銅像ハンターtaguttiの銅像ハンティング記

銅像好きがこじれて20年。日本中の銅像ハンティングは続きます…

群馬県編 その14

〇西田博太郎 (1877~1953)

 染色学者。東京市下谷(現東京都台東区)出身。東京帝国大学工科大学卒。日本セルロイド人造絹株式会社(現ダイセル)入社後、レーヨン(人造絹糸)の研究、セルロイドの大量生産の研究などして退社後、桐生高等染色学校(現群馬大学理工学部)教授となり、その後校長に昇進、1945年に退職した。染色学の権威、繊維工業、化繊工業の発展に寄与した。 

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<西田博太郎像>

場所:群馬大学理工学部4号館前(群馬県桐生市神町1-5-1)

竣工: 1940年10月(碑文にはこう書いてあるが、実際はどうか?)

像高:

作者:

撮影時: 2019年8月20日

説明:群馬大学理工学部の正門を入って行くと、正面に池があり、それを廻るように進んでいくと正面の校舎の前に大竹多気像とともに並んで立っている(向かって右)。

 

〇大竹多気 (1862~1918)

 工学者。蝦夷戸切地(現北海道北斗市)出身。父が会津藩士で、藩の蝦夷地支配で父が赴任した先で生まれた。繊維工学が専門で、染色技術、毛織物工業の近代化に貢献した。千住製絨所長を経て、米沢高等工業学校(現山形大学工学部)、桐生高等染色学校(現群馬大学理工学部)の初代校長を歴任した。

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<大竹多気像>

場所: 群馬大学理工学部4号館前(群馬県桐生市神町1-5-1)

竣工: 1940年10月(碑文にはこう書いてあるが、実際はどうか?)

像高:

作者:

撮影時:  2019年8月20日

説明:群馬大学理工学部の正門を入って行くと、正面に池があり、それを廻るように進んでいくと正面の校舎の前に西田博太郎像とともに並んで立っている(向かって左)。

 

〇増山作次郎 (1923~1999)

 実業家。桐生信用金庫初代理事長、桐生商工会議所会頭などを歴任した。 

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 <増山作次郎像>

場所:桐生信用金庫本店(群馬県桐生市錦町2-15-21)

竣工:

像高:

作者:

撮影時: 2019年8月20日

説明:桐生信用金庫本店の南東側に立つ立像。建物に隣接して立つので、仮に裏側に碑文があっても見えない…。

 

〇森喜作 (1908~1977)

 農学者、実業家。群馬県桐生市生まれ。シイタケの人口栽培法を発明した。故郷の桐生に森産業株式会社を興し、日本きのこ研究所を作って、初代の理事長に就任した。 

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<森喜作像>

場所:森産業株式会社(群馬県桐生市西久方町1-2-23)

竣工: 1972年

像高:

作者:

撮影時: 2019年8月20日

説明:会社の正門のわきに立つ。台座には「われ農夫の祈りに開眼す」とある。昭和初期に大分県の山村で、貧困にあえぐ老農夫が、借財して買った原木にシイタケの胞子が付着することを祈る姿を見る。そこから台座のフレーズを心に刻み、シイタケの人口栽培法を研究したそうである。1942年ついに人工栽培に成功し、真っ先にこの農夫に種駒を送ったという。像の姿は、その決意した頃の姿であろう。日本きのこ研究所(群馬県桐生市平井町8-1)にも銅像があるらしい。またキノコの研究を決意した、大分県日田市の田来原美しい森づくり公園(大分県日田市大山町西大山1595-6)にも銅像がある。こちらは1973年に作られた。

 

〇伏島近蔵(ふせじまちかぞう) (1837~1901)

 幕末から明治にかけて活躍した実業家。上野国新田郡薮塚村(現群馬県太田市)生まれ。1865年横浜に出て、行商などで生計を立て、その後「アメリカ一番館」に勤務、商人としての頭角を現した。1868年に独立し、唐物・蚕卵紙を扱って財産を成し、その後第七十四銀行(横浜銀行の前身の一つ)の頭取となった。さらに横浜で飲料水の販売など従事、横浜の発展に寄与した。横浜の“お三の宮”日枝神社にもレリーフ付きの頌徳碑が建つ。 

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<伏島近蔵像>

場所:太田市薮塚本町中央公民館(群馬県太田市大原町505-2)

竣工: 2000年8月

像高:

作者:

撮影時: 2013年6月4日

説明:旧薮塚本町の役場などの施設の一角に立つ。勝手なイメージでヤクザっぽいな(多分にこの地が「木枯し紋次郎」の地=三日月村であることが影響している)と思っていたが、横浜の発展に寄与した人物と知って、妙に親近感がわいた。

 

〇中島知久平 (1884~1949)

 海軍軍人、実業家、政治家。中島飛行機株式会社(現SUBARU)の創始者、政友会総裁。群馬県新田郡尾島村(現群馬県太田市)生まれ。海軍で水上機を作り、その経験から国産の航空機の生産を企図した。そして群馬県中島飛行機株式会社を設立した。その後立憲政友会の代議士(衆議院5期)としても活躍、鉄道大臣や軍需大臣などを歴任、1939年には総裁になっている。戦後公職追放を受けた。 

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<中島知久平像>

場所:太田市尾島庁舎(群馬県太田市粕川町520)

竣工: 1984年10月

像高:

作者: 米林勝二(鋳造は堺幸山)

撮影時: 2013年6月4日

説明:立っている場所は、正確には「町民の森公園」といって、こじゃれた尾島庁舎のアプローチ部分。中島知久平の生誕100周年記念で作られたもの。ほかに金山城址(群馬県太田市金山町)にも胸像が立つ(後日掲載予定)。