでも聞き取るのが大変だったそう…。
〇三浦善蔵 (?~?)
実業家。南部鉄道の前身である「五戸電気鉄道」を設立した。彼は他に五戸町長、五戸水力電気、五戸銀行を創業、醸造家の家の出である。
<三浦善蔵像>
場所:県北バス南部支社五戸営業所(青森県三戸郡五戸町下モ沢向13-167)
竣工:1960年
像高:
作者:三国慶一
撮影時:2022年8月24日
説明:ネットを見ると、狛犬を寄贈するなど地域に貢献したようだ。この地は「五戸電気鉄道」創業の地。